第1477話・医学の道
Side:ヒルザ
信濃松尾城からほど近い場所に臨時で設置したゲルに私はいる。周囲を柵で囲み、城と比べると浅いものの堀もある。
そこに甲斐からの報告書と日本住血吸虫症の患者が数名移送されてきた。
「祟りの類ではないようでございますな」
実はすでに織田の医師が、甲斐国内の比較的安全な地域で患者の診察と、亡くなった患者の病理解剖をしている。その報告もあるので、この時代としてはありえない科学的な研究が出来ている。
医学は綺麗ごとだけでは進まない。不幸にもお亡くなりになられた方の病理解剖などは尾張の病院でもしている。人の臓器やその機能ですら、この時代ではそれすら知らないことだらけとなり、必要なことになる。
その他、武田家の協力で地元での聞き取り調査も行なっていて、『水に触れると腹が膨れる病になる』とか『田仕事をしているとなる病』などという経験則からくる話も聞き出せていた。
それらの結論から、病の原因は病原体だと推測されるという答えまでは織田の医学として導き出せた。寄生虫などはこの時代ではよく知られているだけに、推測だけならばそれほど難しくはない。
「これでは病を治すより、当地から人を移したほうが良いと思えまするな」
現在信濃にはケティたちが育てた数人の医師が来ている。甲斐に入った医師の報告もあり医学のために研究はするものの、喫緊の対策としては人を移住させたほうが早いというのが医師団の結論だ。
人口も多くなく、さほど住みやすく人が集まる土地でもない。
「それは大殿がお考えになるわよ。私たちは原因究明と治療法を探すのが役目ね」
この時代ではウチにしかない顕微鏡などの機器も、那古野にあるものと同レベルを持ってきている。また感染症対策も出来る範囲ではあるが教えているので、二次感染を広める危険は今回に限ればないだろう。
とはいえこういう医学の積み重ねは時間と試行錯誤が欠かせない。時間をかけてやるしかないわね。大部分は私以外の医師でもすでに出来る人がいる。彼らに経験を積ませる必要もある。
私はいろいろと忙しいのでこの件だけに構っていられないのよね。ほんとケティが人を育ててくれてて助かったわ。
Side:久遠一馬
海くじで特等を当てた、雪斎さんをウチに招いての食事については本人と相談している。雪斎さんには妻子がいないようで、雪斎さんが招きたい人を一緒に招くことで話が進んでいる。もともと当てた人の家族とか一族は呼んでもいいと考えていたからね。
尾張では御幸関連の招待客が帰ったことでようやく一息ついている。小耳に挟んだ限りだけど、上皇陛下も少し安堵されたようだと推察されるとの報告がある。尾張と朝廷の懸案は上皇陛下のお耳には入れていないけど、多少感じるものはあったのかもしれない。
学校の視察や領内の見聞など、あまり仰々しくやらないで済むように出来ないかと相談もしている。上皇陛下も御自身の威光を広めようとかあまりお考えでないようだしね。
「ええ、いいと思いますよ」
この日は土務総奉行である氏家さんが姿を見せた。開発が多い織田領では大変な役目の人で、時には自ら現地に出向くこともあるとか。
予算・人員は有限だ。そこに費用対効果や将来性を見極める必要もあり、また権威ある寺社などが近くにあると厄介になる。寺領の大半を放棄したとはいえ地元の開発などとなると口を挟むところが多い。
それは地元を知るが故に有益なこともあるが、迷信や彼らの立場などによる個人的な事情だったりもするので厄介なんだ。
開発関連だと街道整備は比較的楽なんだけど、面倒なのは河川だった。治水対策と流路変更などは大事業になり土務総奉行の一存で進められないので各所と調整も要る。
あと川に橋を架けるのも地味に大変なんだよね。三河の矢作新川以降は、石の橋脚を尾張でも採用して橋を架けているところがある。ただ、橋は河川が安定しない場所だとなかなか難しいものがあるんだよね。
「駿河・遠江の大掛かりな賦役は、今年は難しゅうござろうな」
「今は信濃と三河・美濃の街道が先ですね。因縁とは厄介なことで」
尾張南部だと馬車や大八車も増えているので、舟橋を含めて川には橋があり街道も整備されている。それは氏家さんの功績でもあるだろう。そんな氏家さんも駿河・遠江には頭を悩ませている。
新領地はどこも大変なんだけどね。因縁やらあった土地というのは気苦労も多い。
伝馬伝船の整備が最優先で、逓信奉行である林秀貞さんと相談してすでに一部で賦役による整備が始まっているものの、駿河・遠江は臣従交渉が少し難航している影響で聞いていないと騒ぐ人もいる。
臣従をしたと理解していても、長年対立していた地域同士の関係とは難しい。心情や習慣から理由もなしに感情的に反発をする人が相応にいる。
まあ、東三河も割と最近だからね。素直に従うようになったの。西三河が発展して豊かになり始めたのを見て、ようやく大人しくなったと言える。
「北美濃と飛騨とて相も変わらずでしてな」
「あっちは街道整備と維持に努めるしかないですね。幸いなことに食べ物はなんとかなります」
飛騨と加賀の境にある白山の噴火の影響は今年も続いている。避難民による賦役で街道整備を主にしていて、氏家さんが頑張ってくれているんだ。
食料はオレたちが持ち込んだ南蛮米を筆頭に他国より優れた品種や農法で増産が出来ている。備蓄も進んでいて大規模な飢饉に対する備えもしてある。
新領地で比較的順調なのは信濃の織田領になる。西信濃の木曽家や小笠原家が協力的なこととウルザたちが入ったことで、初めての作付けにしては上出来と言えるだけの作付けが出来ている。
蕎麦や大豆や雑穀を中心にとりあえず耕作面積を確保していて、唐辛子や野菜も一部で栽培テストをしている。あと山の村の家臣が信濃に入り、山の状態の確認なども行なっている。山林資源の状況と収入源になるものの見極めだ。
まあ、信濃は織田領以外と、旧武田方の臣従交渉などで手間取って春の作付けを織田主導で出来なかったところは苦しいんだけど。
落ち着いているのは伊勢と三河か。特に伊勢は地力がある土地だけに、一定の収穫を見込めるのは本当にありがたい。北伊勢は今も土地を直接織田家で握っているので、公営農業を続けていて、これ今後どうするんだと議論にはなっているけど。
農民に報酬を払って農業や賦役をやらせているんだ。今のところ余所が飢えているので上手くいっているけど、これ続けると共産主義みたいに停滞して発展が遅れるからなぁ。
幾つか解決策はあるものの、どれもベターな選択肢ではあれどベストではない。頃合いを見計らい領民に農地の管理を
◆◆
永禄元年六月下旬、信濃松尾城近辺に日本住血吸虫症の研究治療施設が設置されたと『久遠病院史』にある。
甲斐の風土病として古来よりあった日本住血吸虫症であるが、当時は迷信なども多く医学としての研究などは行われていなかった。
薬師の方こと久遠ケティを筆頭にした久遠家と織田家の医師たちが、甲斐武田家が織田家に臣従したことで原因究明に乗り出したのがこの施設になる。
現地で差配したのは明けの方こと久遠ヒルザ。友であり血縁があったとも言われる久遠ウルザと共に三河や美濃を転戦して安定させた人物であるが、医師でもあり最前線で治療を施したとの記録が幾つも残っている。
当時は久遠家にしか存在しなかった、顕微鏡などの医療と研究機器を用いての近代的な病理研究の始まりであった。
甲斐の風土病の研究施設を信濃に置いたのは、ヒルザと医師たちの安全を最優先に考えた織田信秀の意向だった。
これ以降、久遠家と織田家の医師は科学的な見地からの医学の研究と発展に尽力していくことになる。
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