第1485話・晩夏の信濃

Side:久遠一馬


 夏が終わる前に学校と孤児院の子供たちを連れてキャンプに行ってきた。


 野営という呼称にしているけど、これもまた子供たちの教育にいい影響を与えていると思う。


 すでに村などの生まれた地にある小さなコミュニティで生きる時代ではない。生まれ育った村を出て身分の違う人とも関わり付き合うことが増えている。元の世界とは違うけど、由来を同一にする集団のみだけでなく、多様な集団における協調性はこれから必須になるはずだ。


「ひとつの失敗が後々まで影響する。オレたちも気を付けないとなぁ」


 信濃からの報告書に思わずため息をもらした。小笠原・木曾・望月の旧領はまあまあ悪くない。ただ、諏訪と高遠、それとその他の信濃武田方の旧領は千差万別だ。


 新領地ということで相応の混乱と苦労はある。ただし、もとから戦と飢饉で疲弊していたところは急に良くなる筈なんてない。


 諏訪に関しては高遠領を荒らした者たちの粛清が諏訪分家重鎮の手で行われた。面目に懸けて蜂起するような噂もあったものの、諏訪神社の看板で許されるということがないと理解したからか、蜂起だけはしない・させないというのが現状のようだ。


「これではまた冬に飢えますな」


 まあ、臣従を完了していないところは口を出す問題じゃないからいいんだ。出雲守さんが若干複雑そうにしているのは、高遠を含む諏訪領やその他の信濃にある武田の旧領が思ったよりも良くないせいだ。


「信濃望月家は素直にこちらの指示に従っていたからね。助かるよ」


 本家とか総領は今も信濃望月家にある。望月さんが別に欲しくないというのでそのままなんだ。とはいえ力関係ははっきりしていて、信濃望月家の多くはウルザたちの下で働いてくれている。土地勘があるというメリットが大きいんだ。


 旧領にも春先にいち早く指示を出していて、農業改革のテストをしたり賦役をしたりしているので、隣の諏訪が羨むような状況らしい。


 ただ、こちらから見ると幾分マシというだけで安泰というわけではないけどね。


 駿河・遠江、この二ヵ国は臣従の交渉や諸問題で揉めているものの、喫緊で大規模に飢えるという状況でもない。そういう意味では助かるし、強権を発動しないだけ交渉が長引いているんだけど。


「最早、面目などと言うておられませぬからな。信濃本家は」


 まあ、厚遇もしていないけど、望月一族という名前は大きい。ウチの家臣で有名な一族だからね。織田家中でも相応に扱われる。運が良かったと本人たちは安堵しているだろう。


「真田領とかあっちのテコ入れもいるしなぁ」


 村上とか北信濃の勢力との境界にある領地は、脅威が目の前にあるので割と従順だ。御幸の際に来た村上の使者にも武田の旧領が織田に臣従をしたのは伝えた。よほど甘い見込みをしないと動かないと思うけど、問題は村上が旧来の国人や土豪の連合体なので領境の村がちょっかいを出すのはすでに発生していることか。


 村同士の争いレベルで大きな損害もないので、今のところ騒ぎにはなっていないけど。


「御家の医術でもすぐに治療は難しいとなると……」


 同じく資清さんが見ているのはヒルザからの報告だ。甲斐風土病の報告。現状だとやはり該当地からの移住が一番なようだ。この風土病、別に甲斐だけじゃないんだよね。駿河でも僅かに似たような病があると報告がある。ただ、甲斐ほど大きく露呈ろていしていないので、現地の国人に情報封殺されていて、今川家も知らないみたいだ。


 移住計画を本格的に考えたほうがいいかもしれない。ただ、ウチだとそこまで甲斐の事情を知らない。これは武田家に話をして彼らにも働いてもらう必要がある。


 甲斐に関しては養蚕とぶどうなどの果樹や畑を基本として、田んぼからの作物転換を検討するように報告しておくか。風土病対策は史実を参考にするしかない。


 ケティの話では治療薬はシルバーンなら製造が難しくないとのことだが、オーバーテクノロジー過ぎて少し出すのが難しいレベルだ。


 尾張から甲斐・駿河まで領地は広い。開発する地域も優先度が高い場所も幾らでもある。申し訳ないが、現状だと危険地域からの移住が一番効率的だろう。


 そういえば永田徳本さんが何故かヒルザのところに来たと報告もあったなぁ。医療活動、信濃でも出来る範囲でしている。それが理由らしいけど。


 史実の偉人だし、どうなるか楽しみな人だ。




Side:諏訪満隣


 夏も終わろうというのに田んぼの様子が良うない。長雨と冷夏で稲の実入りが悪いのだ。


 因縁の高遠がおらなくなり所領を取り戻した。されど荒れており、とても食えると言える状況ではない。


 織田方もいい状況とは聞いておらぬが、賦役と称して民を働かせ食わせておるとか。


 隣というてもそこまで近いわけではない。されど、噂はすぐに流れる。向こうが食えるのにこちらが食えぬと知ると不満が出てくる。逃げ出す者はとうの昔に逃げ出しておるので、大きな騒動にはなっておらぬがな。


 諏訪の神の御威光も地に落ちた。織田に要らぬと言われ、諏訪などなくとも領地は治まると示されては立場がない。


 兵を挙げて織田に意地を見せるのだと意気込む年寄りは僅かにおるが、おかしなことをせぬようにさせておる。


「望月が羨ましい」


 面白うも無さげに呟く者の言葉に皆が同意した。織田にとって諏訪の向こうの飛び地となるはずの望月が優遇されておる。正しくは久遠が助けておるようだがな。


 諏訪神社より望月などを優遇する罰当たり者と罵る者がおるが、先にこちらが高遠の一件で信濃を差配するために入った久遠家の面目にあだしたからな。


 尾張者の話では絶縁されなかっただけでも、配慮をされたのだろうと言うておったくらいだ。


 我らは諏訪の神の御威光を落とした愚かな類縁るいえんと子々孫々には罵られるだろうな。


 食えぬからと領民が近隣の村で盗みを働くが、織田は次々と捕らえ討ち取っておる。よくある程度のことだというのに織田は許さぬらしい。領境には鉄砲や金色砲と思わしき武器を持つ兵を置いておる。


 盗みを働く者は全て賊と思うておるのやもしれぬ。我ら諏訪神社と争う事も恐れておらぬのであろうな。


「もうよい、織田の条件をすべて呑む」


 もう打てる手がない。秋の収穫もあまりあてにならぬとなると、冬にまた飢える者が出て騒動が起きかねん。その前に動かねば、まことに諏訪神社の面目など消えうせてしまうわ。


 このままでは諏訪神社に対して一揆が起きる。それだけは阻止せねばならんのだ。


「小笠原殿ともう少し通じておけばよろしゅうございましたな」


「ああ……」


 信濃守護、小笠原長時。戦下手で愚かな男と思うておったが、己が戦下手と理解して真っ先に織田に降った。


 信濃では役にも立たなんだ礼法指南で尾張に呼ばれておるほどだ。織田も従順な小笠原を気に入ったのか、あちらへの手助けは信じられぬほどしておる。


 信濃の一切を任されたともいわれ、長時の胸ひとつで扱いが変わるとも。武田に降ったことで疎遠になったことが仇となったわ。


 愚か者には愚か者の生き方があるのであろうな。長時にそれを教えられるとは。



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