第1475話・御前海水浴・その六

Side:山科言継


 なにやら始まった余興で一気に賑やかになった。くじか。武芸大会でもやっておったが、こちらは余興と言えるものじゃの。


「あの幼子らも字が読めるのか?」


「まさか……」


 吾らも紙をもらい受けて加わったが、幾人かの公家が騒ぎ出した。


 ああ、左様なことも知らなんだのか。久遠では家臣郎党ばかりか孤児にすら字の読み書きを教えておるというのに。


 吾らの知らぬ学問を学び武芸を鍛える。それが尾張という国じゃ。故に近衛公らが慌てておるというのに。呑気なものよな。


 しかし、紙に書いてある数が縦か横か斜めで揃うと当たりの品が貰えるか。織田の領国を出るとよほどの身分の者しか手に入らぬ酒や菓子を貰えるとあって、皆、喜んでおるの。


 もっとも尾張ではそこまで手に入らぬものではない。幾つかの品は久遠と誼がなくば手に入らぬようじゃが、祭りの市などでも見るものもある。


「おお、最初に当選したのは太原雪斎和尚でござる! 後日、エルの料理を振る舞うので、なにが食べたいか考えておいてほしいのでござる!!」


 最初に揃ったのは誰かと思えば今川家の太原雪斎か!? 若い男が代わりに出ていったことで分からなんだわ。多くの者が祝いの声を上げると、雪斎は深々と頭を下げて答えた。


 ただ、公家衆があからさまに残念そうにしておる姿にため息が出そうになる。尾張者らの余興であろうに。それを欲するとは。あまりに情けない。


「これは、揃ったのか?」


 その後も次々と数字が揃う者が出ていく中、なんと院も揃ったらしく周囲が騒然とする。すでに上位の品は別の者に与えられておるが……。


「おっ、おおっ。院がお揃いになられたのです! 景品は三等の菓子詰め合わせなのですよ!? めでたいのです!」


 側近が代わりに受け取りに行くと、差配しておる久遠殿の奥方も驚いておるわ。周囲におる公家衆ばかりか、皆が祝いの言葉をかけると、院はたいそうお喜び笑みでお応えになられた。


 かようなことなど未だかつてなかったことじゃ。民と共になにかをするなどあり得ぬ御身。されど、こうしてわずかな喜びを得ることくらいはあってもよかろう。


「献上されることはあるが、かような形で手に入れるのは初めてだ。よいのであろうか? 尾張の者らの喜びを奪ってしまったのではないか?」


 貴重な菓子ではあるものの、さして珍しき品ではない。ただ、それでも落ち着くと院は珍しく戸惑われておられる。


「すべては神仏のお導きでございましょう」


「左様、それに余興でございますれば」


 菓子に入っておる丸い金色飴か。それを口にされると、院は再び静かに余興で盛り上がる者らをご照覧あそばされる。


 なんとも面白きことがあるものよ。




Side:久遠一馬


 くじに細工なんてしていない。完全な偶然だ。まさか特等が雪斎さんで、三等に上皇陛下が当たるとは。パーティーや宴会でのちょっとしたゲームだ。変に意味を持たせないためにも食べたらなくなるものにしたし。


 正直、子供たちとかウチの家臣でなくて良かったかもしれない。みんなは割と普通に宴とかでエルの料理食べているからね。


 ああ、下位の景品に当たったお公家さんが自ら取りに行っている。あまり身分が高くない人だ。普通に喜んでいるね。


 最後は外れたくじ券と引き換えに金色飴を配って終わりだ。ああ、公家衆はまとめて誰かの家人が金色飴と交換している。あれも貰ってくれてるね。


「あーあ、寝ちゃったか」


 楽しく盛り上がったビンゴ大会が終わると、ウチの子供たちと孤児院の幼少組の一部はお眠の時間らしい。お昼寝する子は冷えないように着物をかけてあげる。


「うふふ、みんな楽しかったのよね」


 妊娠中ということもあり、ゲルの中でのんびりとしていたメルティは子供たちの寝顔を見ながら笑みを浮かべている。


 見渡すとまだまだ元気に海で泳ぐ人や砂浜で遊ぶ人がいる。夏真っ盛りの時期だ。日に焼けるだろうけど、この時代の人は文官とかじゃなければ総じて日に焼けるからね。よくあることだろう。


 上皇陛下や公家衆がいることでどうなるかなと思ったけど、なるようになったという感じか。一歩引いた感じは今もある。それは彼らの伝統だからね。仕方ない。


 いろいろ見聞きして経験して、それをどう受け止めてどうするか。選び、決めるのは朝廷の皆さんだ。


 こちらとしてはリスクもあるけど、そこまで強制するように迫りたくはない。


「くーん」


 ああ、ロボとブランカも少しお疲れのようだね。他の子たちはまだ遊んでいるけど、二匹は戻ってきた。大武丸たちの近くで丸くなるとすぐに眠り始める。


 この時代だと目的もなくのんびりするって、なかなか贅沢なことなんだよね。でもそういう余裕をみんなにはもってほしいなと思う。


 暗くなると帰るのが大変なので夕方の前には撤収する。それまでは思い思いに時間を過ごしてほしい。


 それが次の活力となるだろうからね。


 少し日が傾くのを見ながら、オレものんびりしよう。


 こんな夏も悪くない。




◆◆


 永禄元年六月下旬、尾張に御幸中の後奈良上皇が海水浴に行ったことが幾つかの資料に記されている。


 もともと久遠家の遊興ゆうきょうであった海水浴は、この頃には尾張の織田家中にも広まっていたらしく、織田家中の者たちが海水浴をしたという記録が幾つかある。


 後奈良上皇が同行されたのは上皇の意思によるものであったとされ、中でも久遠家の習慣や家政かせいに高い関心を抱いていたことが明らかとなっている。


 ただ、あまり仰々しい特別扱いは望まれておらず、斯波一族や織田一族に久遠家の者たち、織田学校の生徒や牧場村の孤児院の子供たち、病院で療養中の軽症者なども同行した海水浴とされる。


 昼食として焼きそば・潮汁・焼きとうもろこしなどが振る舞われ、後奈良上皇も喜んで食されたと記されている。


 また午後には海くじによる余興も行い、身分に問わず、くじ券を手に盛り上がったとある。


 この海くじ、特等は当時入院中であった今川家家臣、太原雪斎であり当選に驚いていたと記録にある。また三等に後奈良上皇が当選している。三等の景品は菓子詰め合わせであり当選に殊の外お喜びになったと記録にある。


 なお、現代では海くじや枠くじ、または久遠くじという名称で宴会などの余興で人気であるが、始まりは久遠家での宴の余興だったと伝わる。


 この時の砂浜は、開発に伴い『後奈良上皇海水浴の地』という石碑を残し埋め立てられてしまったが、後に砂浜など一部を復元し『後奈良上皇潮公園』となっている。





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