第1491話・上皇陛下の視察
Side:久遠一馬
「祈禱といかが違うのか?」
上皇陛下の問いかけの返答に窮する。医学の説明って難しい。
そもそも非科学的な鬼やら物の怪すら信じている時代だ。この時代の一般的な祈禱という祈りで病を克服することなど、元の世界で同じことをすると、どういう反応をされるかは言わずと知れたことだろう。
迷信からなる無意味な慣例や、効果が病人の気の持ちようだけという祈禱に関しても、明確に否定すると面倒なことになる。
「医師は祈りません。医師は確かな理と学問により病と向き合う。それ以上でもそれ以下でもありません」
オレが少し悩む間にケティは上手く答えた。京極さんが少しほっとしたのが分かる。ウチの価値観を学んでいるだけに、いろいろと苦労をかけて申し訳ない。
医学についても今回の視察の前にいろいろと勉強したようなんだ。ケティは人を否定も肯定もしない。分からないことは分からないとしか言わないけどね。
ただ、ここに来るまで少し微妙な雰囲気もあった。体を清めることなど病院では推奨しているけど、それは穢れを払うということなのかと問われたんだ。
ケティは『病にならないようにするため、人にうつさないようにするための手段のひとつ』と説明して穢れには触れなかったけど。
また、消毒という概念があるということは身体を清める話に続いて教えた。熱湯や独自の酒精が強い酒により、病の原因をなくせることがあることなど。
穢れ。これもともとは病に罹らないようにする経験則なんだと思う。伝染病は隔離しないと広がってしまうからね。ただし、そこに宗教やら迷信が混じると面倒なことになる。
病に関しては、元の世界では頑なに理解を放棄して宗教に
そう言えば上皇陛下、ケティのこともご存知だったようだ。先代将軍の義晴さんに送った薬が確かなもので、よく効いたということが京の都でも知られているみたい。
その後も病院内をあちこち見て回られた。上皇陛下もそうだけど、同行している
傷の縫合や開腹手術などを説明した時には、皆さんギョッとした顔をしていたけど。ただ、侍医の人はもう少し具体的に聞きたいと言いたげな顔をしていたね。さらに人体模型もここにはあるが、それも興味深げに見ていた。
まあ、こちらからお教えしますよとは言わないけど。中途半端に教えて、おかしなことになると目も当てられないことになるし。朝廷が許可するとも思えない。
あとは薬や食事やリハビリといった、外科治療以外のことも皆さん興味深げに聞かれていた。薬食いはこの時代にもある。ただ、病や治療に必要な食事管理と、日光に当たることや寝たきりにならないためのリハビリなど、この時代だと他では正確に知られていないことも多い。
病院の視察が終わると、続いて学校の見学になる。こちらはアーシャと沢彦宗恩さんが案内係として同行してくれる。
ここもまあ、説明に困るんだよねぇ。教育と宗教の切り離し。不完全ではあるものの、ここではそれが実現している。少なくとも自分の信じる宗派の教えと違うからと否定する人は講師にはいない。
それを最初に禁止したからね。
実は学校ではすでに宗教の教えに関する研究も一部で始めている。これ教師陣以外には口外厳禁で資料・各自の筆記も
きちんと知りたいという嘆願のあった結果、学校外での議論を禁止して、色々制限も掛けて、その上で教えて研究をしてもらっている。いろいろと危険なのでオレはあまり気が進まなかったんだけどね。この時代の宗教関係者は神仏を本気で信じているから、熱心なんだよね。
当然ながら今回もこの件は上皇陛下には言わないことになっている。ここの議論が発端となって寺社同士の争いとか望んでいないし。
さて、学校に関してであるが、これは朝廷ではかつて学問所があったという事実がある。基本的な理念や目的は違うと思うけど、知識や技術などの伝承は朝廷に一日の長がある。
そういう意味では、そこらの武士よりも遥かに学校の価値は理解しているだろう。事実、昨年お越しになられた親王殿下、現在の帝や公卿などは大いに驚き考えさせられるものだという反響もあった。
「ここは
上皇陛下が少し驚かれたのは女子科の授業だった。なるべくいつもの様子が見たいという陛下の要望が、事前の側近要求を
文字の読み書きを教える初等教育から、専門性の高い教育までいくつかに分かれた授業をご覧いただく。
さすがに同じ日にここまで多くの授業をしている日は普段だと珍しいんだけどね。
「尾張では男も女も問わず学びます。本日は日々変わる世情や政などを教えていますね」
女子科は土田御前肝いりで、今年から始めた学科だ。授業がある日は人の集まりも良くて、遠方から来て学ぶ人すらいる。
織田家中の奥方衆向けの授業内容としては、家中の統治体制や分国法、また近頃では新領地のことや礼儀作法なんかもある。あとシンディが教えるお茶など、文化教養の授業も人気だと聞いている。
「……職人も学ぶのか」
大人しい側近衆が声を出して驚いたのは、ギーゼラが行なっていた職人育成の授業だった。
「家伝秘伝は各々で守り伝えればいいんですけどね。教え広めていい知恵と技は領民に教えて人を育てています」
基本的な概念や目指すものが違うんだなと改めて思う。あまり余計なことを言うと不興を買うので言わないけど。
職人、尾張だと足りないから育てないと職人の方が困るんだ。ところが他所だと、職人も寺社のお抱えであり既得権益で固められている。さらにあまり職人を増やすと仕事がなくなると職人にも反発されるだろう。
飢えで死ぬのが珍しくない時代だ。民の暮らしを底上げして国を豊かになど、考える以前の問題だからね。仕方ない部分も大きいとは思うけど。
「学びたいと願う領民には身分に問わず学問や武芸を教えます。それがここの掟になります。ただ、他家に軽々しく教えることはありませんが」
知恵や技を教えろとさすがに言わないだろうけどね。他所者には軽々しく教えられない。そこは念のため言っておこう。
上皇陛下は相変わらず言葉少なく、静かに多くの人が学ぶ姿をご覧になられていた。
こういう光景ですら
なんとかして差し上げたいけどねぇ。朝廷はあまりに厄介過ぎる。オレたちの手に負える問題じゃない。
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