第1481話・別れと新たな出会い
Side:マドカ
三木殿の葬儀には京極殿を筆頭に多くの織田家家臣が来ているわね。守護様と大殿は名代だけれど、これは上皇陛下が滞在されていることを考慮してのこと。
旧主である姉小路殿も名代ね。京極殿が来たということは、しばらくは上皇陛下に会って細かい相談をする人が彼しかいなくなるということ。守護様と大殿と同じく穢れを避けたということだと思うわ。
院の側近が清洲城に来る者は穢れに触れるのは良くないと暗に圧力をかけている。
しかし、穢れねぇ。故人を見送ることを穢れとするのは個人的には好きになれないわね。古い時代の知恵だとそう理由付けして避けるのは当然なのでしょうけど。穢れに触れたくないなら、どっかの寺にでも滞在したらいいんじゃないかしら? 少なくともアタシたちに強要しないでほしい。
まあ、アタシは皇室なんて関わりたくないし口は出さないけど。
「本日はご足労いただき、
喪主は三木家を継ぐ次男か。葬儀だというのに表情は悪くないわね。やれるだけのことはやったと思ってくれているなら、ケティとパメラも頑張った甲斐があるわ。
葬儀は清洲で行なったのちに、飛騨にある菩提寺で埋葬するそうね。尾張に来たことを後悔はしていないようだけど、先祖代々の菩提寺で眠りたいとのこと。
正直、アタシは何度か往診で会っただけで三木家と親しくはない。ただ、他にも往診で顔見知りの人などがいることと、大殿の名代として来ている勘十郎殿とはそれなりに会ったことがあるだけ。
大人しく周囲の会話を聞いていると、飛騨訛りが多い。
山深い飛騨から見ると、尾張は眩しいくらいの都会なのね。故郷を懐かしむと同時に惜しい人を亡くしたと悲しんでいる。
「凄いですね。三木殿は久遠家の医術にて死の淵から一旦戻ってきた。そう噂されております」
ウチが偉くなったせいか、席の隣は勘十郎殿だ。アタシに気を使ってか声を掛けてくれる。
「それは違うわ。生きたのは人なのよ。医術はね。学問であり技なの。最後にモノを言うのは人の力。三木殿はね、最後にきっと皆に声を掛けたかったのよ」
ケティなら
生きるという意味はアタシたちもこの世界に来て学んだこと。いくら医術を駆使しても本人に気力がなければ、この時代でアタシたちに許される医療レベルでは助からない。
「それでも、その手助けをしたのは医術ではありませんか。左様な学問を学べること我らは感謝せねばなりませんね」
ただ、勘十郎殿はアタシの言葉を否定することなく笑みを見せた。
若殿と違い、穏やかな人柄ね。環境を変える事が出来たのも大きかったのでしょうけど。それに学校に通い、アーシャが指導した成果もあるみたいだわ。物事の受け止め方がいい感じね。
きちんと物事が見られれば人は変われるわ。着実に進んでいる。
みんな頑張っているわね。
Side:ヒルザ
信濃の統治を進めていると面白い人が訪ねてきた。
「某、永田徳本と申しまする。お目通りが叶い嬉しく思いまする」
史実で医師として名を残した男。『医聖』『十六文先生』『甲斐の徳本』などと呼ばれ、真相が定かでない伝説すらある人。そう言えば諏訪にいるって聞いたことがあるわね。
私もそれなりに忙しい。会うのはそれなりの理由がいるのよね。ただ、彼は荒れている諏訪や高遠で治療を施し続けていた。
あり得ないことよ。この時代で貧しい者の治療をするなんて。下手をすれば治療をした者に襲われかねないのに。
「ヒルザよ。本日はいかがしたのかしら?」
織田が信濃に来て以降、様々な動きがあった。ただ、この人は私たちに特に関わろうともしていなかった。今頃来たのはどんな理由があるのか興味があった。
「甲斐の腹が膨れる病『はらっぱり』を治そうとされるとか。及ばずながらお力になれるかと参上致しました。某、今は信濃におりますが、かつては甲斐におったこともございます」
「残念だけど治療法はまだ見つかっていないわ。原因らしきものは推測出来て、『泥かぶれ』に罹った者がやがて『はらっぱり』に至ると
まさかの理由だわね。嘘をついて自分を高く売るような人物ではない。本気のようね。
「噂以上ということでございますな」
「貴方なら教えてもいいかしらね。原因は小さな虫だと思うわ。寄生虫。私たちはそう呼んでいる。人の体内に入り悪さをする。どこで、どうやって人の体内に入るか。そこを見極める必要があるの」
こちらの話を教えると、興味深げにして考え込んだ。おそらく過去に治療を試みたことがあるんだろう。
「田んぼではございませぬか?」
そこまで掴んでいたのね。さすがはこの時代で名を残しただけのことはある。
「ええ、それは確かだと思うわ。ただ、そこからどうやって入ったのか。水に人の目に見えないほど小さな虫がいるのか、それともなにか他の生き物に紛れているのか。治療法を見つけるにはそこからはっきりさせる必要があるのよ」
「ほう、左様な考え方をするのでございますか」
「手助けをしてくれるなら歓迎するわ。ただ、もし当家の医術を学びたいというなら、こちらの掟を守ってもらう必要がある。そこは理解してね」
秘匿したいわけではないけど、中途半端な医術の開示は弊害になりかねない。きちんと学んで正しく使ってくれるならいいんだけどね。
「織田様の政には、某、感服致しました。いろいろとお忙しい様子。出来ることを致す所存故、何卒良しなにお願い申し上げまする」
まあ、悪い人じゃないのよね。とりあえず様子を見ましょうか。諏訪家から頼まれてきたのかと少し疑ったけど、それも違うようだし。
医師は人手が足りてないのも事実。今後を考えると尚更ね。
◆◆
永禄元年七月、三木直頼が尾張国清洲にある屋敷で亡くなった。飛騨の国人として生まれ、一時は国司である姉小路家を脅かすほどの勢力だったようであるが、織田家が美濃を統一したことにより姉小路家が織田に臣従をしてしまい、直頼もまた臣従を選んだ。
同時代の織田領と接することになった国人領主の典型的な流れのひとつであった。
ただ、六角家に敗れ三木家を頼った京極高吉を、京極家として恥ずかしくない体裁で将軍足利義輝の下に送り届けるなどしており、時世は見えていた人物だったと思われる。
これに関しては高吉の処遇を斯波義統が仲介しており、直頼が織田と斯波に高吉の扱いで困り尾張を頼り、その結果のことであった。現在も三木家には義輝が高吉を連れてくるように命じた書状が残っている。
織田家臣従後は今までとまったく違う政を学び、苦労をしたようであるが旧領となった飛騨の安定に力を尽くしている。
病に倒れたあとは薬師の方こと久遠ケティや光の方こと久遠パメラなどが何度も往診をしたという記録もあり、その様子からも織田家中において一定以上の働きをしていたことが窺える。
最後は病の床に伏せることが多くなり意識不明となるも、久遠パメラの治療により意識を一時回復。子や孫たちに別れを告げて亡くなっている。
この件は当時少し話題となったようで、『三木殿は久遠の医術にて黄泉の国から一時舞い戻った』と言われるほどの驚きだったようだ。
なお、久遠パメラの懸命の治療に三木家の者は涙を流して感謝したといい、京極家を継いだ京極(三木)高頼や三木家を継いだ三木真澄など、京極家と三木家は織田の家臣としての道を定めた直頼に恥じない様にと活躍するきっかけとなったと伝えられている。
直頼は死の直前、久遠パメラの計らいで当時まだ珍しかった馬車にて花火見物に出かけており、花火を見て三木家の安泰を悟ったという逸話もある。
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