第1466話・山科の懸念

Side:久遠一馬


 さて、朝廷との交渉だけど、こちらはあまり進んでいない。


 交渉相手は公卿である近衛さんと二条さんであり、そこに幕臣と六角と織田の関係者が下交渉をしている。


 間を挟む人が増えれば増えるほど、この手の交渉は時間がかかる。誰も原理原則論を持ち出す気はないのだろうが、求められる負担と与える恩恵のバランスもあるし、そこに寺社や他の武家に対する配慮など様々な要素が絡む。


 一言で言えば、とにかく朝廷の維持にはお金がかかる。そしてお金を使ったからと言って世の中が平和になるわけでもない。


 こちらは今後の献上を義輝さんを通すことにしているが、その金額や献上品に関しても間に幕臣が入って交渉をしている。


 ただ、義輝さんの政権は権威としては譲位と御幸で高まったものの、財政基盤や権力構造は以前とさほど変わっていない。義輝さんが六角とべったりであることへの不満が畿内には相応にある。長慶さんが都を押さえているのであまり表に出てこないだけで。


 個人的には瀕死の病人の延命措置をしているような、そんな印象がある。朝廷と幕府には。無論、朝廷が今すぐ滅ぶことはないのだろうけど、下手を打つと幕府と共倒れになるのではと思える危うさはある。史実を考慮しないとね。


 近衛さんは一言で言えば、みんなで朝廷を盛り立ててほしい。その一言に尽きるのだろう。総論で異論がある人はいないと思う。ただし、長年積み重なった歪な権力構造と体制の歪みがあちこちに出ている。


 この時代、公卿や公家も武装していて、中には歴代の将軍に仕えていた者もいる。確固たる権威の違いはあるものの、曖昧な部分もあり、突き詰めると面倒でしかない。


 はっきり言うと、こちらは朝廷よりも畿内が面倒でしかないんだよね。長年日ノ本の中心だった者たち、伝統と権威をなによりも重んじてきた彼らは潜在的には敵になる可能性が高い。


 あっちにもいい顔をしてこっちにもいい顔をして、都と朝廷を盛り立てて尾張のように変えろというのは無理がある。


「困ったものよの」


 オレは直接交渉に関与していないんだけど、そんなオレを訪ねてきたのは山科さんだった。いろいろこじれ始めている現状を憂いて、あちこちに出向いて話をしているらしい。


「私も朝廷を疎かになど致す心積こころづもりでいる訳ではありませんよ。ただし、朝廷や都が栄えると、私のような元の氏素性も定かでない者が一番狙われるのではと案じてもおります」


 どうも近衛さんのやり方も良くないと思っているらしいね。ちょうどいいから少し本音を明かしておく。


「左様であろうな。理解はする」


 中央に力が戻ると、ウチの商いは狙われるだろう。山科さんもそれを否定しなかった。今はいいが、代が変わると狙われるのはこの時代だと子供でも分かることかもしれない。


「図書寮のことは進めても良かろう? 吾も内匠頭が困った際には力添えをする。あれだけはなんとかこのまま進めてくれまいか?」


「ええ、それに異論はありません。知恵や伝承は残さねばなりません。それは今を生きる者の務め」


 山科さんは明らかにホッとした顔をした。どうやらこちらの機嫌を損ねていることで、図書寮も止まると心配していたようだ。


「安堵したわ。それだけが気がかりだったのじゃ。吾らの立場も難しくての。なにかやろうとすると怪しまれ、あれこれと口を出す者が出てくる。本音を申せば、寺社でさえ道理を通すべく強く出られるそなたが、吾は羨ましい」


 本音なんだろうな。この時代の公卿や公家の中では最も世の中の実情を知り、自ら動く御仁だ。世の中が大きな矛盾を抱えていることは、百も承知なんだろう。


「近衛公らもあまり恨んでくれるな。この国を見るとの、れてしまうのじゃ。吾らのおるべき場所がないのではないかとな」


 結局、山科さんとは、その後は雑談交じりに情報交換をして終わった。むしろ朝廷側の本音を隠すことなく打ち明けてくれたのかもしれない。


 理解はするんだよなぁ。ただ、現実はオレから見ても厳しいとしか思えない。


 時間をかけるしかない。焦り、不安になることはあっても。




Side:山科言継


 尾張者は我慢強く、そして信義を重んじる。一通り話を聞いて、以前とあまり変わっておらぬことに安堵した。


 立場が変われば、吾らや畿内の者は我慢出来るであろうか? 怪しいところじゃの。


 大樹はすでに近江より東を重んじるつもりのようじゃ、されど細川・畠山などはそれをいかに見ていかに動くのか。さらに延暦寺や興福寺や本願寺はいかに動くのか。


 世はこれからさらに大きく動くのであろうな。源頼朝が鎌倉で政をしたように、斯波と織田は尾張で世を動かすつもりかもしれぬ。畿内と西国の者はそれを認めるのか?


 近衛公は尾張を動かさねば朝廷が危うくなると案じておるが、果たしてそれは正しいのか? 東は奥州から西は九州まで広い。これ以上深入りして、もし斯波と織田が敗れるようなことがあらば、肩入れしては朝廷も斯波と織田もろとも滅ぼされてしまう。


 確かにこの国は他国にはないものが多く優れておる。されど、あまり尾張にだけ肩入れしては、代々の帝をようたてまつり、御威光ごいこうを守ってきた朝廷が潰されかねぬと案じるのは吾だけか?


 武衛や弾正、内匠頭を見ておると日ノ本をまとめるのではと思えるが……。


「余計な動きをしたとしか思えんの」


 尾張に朝廷の居場所はないのかもしれぬ。そう思うたのであろう。近衛公はな。されど、要らぬ波風を立てて、朝廷という不変のものを変えても良いのだと思わせたのは失策としか思えぬ。


 とはいえ、吾の立場では近衛公を止めることも出来ぬ。斯波と織田が日ノ本を征してしまうならば、早う動くことも失策とは言えぬからの。


 長年に渡り朝廷を支えておったのは畿内の者らじゃ。今、その畿内の者らが朝廷の重荷となりつつある。世の動きとはなんと難しきことか。


 織田はいずれ畿内と大戦をする時が来るであろう。勝った者が次の世を治めるということ。


 いかになるのであろうな。こればかりは吾にもいかんともしようがないわ。




◆◆

注意・官位が変更になっています。

一馬=内匠助→内匠頭

信秀=内匠頭→弾正大弼。作中では「弾正」とします。

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