第1483話・雪斎さんの宴・その二

Side:エル


「お方様、ご到着されたようでございます」


 ちょうどいい頃ですね。こちらの支度はもう少しというところ。


 しかし、すずとチェリーがやりたいと言いだしたビンゴゲームで今川の太原雪斎和尚が特等を当てるとは……。


 実は、今川家と当家の間は微妙に良くありません。司令が各方面に出した抜け荷をやめるようにとの要請を、ことごとく無視した張本人たちの依頼元とも言える売り先なのですから。武田家のように身一つで降るとまだ楽なのですが、戦に負けておらず二ヵ国で臣従をしたという面目が厄介になっています。


 確かに今川として謝罪の使者は来ました。ただ、それでも久遠家として独自に懲罰を科すと決めたことで、駿河・遠江では司令に対して何様なのだと怒っている者たちも多い。


 司令を怒らせると駿河・遠江だけ貧しくなることもあり得ると知っている、寺社奉行である千秋殿や堀田殿が温和な御方なので、説得と説明をされていることでなんとか収まっています。


 まあ、今までと同じような地位や立場で扱わないと、どのみち不満を持つ者たちなのであまり気にする必要もありませんが。


 そんな今川家が当てるとは。偶然とは時には思わぬきっかけになるのかもしれませんね。


「ようこそおいでくださりました。エルと申します。本日の料理を作らせていただきました。ご要望にありました精進料理。あまり慣れぬので不手際もあるかもしれませんが、良しなにお願い申し上げます」


 司令と共に挨拶をしますが、見覚えのある者と初見の者がいますね。太原雪斎和尚と、今川治部大輔殿と嫡男である彦五郎殿、寿桂尼殿を筆頭に今川重臣が数名と雪斎和尚の弟子でしょうか。僧籍の者も複数おりますね。


 人数は調理の為にあらかじめ知っていましたし、今川の重要人物はまだまだ監視対象です。ですが思った以上に先々さきざきを考えて人を呼んだようです。


「せっかくのお招き故、ありがたくお受けいたしました。馳走に願いを出すなど初めて故、何卒、良しなにお願い致しまする」


 全体として少し表情が固いでしょうか。前例のないことですので、戸惑っているというところでしょうね。


 当家ではすでにテーブルでの食事が多いですが、この日は精進料理ということで膳での料理になります。いろいろと考えたんですよ。正直言うと。


 家中の者たちや織田家の者たちならば、楽しい宴になるだろうと思っていたので、そちらで考えていましたので。


アペリティフaperitif、日ノ本の言葉で食前酒。食をるにあたり、内腑ないふ活力かつりょくをと思いましたので、金色薬酒になります」


 食前酒として金色薬酒を出します。これはすでに薬として名が知られているものなので、般若湯などと言わずとも問題ないでしょう。


 しかし、静かですね。宴というとらえ方をしていないのでしょう。


「本日は茶を主に用いてみました。太原和尚は臨済宗の禅僧であるとか。臨済宗の開祖栄西禅師は宋の国から茶を持ち帰り広めたお方。その茶を使った料理と当家の料理を幾つか用意してございます」


 運ばれてくる膳を見ると、ようやく表情が和らいだようです。私も少しほっとしました。今回の趣旨を説明すると、僧籍の者たちの表情が少し驚きに変わりました。


「茶を料理に用いたということでございますか?」


「はい、お口に合えばよいのですが」


 そんな中、ようやく口を開いたのは彦五郎殿です。やはり社交性は抜群ですね。正直、こちらも助かります。


 ご飯は史実の奈良茶飯を私なりにアレンジしたもの。そもそも今は煎茶すら当家でしか扱っていないので、奈良茶飯もこの時代にはありませんからね。汁物は粕汁にしました。肉や魚を使えなくともこれならコクのある汁物になりますので。


 次にがんもどきの煮物。このがんもどきもこの時代にはまだ存在しないもので、元の世界のように豆腐を潰したものに野菜を加えて油で揚げてあります。季節の野菜と馬鈴薯と一緒に、昆布出汁と酒、味醂、醤油で味付けして煮込んであり、味が染みるように少し置いて冷やしてあります。これなら暑い季節でも美味しいですから。


 夏野菜のサラダもあります。胡麻ごまと抹茶のドレッシングが香り良く、こちらは彩りもいいですね。膳が華やかになります。


 メインは野菜の天ぷらです。野草とナスなどを揚げていて、こちらは抹茶塩で頂けるようにしました。


 ああ、海苔と豆腐で作った鰻のかば焼きモドキや、ソイミート、大豆を使った代用肉の肉団子の甘酢あんかけもあります。


 洋食や中華も考えたのですけどね。精進料理と理解出来る和食にしました。少しこちらを試しているのではとも思えたので。


 さて、あとはデザートだけですが、豆乳アイスの抹茶仕立てです。それは食事が終わった頃に出しましょう。私と司令も下がりますので、身内だけで心ゆくまで楽しんでいただきたいものです。




Side:太原雪斎


「これが精進料理か」


 久遠殿と大智殿が席を外すと、重臣らは少し安堵したような顔をした者がおる。よく分からぬ相手と思うておるのであろうな。


 精進料理はこちらが利するもの。ただ、久遠には唐天竺の知恵がある。いかなる精進料理を作るのかと興味があった。


 飯を一口食うて理解する。こちらの思惑など見抜かれておったことを。茶飯と言うたか。茶粥ならば存じておるが、これは別物であるな。米が美味いのはすでに存じておるが、茶の味というのであろうか。それが上手く飯と合っておって箸が進む。


 拙僧も清洲城で幾度か食うた尾張料理より、さらに洗練されておるのが分かる。昆布も使うており、煮物は豆腐を料理したものか。豆腐を揚げるのは食うたことはあるが、これまた別物と言えよう。


 天ぷらとやらは茶と塩を混ぜたもので食う。ああ、歯ごたえと衣がまたいい。中のナスであろうか。これがまた茶と塩に良く合う。これだけ料理があっても茶を確かに感じるとは。


「和尚が降ることに拘ったのがよう分かるの」


「岡部殿……」


「精進料理。仏道に入っておらぬ久遠家の者がいかほど知るのかと思うたが、これほどの料理を出したのだ。下手をすると仏道も我らより知っておるとみるべきよ。和尚が臨済宗であることを考慮して茶を料理に生かす。気遣いも心憎い。金色砲で一捻りにするばかりでないとなると、おいそれと敵には回せぬな」


 静かな中、岡部左京進殿が口を開いた。わざわざこの日のために尼御台様と共に駿河から来たのだ。いかに受け止めるか。他の者も注視しておった。


 その岡部殿の言葉に皆が僅かにうつむく。戦えなんだ後悔が皆にある。望まぬ新しい政に苛立ちもな。されど……。


「最後に菓子をお持ち致しました」


 ぽつぽつと口を開き、今後のことを話しつつ食事を終えると、再び久遠殿と大智殿が姿を見せた。


 これは……、まさか……。


「茶の氷菓子になります。溶けぬうちにお召し上がりください」


 御屋形様を筆頭に皆の顔つきが変わった。この夏に氷菓子だとは。最後まで手を抜かぬということか。しかも茶の氷菓子など聞いたこともない。


「なんという……茶の味が確かにします」


 尼御台様が驚きの声をあげられた。冷たく口に入れると溶けてしまうが、確かに茶の味がするのだ。甘さと茶の味が一体となり、すべてを溶かしてひとつにしてしまう。


 そんな味のする氷菓子になる。


「和尚、駿河や遠江は案ぜずともよい。我らに任せて、体を労わられよ」


 尼御台様や岡部殿らはしばらく尾張で織田の治世を学ぶことにするようだが、拙僧は病院に戻らねばならぬ。


 別れ際に岡部殿がかけてくれた言葉に胸が熱くなる。


 岡部殿とて、拙僧のすべてを認めて賛同してくれたわけではない。されど、過ぎたことで人を責めることを良しとせず、御家のために尽くそうとしておる。


 左様な岡部殿と御屋形様らを見送り、ひとり別の道で病院に戻る。ただそれが寂しく感じてならぬ。




◆◆

 永禄元年七月、御前海水浴の海くじにて特等を当てた太原雪斎が、久遠家による饗応の食事に招かれたことが記録として残っている。


 雪斎は今川義元・氏真・寿桂尼や今川家重臣、それと自らの弟子を呼んで共に食事を楽しんだようである。


 臣従まもなくということもあり、今川は相応に苦労をしていた時期であり、雪斎自身は薬師の方こと久遠ケティにより病を見抜かれて入院中であった。


 食事中は静かで、同年頃の清洲城での宴と比較すると物静かな食事会のようであった。


 料理は雪斎の希望で精進料理だったが、大智の方こと久遠エルが思った以上に精進料理を熟知していたことに驚いたという逸話が残っている。


 この際に岡部親綱は久遠エルの料理から久遠家の奥深さを悟り、臣従も致し方ないと雪斎を労ったという。


 一馬と今川は特に政治的な話をしたという記録はないものの、この一件で今川家中は少なからず久遠家を理解しようとしたと幾つかの資料が示している。



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