第1478話・夏の日のこと
Side:久遠一馬
暦は七月に入った。夏真っ盛りだ。
尾張ではヒマワリが咲いているのを時々見かける。オレたちが持ち込んで以降、毎年植えているので、近年では見かける場所も増えた。種は食用にもなるし油も搾れる。
商業化とまではいかないものの、田畑を使わないで花を楽しめて種も得られるということで、公園など以外でも武士の屋敷などで植えている人もいる。
まあ、武士と言っても千差万別で、半士半農だった人なんかは屋敷の庭を畑にしている人も珍しくない。戦に備えるという名目もあるしね。
さすがに清洲城にはないものの、那古野城には芋や野菜を植えている畑がある。ウチでも当初から畑があるし、尾張だと別にそれが普通だ。
夏のこの時期に売れるのは蚊取り線香だろう。これ製法を尾張にもまだ伝えていないので専売状態なんだよね。領外だと石山本願寺が特に欲しがる。どうも蚊と関係ないお香として使っているみたい。
こっちの言い値で毎回買うのでほんといいお客さんだ。
無論、比叡山とか他の寺社にも本願寺ほどの量ではないが売っている。大和の興福寺には柳生家が仲介して売っているし、比叡山は近江商人が、紀伊の寺社には大湊が売っている。
新領地の寺社とは微妙な関係だけど、畿内の本山クラスの寺社とは今のところ大きな懸念はない。不満とかはあるんだろうけど、現時点で争うほどじゃない。末寺が織田と多少揉めても、基本として現状維持でいいという方針なので攻める口実もない。
朝廷と幕府とも懸案はあっても争うほどじゃないしね。現状がある意味、巨大勢力となった者の定めなんだろう。
「みんなありがとうね。ちゃんと休みながらやるんだよ」
「はーい!」
今日は孤児院の子供たちが屋敷の庭の草むしりに来てくれている。奉公人もいるんだけどね。夏場はすぐに草が伸びる。孤児院の子供たちが定期的に細かいところまでやってくれるんだ。
ウチの屋敷、温室とかあるからね。信用出来ない人を屋敷の敷地に入れて頼むわけにもいかないし。
「おっ、今日はそうめんか」
「ええ、子供たちに食べさせてあげたくて……」
ちょっと台所によると、エルがそうめんの支度をしていた。『暑いしそうめんでいいや』というような気軽なものではない。
尾張でもそうめんは高級品だ。当然ながら製法は知っているんだけどね。畿内から買っている数少ない品だし、手を出していないんだ。
「子供たちも好きなのよね」
すでに出産予定日を過ぎているメルティが、支度をするエルたちを眺めていた。お腹の子に異常はない。ただ、のんびり屋さんな子なんだろう。
さすがに絵もしばらく描いておらず、大武丸たちとかと過ごしている。
「じゃあ、オレも手伝うよ」
喜んでくれるだろう。夏場にそうめんは美味しいからね。子供たちの笑顔を思うと楽しみで仕方ない。
Side:
あれから幾度も夏を迎えた。
分不相応とも思える屋敷に住めるようになり、おっ父とおっ母や兄弟たちもみんな殿に仕えて働いている。
故郷の村にあった家や田畑は親戚にやった。かつて織田の若殿と一緒につるんでいた奴らもほとんど同じだ。殿に仕えなかった奴も警備兵や火消し隊で働いていて一端の武士と言えるようになった。
オレか? オレは少し立身出世出来たと言えるだろうか。役目を任されることも増えたし、若い奴らを教え導く側になった。
子の久丸も大武丸様たちの遊び相手としてお屋敷に行っているくらいだ。
「金次。遥々、よう参った。今日は暑いな」
今日は霧山御所に来ている。殿からの書状を亜相様に届けに参ったのだ。
「はっ、過分なお気遣い恐れ入ります」
北畠家も忙しそうだ。途中大湊に立ち寄ったが、あそこも活気があり忙しいと言うていたほどだ。
「そなた、この後いかがする? 少し遠乗りに付き合わぬか?」
「亜相様のお供ならば喜んで!」
書状は宇治山田のことだ。すでに逃げ出した商人や職人らも多く、残された宇治山田の動きを亜相様に知らせるものだと聞いている。
その返書をもらい受けると、亜相様から予期せぬ誘いを受けた。
「霧山は窮屈で敵わぬわ。内匠頭殿が立身出世を拒むのも少し分かる。尾張は皆が信じて励むというのに北畠は未だ疑心や二の足が先に立つ。困ったものだ」
亜相様としばし馬で遠乗りをすると、少しお疲れの様子で本音をこぼされた。
心情は察するに余りある。尾張とて今でこそ変わったが、かつては同じだったのだ。殿が尾張に来る前には、織田の若殿がよう同じような愚痴を零していたことを思い出す。
「時が必要ではないかと愚考致します。尾張とて時をかけて今に至りますれば……」
「そうだな。だがな、尾張は変わるのが早いのだ。北畠は置いてゆかれぬように必死よ」
北畠を置いていくなどあり得ぬと思うが。とはいえ変わり続ける尾張を見ていると焦るのであろうな。
公家衆どころか公卿ですら、尾張に捨てられるのではと案じておると八郎様が言われていた。外から見た御家とオレが知る御家は随分と違う。
「そなたは良き主に仕官したものだ」
「某は織田の若殿に命じられて仕えただけでございます。あの頃の我が主の家があまりに人がおらなかった故に」
「ふふふ、羨ましい限りよ」
吹き抜ける風とお天道様に亜相様のお気持ちも幾分晴れたらしい。
多少なりともお役に立てたならば、良かった。
Side:武田晴信
力ある者が相手だと、穴山と小山田でさえこれほど大人しゅうなるのだな。同盟者だと大きな顔をして勝手ばかりしておった者らが、従順な家臣のように
「今まで通りでよいのであろう? そう申し渡したはずだ」
「その件につきまして異論はございませぬ。されど、商人の売る品の値があまりに違いすぎており……」
「織田では領内に売る品の値を定めておる。商人も品を作る者らも、皆が食うていけるように気配りしておるのだ。余所者に同じ値で売るはずがなかろう」
遅いな。久遠寺など最初の挨拶でその件の嘆願があったというのに。久遠寺も教えてやればいいものを。いや、それはわしも同じか。厄介な奴らの内情に首を突っ込むほど暇ではない。
「されど、このままでは我らは……」
「知らぬ」
「……?」
「すでに同盟もなきそなたらのことなどわしは知らぬ。所領の安堵はしておるのだ。あとは勝手にしろ」
大殿からこの件での命はない。織田の法に従うなら臣従を許してもいいとは内諾を得ておるが、直臣にはせぬとも言われておるのだ。さらに俸禄にするにも検地で実情を把握してからという。貧しき甲斐ではこやつらの俸禄とて厳しかろう。
この者らが納得をする面目を保っての臣従は難しい。
「なんと冷たい……、それが長年甲斐武田家を支えておった我らに対するお言葉とは思えませぬ」
「わしが気に入らぬと同盟を破棄したのは
まだまだだな。情けに訴えるくらい面目を気にする間は許さぬ。
織田に降ったのをそなたらのせいだとは言わぬ。されど寝首を搔くような卑怯者の家臣はわしならば要らぬ。
要らぬのだ。
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