第1472話・御前海水浴・その三

Side:久遠一馬


 動かない人たちをどうしようかなと悩んでいると、武士たちは向こうから動き出した。どうも義輝さんが自ら声を掛けたみたいだね。しばらく様子をみて、オレが声を掛けなきゃいけないかと思ったんだけど、さすがだなぁ。


 こういう時は開き直るくらいが楽しめるんだよね。具教さんと晴具さんはそんな感じだ。ちょっと驚いたのは晴具さんに学校の子たちが声を掛けていたことか。学校に通っていたのは知っているけど、こういう場で気さくに声を掛けていい身分じゃない。それを許しているということは、相応に親交があるということだ。


 言い方が適切か分からないけど、北畠家の権威、尾張だとむしろ上がっているんだよね。慣例や身分での住み分けを否定するわけではないけど、上手く利用出来る人はどんな環境でも権威なんて失わないのかもしれない。


「皆、楽しんでおるな」


「ええ、それが一番です」


 気が付くと信長さんが近くにいた。


 改めて不思議な光景だなと思う。北畠家も六角家も三好家も朝倉家も、史実では敵として戦った相手だ。それがこの世界では当主クラスがこうして海水浴を一緒にしているなんて。


 最初の海水浴から同行している信長さんにも、この光景は思うところがあるんだろう。近くでは信長さんのお供の人が、久遠流泳法と呼ばれている近代泳法を三好家や北畠家の家臣に教えている姿もある。


 泳いでいるのを見られて教えてほしいと頼まれたらしい。オレのところに教えていいかと相談に来たので許可しておいた。もともとジュリアたちが教えたものだ。無理に秘匿するものじゃない。


 他にも盛り上がるのはいろいろとある。ビーチフラッグとかフライングディスクとかもやっているし、武芸の稽古をしている人もいる。


 子供たちは貝殻を集めてひとまとめにしているので、貝殻の山が出来ている。あれは持ち帰ってチョークにするんだ。


「きくまるさま?」


「いえ、あのお方は公方様よ。よく似ているわね。でも無礼になるので言うては駄目よ」


「はい!」


 ああ、義輝さんが堂々と砂浜を歩いていると、子供たちが気付いたようでちょっと戸惑っている。すぐにアーシャがよく似た他人だと言い聞かせるとみんな納得しているけど。子供たちは素直だからなぁ。


 まあ、どうみても本人だしね。多少、髷の形を変えただけで。ただ、さすがに与一郎さんは一緒じゃない。傍にいるのは他の側近だ。そこは義輝さんも考えたんだろうね。


 せっかくなのでオレも砂浜に出た皆さんに声を掛けに行くことにしようか。


 今日連れ立ってきている織田家の皆さんはウチの遊びとか価値観に割と慣れた人が多い。そのせいもあって、他家の人であっても、それなりに配慮しつつ一緒に遊んでいる人が意外に多いことが嬉しいね。


 やはり戸惑っている人も出てくる。ただ、これはこういうものだと考えてくれているようで、新しい体験として受け止めてくれているようだ。


 新九郎君が氏康さんと一緒に海に入る姿は、数年前に連れてきた際に浜で海を眺めていた頃よりも成長したように思えて良かったなと思う。


「朝倉殿、いかがですか? 当家の余暇は」


 意外なのはこの人だ。朝倉義景さん。そこまで斯波家とも織田家とも関係が良くないのに、儀礼的に招いた今回も普通に自ら来ている。控えめで特に目立つ行動もせず公家衆が戻るまでは残って宴やこういうイベントに参加しているんだ。


「越前にはない趣向故、楽しんでおる」


 侮れないなと思う。因縁ある斯波家の招きに二度三度と来て誼を深める。しかも目立とうとしたり成果を求めたりしないところが、個人的には凄いとすら思える。


 実際、尾張での朝倉家の評価、そこまで悪くないんだよね。因縁は義統さんと義景さん本人たちの責任じゃない。下手に争うこともすり寄ることもないし、こちらに負担もかけてもないしさ。


「それはようございました」


 文治タイプの人だ。この海水浴の様子から、尾張の治世とか斯波家や織田家の様子を学んでいるのかもしれない。宗滴さんも孤児院の子たちと一緒に来ているんだよな。あとで話す場でも設けるべきだろうか?




Side:山科言継


 浜と海には幼子から年寄りまで多くの者がおる。身分が違う者らが控えることもなく入り混じって楽しんでおる光景に、かつて吾も同行した海水浴を思い出す。


 吾は以前にも海水浴に同行したことがある。あの時よりもさらに人が増え、多くの者が一同に楽しむようになったか。


 ちらりと見ると公卿や公家衆は戸惑う者や眉を顰める者など、各々で受け止め方が違うようじゃ。されど院はこの光景を楽しげにご覧になられておる。


 大樹はすでに皆に声をかけて海に行くと席を外した。院や吾らのご機嫌を伺うより、この地の者らと共にあることを選んだ。なかなかの男よ。


「海と共に生きるか。なんともよいものだ」


 内裏での変わらぬ日々であられた院にとって、この光景は夢のようなものなのかもしれぬ。楽しげに囁かれた一言に、織田に降った姉小路や京極らが安堵した顔が見える。


「尾張は上から下まで皆で力を合わせておりまする。この荒れた世で悩み苦慮しておるのは同じでございましょうが」


 院に答申とうしんつかまつるかのようにではあるが、少しばかり公家衆にも教え諭しておかねばならぬ。羨むだけではいかんということを。近衛公らもこの程度ならば異を唱えまい。尾張を認めておるのは同じじゃからの。


「少し海に触れられぬか?」


 しばし無言となるが、まさかのお言葉であった。まさか動かれるとは吾も思わなんだ。


「構わぬと存じまする。これも元は潮湯治であったものと聞き及んでおりまする。穢れではございませぬ故」


 近衛公は周囲を見渡して異論がないのを確かめて答えた。


 院は満足そうに頷くと御自らゲルなるものを出て、日の光の下に出られた。日に当たるお顔は、都では見られなかったほど晴れやかなものであるな。


「それには及ばぬ。朕は久遠の習わしでよい」


 とはいえ、驚いたのは尾張者も同じようじゃの。すぐに人を遠ざけて浜を空けるべきかと近衛公に問うが、答える前に院が御自らお答えになられてしまった。


 もっとも、まったくなにもせぬというわけにもいかぬ。周囲を警護の者が固めて、院が動かれることを知らせに走る。


「畏れながら、海に入る前に少し体を動かして、手足から徐々に入るようにお願い申し上げます」


 武衛と内匠頭らが慌ててこちらに参った。動くと思うておらなんだのであろうな。吾らもまた院が海に触るなどいかがしてよいのか分からぬ。内匠頭に目を向けると、僅かに頷き作法を口にした。


 やはりあの男は賢いわ。目を見ただけで吾の言いたいことを汲むとは。


「さきほど幼子らがやっておったあれか?」


「はい、左様でございます。体を慣らすことは、海に入る支度とお考えください」


 院も見ておられるだけでは物足りなかったのであろうな。御自ら内匠頭に教えを請い、海に入ろうとなされるとは。


 公家衆は天幕の中に残る者もおるが、院と共に海に入ろうとする者もおる。近衛公と二条公は共に入るか。ならば吾も続かねばならぬな。


 久遠の教えはすでに受けたことがある。薬師殿に日の光を浴びることを勧められて、院は今もそれを続けておられる。心なしか御身体の調子も良いようで、院の命により今では多くの者が日に当たるようになった。


 あれが、今この場でも生きるというもの。久遠は日ノ本の外の者。それ故に教えを受けるのは構わぬというのが院の御心。それには誰も異を唱えられぬ。




◆◆

内匠頭=久遠一馬

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