第1476話・平時に戻ると……。

Side:久遠一馬


 六月は残りわずかとなっている。仙洞御所完成まで尾張に滞在される上皇陛下とお付きの近侍衆を除き、公卿と公家衆は帰路に就いた。


 懸案が解決したとは言えないものの、今後も話をすることだけは確認した。大きな成果と言えばそのくらいだけかもしれない。


 帰る前の最後の話し合いで、オレは近衛さんたちや公家衆や幕臣を前にとある本音を打ち明けた。『私としては畿内との商いを止めたいところもあります。正直、面倒が多い畿内との商いは喜ばしいことではありません』と話したんだ。


 最後の最後で公家衆や幕臣には驚天動地の驚きとも言える顔をされた。ただ、織田家の皆さんは特に驚きはなかった。もともとオレが畿内に深入りすることを望んでいないのは周知の事実だからね。


 売って当たり前。権威ある者に売るのは儲かり名誉なことだ。そういう彼らの価値観に釘を刺したかった。


 申し訳ないけど、既に織田領は領内だけで経済成長が可能になりつつあるんだ。ウチとしてもそれだけで十分利益になるから、無理に畿内と商売する必要はないんだよね。気づいていた人も僅かにはいたようだけど。


 義輝さんは公家衆と共に観音寺城に戻った。観音寺城から都は六角と三好の兵を中心に送るそうだ。御幸ではないので帰路の警備や待遇も落ちる。これは仕方ないことだろうね。


 それと次代を担う、六角家の義弼よしすけ君や三好家の義興よしおき君、北畠家の具房ともふさ君なども帰った。彼らは滞在中には学校を見学していて、尾張文化と呼んでいいか分からないけど、こちらの国を多少なりとも学べただろう。


 あと朝倉義景さんや北条氏康さんたちも帰った。朝倉家とは良くも悪くも状況が膠着している。双方ともに状況を動かそうとしてないので、当分このままだろうね。


 北条とは今後は親密にいろいろと話す必要がある。本音を言えば織田家としては朝廷よりもこちらの優先度が高い。経済格差から来る混乱に織田家が慣れたこともある。また、関東がいろいろな意味で厄介な地ということもあるけどね。


 ああ、信濃・甲斐・駿河・遠江の懸案は相変わらずだ。話し合いをしている最中に大小さまざまな問題が発生する。面倒なのは寺社か。信濃で言えば諏訪神社が諏訪領と旧高遠領をなんとか押さえているけど、治安と領内の混乱は続いている。


 こちらとしても旧高遠領からの流民と賊が増えて以降、諏訪への食糧の安価な支援は停止したままだ。一応、敵国基準ではなく他国基準での商いは禁止していないものの、全体的に苦しいようだ。


 臣従の交渉もこれからようやく始まるという段階なんだよね。


 それとめんどくさい因縁が残っていることが微妙に火種になっている。先に挙げた諏訪分家の高遠と小笠原分家が、甲斐武田のところで今も残っているんだよね。そこらが騒いでいるとの報告が入っている。無論、領地も碌にない人たちなので、武田家家中で騒ぐしか出来ないんだろうけど。


 武田家、晴信さんたちは頑張っているものの、過去の所業による因縁が本当に面倒になっている。


 今川は大きな争いはないけど、実際に検地と人口調査の段階になって聞いてないと騒ぐ人や邪魔をしようとする土豪や村が幾つかあると聞いている。


 今川家直轄領など、検地と人口調査が終わって明け渡しが確定したところからそれらの土地には織田の行政サービスが始まる。一時的ではあるものの駿河・遠江内で物価の価格差や賦役での収入などで格差が生じるようになると、近隣と軋轢が出ているところもある。


 それでもまだ武士はいいんだけどね。ある意味勝てないと諦めて大きく騒ぐ人はいないし。問題はやはり寺社だった。


 何度も言うけど、この時代では寺領は武士の統治の外にある治外法権の地になる。それが良い意味でも機能するので各地との交流や流通が成立するという面がある。ただし織田の治世ではその治外法権は解体となる。


 織田が頼むから臣従をしてやるのにとおかしな言い分を口にする寺も現れるなど、交渉段階の手法としてではあるが、ごねる、脅迫する、恫喝するなんてところさえある。そんな交渉の最中に寺領と織田領の差を見せつけられると面白くないんだろう。交渉がスムーズに行かない。


 文句があるならご勝手に。義統さんや信秀さんやオレが判断するならその一言で終わるけど、寺社奉行と今川家や在地の武士としては、それはさすがに憚られると思うようで粘り強い説得や説明を繰り返しているようだ。


 基本的に織田家として例外は認めない。寺社も国人も守護も優遇しないし、ごねるなら臣従を拒否する。ただし、縁ある人や担当者が説得なり説明したいというなら、それは各自の裁量に任せているところがある。


 まあ、放置すると待ち受けているのは格差からの衰退、最悪は領民蜂起での滅亡だからね。情けをかけている人は相応にいる。


 寺社と言えば身延山久遠寺。ここもまあ、使者が再度来て交渉を再開した。そもそも万が一の際は味方するとかいう空手形は要らないしさ。久遠寺のある巨摩郡自体がこちらの勢力圏にあるわけではない。


 ただまあ、織田に従い、労を買って出ているという点もあるので、甲斐領内における物資輸送を一部試験的にやらせてみることで検討をしている。具体的には駿河・遠江から臣従した武田家の所領への物資輸送を彼らに任せることだ。


 そうすることで穴山などの輸送路の途上にある国人勢力にこちらの荷を襲わせないばかりか、関銭などを払わずに済む。


 久遠寺は他にもいろいろと助力を申し出ているみたいだけど、現時点で認められるのはそのくらいだろう。


 穴山と小山田は一旦戻った使者が、また晴信さんのところに来たらしい。現状でも守護だからね。しかも織田は門前払いに近い形で直接交渉を拒否した。結果として彼らは晴信さんと交渉している。


 どうも物価の違いにようやく気付いたらしいね。少し慌てているようだ。無論、商品を売らないということはしていない。ただ、友好関係もない他国と同じ扱いだ。


 先ほどの諏訪共々、元から度重なる戦と飢饉などで苦しい中、甲斐の武田領や信濃の小笠原領などがなんとか食えるようになった現状を目の当たりにして、事態をようやく理解したというところか。


 担当の文官などが何度も説明しているはずなんだけどね。そもそも領内は織田家で補助をしているような価格になる。臣従もしていない他家に与えるものではない。


 甲斐に関しては今年も冷害で米の出来が良くないと報告がある。もう米の作付けを減らしたいんだけどね。ただ、あそこは風土病があるので出入国に制限つけているんだ。対策が難しいのはそれもある。甲斐に入った人が罹患しても、甲斐の罹患者が他国に出ても困ったことになるからね。


 この秋の収穫が終わったら、風土病の酷い地域と稲作が難しい地域は一時的に農作を放棄させて、甲斐国内で賦役をやらせたほうがいいだろうな。武田が落ち着けば武田家臣を使って現地の状況確認から始めるとしよう。


 あそこは焦っては駄目だね。



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