第1492話・清洲の新商売

Side:久遠一馬


 病院と学校の視察。上皇陛下と側近の人たちの反応は程度の差はあれ、悪くないようだ。


 疑問や不満がないとは言わないけど、こちらもいろいろ考えて頑張っているんだということは伝わったらしい。


 上皇陛下の侍医。代々家職としている丹波家の人らしい。元の世界では俳優となった子孫がいた家系だ。彼からは、良ければまた見学したいという申し出が内々にあった。


 陛下の侍医ということで彼も穢れに触れられないので、いつでもどうぞとはいかないけど、子弟の見学や書物・書面のやり取りくらいならばいいかなと思っている。


 そんなこの頃だが、季節は秋に変わりつつあり、武芸大会の支度と予選会がもうすぐ各地で始まる。


「信濃、甲斐、駿河、遠江か」


 評定で議論になったのは新領地での予選会だ。まだ早いのではという意見もあるし、そもそも遠方のところは本選に出場しても領民は来られないのではという疑問もある。


「実の所、意味ある形にやれるか分かりませんけどね。こちらとしてはやる方向で考えてみてはいかがかと」


 信秀さんもこの件は少しどうなんだと言いたげだ。まあ、検地と人口調査も終わってないしね。ただ、象徴的な形で武芸大会を告知して、出場を求めるくらいはやってもいいかと思っている。


 現地の治安と予選会の状況を整えるの、多分甲斐だと無理なんだけどね。信濃は旧小笠原領なら出来るかもしれない。ウルザとヒルザがいるし。


 武士の出場は誰でもいいから来てほしいなぁ。移動費くらいなら出してもいいと思うんだけど。これは評定で議論が要るね。




「うん? あれ……」


 清洲城での仕事も終わったので那古野に戻ろうとしたけど、思わぬ光景に二度見してしまった。


 清洲ではよく見かける鉄で補強した大八車に、人が乗って走っていたんだ。リアカーみたいに横と後ろに短い板があるタイプだった。改造したんだろう。後ろの板を長くしているように見えた。


「ああ、あれでございますか。近頃、大八車を使って人を乗せ、生業せいぎょうとしておる者がおると聞き及んでおります」


 遊んでいるのかと思ったけど違ったみたい。資清さんが知っていた。


「面白いこと考えるね」


「馬車を参考にしたと聞き及んでおります。歩くよりは楽だということで評判だとか」


 史実の江戸時代にあった駕籠かごは身分社会で使えないからなぁ。馬車は日本在来馬とかロバでも牽ける貨客部かきゃくぶを幌にした軽量型もあるけど、あれでも武士階級以外にはまだ普及はしていない。


 改造型大八車はその点、賦役と荷物運びの需要が多くて普及しているんだよね。乗り心地は分からないけど、それでも移動が楽になると乗る人がいるのか。


 なんか宝恵ほえ駕籠からはや駕籠の前に明治時代の人力車が生まれそうだ。


「大八車について法を作る必要がありますね。人を乗せるのは構いませんが、身分ある者の馬車や馬と走る場所を分けると共に、乗る者の身を守るを考えたほうがいいでしょう。他にも決まり事だけでなく、許諾を上手く使い、諍いを防ぐ必要もあるでしょう」


「なるほど、左様でございますな。手配しておきましょう」


「ええ、お願いします」


 これはいい傾向だね。ただ、エルが言うようにこうなると交通ルールが要る。資清さんがすぐに動いてくれるようで、オレたちはその報告待ちかな。


 清洲は町の拡張の際に道幅を広げたからなぁ。今のところ問題ないけど、今後増えるのは考えなくても分かることだ。


「鉄道馬車、需要ありそうだね」


「左様に、あれば使う者は多いと思いまする」


 清洲では鉄道馬車を導入する計画がある。公卿とか京の都に戻られたので、そろそろ導入をしてみようかという話があり具体的な検討が始まっている。


 ただ、その前に領民が別の商売を始めるとはね。先を越されちゃった。


 ちなみに清洲から那古野、津島、熱田、蟹江などへの街道はすべて橋が架かっているが、現在その橋を石の橋脚にするべく順次工事が進んでいる。


 今は木製の橋と舟橋で、特に舟橋は水運が通れないという欠点があるので、時間を決めて舟橋を解いて船を通過させる時間を設けている。矢作新川で石の橋脚が成功したので、今は重要な河川かせん街道かいどう交差こうさ点から変えているんだ。


 人用大八車なんて登場したのは、そんな道路事情も関係あるんだろう。その気になれば行ける場所が多い。


 オレたちも頑張らないとなぁ。人の発想と町の発展は早いと実感する。




Side:とある清洲の町人


 いつの間にか日も暮れておるわ。数年前までは日が暮れると人が出歩くなどなかったものだが、近頃は日が暮れてから遊女屋や飯屋にいく者などが増えた。


「親父、いつものを頼む」


「へい、ありがとうございます!」


 かく言うわしもそのひとりだ。家の近くの通りには蕎麦麺の屋台がある。この屋台と蕎麦麺は久遠様が祭りの際に出していたものだと聞いたことがある。今では清洲でよう見るようになった。


 安いというほどでもないが、日が暮れてから飯の支度をするよりは楽でいい。それにこの蕎麦麺は八屋の蕎麦麺を真似たようで結構美味いんだ。


 ここには日が暮れてからよく来る。


「寒うなったな」


「そうでございますな。濁酒の燗も売れるようになってまいりました」


 夏の暑さが少し懐かしくなる。空を見上げると花火が見えるようでな。夏は麦酒を楽しむが、冬は濁酒の燗も飲む。澄み酒を温めた熱燗の喉と鼻にみる酒精が美味えんだが、いかんせん高くて手が出ねえ。


 出された熱い蕎麦麺をふうふうと僅かに冷ますと、一気にすする。


 ああ、汁が絡んだ麺がうめえ。


 隣の客が飲む濁酒についついわしも飲みたくなり頼んで一緒に飲む。


 蕎麦麺と濁酒で体の中から温かくなって、なんとも言えねえ気分になる。今日も一日終わったなと思えるんだ。


 かつてなら夜出歩こうものなら、なにをしておるんだと怪しまれるか、物取りのたぐいにあったものだが、今の清洲では酒を飲みに出る者が少なからずいる。


 警備兵がおるおかげで賊も少ねえし、酔っぱらっても身ぐるみ奪われることもないと言われるほどだ。


 ああ、それにしても熱い蕎麦麺はうめえな。汁も最後の一滴まで残らず飲み干す。


「聞いたか? 甲斐の?」


「ああ、あれだろ?」


 あとは濁酒の残りを呑んで帰ろうかと思うておると、近くの客がなにやらひそひそと話をしておる。


「尾張に生まれて良かったなぁ」


「ああ、あんなところで生まれたくねえ」


 あまり聞き耳を立てる気もないが、聞こえてしまうと気になる。しばらく聞いておると甲斐の話をしておるようだ。


 貧しくおかしな病がある国なんだとか。働けば食うに困らぬ今の尾張とはまったく違う。かつてのようにまともに働いても食えぬ国だと言うておる。


 そう、変わったのは守護様の斯波様に認められた織田様の国だけ。尾張者も皆が知っておることだ。生まれ育った村や町を出ると、周りはすべて敵だと思え。かつてはそう教えられた。


 他国は今も左様な国なのだ。


 なればこそ、いざという時にはお国を守らねばならぬ。近頃の清洲では戦や小競り合いが減ったからか、武芸を教える道場に行く者が増えた。


 清洲のお殿様ならば負けはせぬのであろうがな。


「親父、銭を置いておくぞ」


 酒は百薬。なれど飲み過ぎは駄目だと、薬師様の教えもかわら版にある。わしも帰って寝るか。




◆◆


 人乗大八車。


 元の大八車は、荷物を運ぶために久遠家の助言を基に工業村職人衆が作ったものになる。足回りや主要な部分を鉄で補強してあるため耐久性もあり、当時は荷物運びから賦役の土木工事まで幅広く活躍したものになる。


 この人乗大八車は、それを人が乗る用に簡素に改造をされたものであった。


 乗り心地は決していいとは言えなかったものの、当時はまだ馬車が高価で一般に普及しておらず、身分社会のために駕籠なども使えぬ清洲の町衆が考えて使い始めたものだと記録にはある。


 同年代の畿内の町と比較しても治安も生活水準も抜き出ていたことと、馬車のために河川に橋が多かったこともあり一気に広まったとされる。


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