第1465話・具教さん、息子に悩む

Side:千秋季光


 ため息が止まらぬ。相手が大殿や守護様ならば致し方ない。されど氏素性も定かではない久遠殿に軽んじられるのは許せぬ。かような者が未だにおるとは。


 いかに力があろうとも成り上がり者。頭を下げる道理はない。己らを尊崇しておればよい。そう囁く者が駿河・遠江の寺社にはそれなりにおる。


 久遠殿は日ノ本の外に本領・所領がある身。公方様や院すらお認めになられておると諭しても面白うない顔をする。


 仏の道は武士や帝とは違う。かの者らの言い分もよく分かる。されど争い戦をする覚悟があるのかと問うと、途端に腰砕けとなる。寺社とは面倒なものだ。


 対する久遠殿も寺社には厳しい。社格や力があるなしなど関わらず、己の信義に合わぬ者には冷たいからな。


 もっとも寺社に厳しいのは久遠殿に限らぬ。織田家としても同じ。神仏と寺社と坊主は別物という考えが根付きつつある。


 俸禄にするための交渉をしておるが、少しでも多く禄がほしいと騒ぐ寺社に織田家中では嫌気がさしておる者が多い。


 無量寿院の件もある故、頑なになる者はほぼおらぬが、時には駄々をこねる子と同じような行為をしてまで銭を欲しがる。


 富士浅間神社のように早々に話をまとめたところは、すでに新たな政の下で生きる場を得るべく動いておるというのに。もっとも富士浅間神社も末社は幾つか納得がいかぬと騒いでおるところがあるがな。


 今まで武士は形の上では神仏を祀る寺社を立てておった。それ故、畏れ多いと敬うことをせぬ織田に不満があるのだ。


 大殿に上申すれば臣従など要らぬと言われて終わりだ。皆、神仏を敬う故に、堕落した坊主に厳しい。


 理解はする。されど、落としどころをいかにするか。間に挟まれる身としてはたまったものでないわ。


 考えてもみれば、神仏に仕える者が何故、殺生を許し、肉を食らい女を抱くのだと言われると返す言葉がない。寺社を守るためには致し方ない。そう口にする者がおるが、同じ神仏を祀る寺社相手にすら兵を挙げるのだ。斯様かような説論に得心とくしんが出来るなどあるものではない。


 他国のように、寺社の力添えがなくば領内を治めることすら出来ぬというところと違うのだがな。


 はっきりいうと、本分に戻り、慎ましく神仏に祈る暮らしをせよと言われるのが嫌なのだ。


 頭を下げられ、あれこれと寄進されつつ贅沢な暮らしをしたいだけ。今騒いでおるのはかような愚か者ばかりだ。世の流れが見える寺社はすでに大人しく従っておるからの。


 まあ、大半の寺社はすでに諦めて従うようだ。残りは半ば捨て置いても構わぬのだが。




Side:八屋の八五郎


 仕込みは夜明け前から行う。東の空が明るみ始めると起きるんだ。


「おはようございます」


「ああ、おはよう」


 店に行くと、すでに仕込みをしておる若い者らがおる。わしももう歳だ。今の店には幾人かの若い者が常に働いてくれておる。


 それと数年前から店をいずれ継ぎたいという者がおり、久遠のお殿様にお伺いを立て、滝川様と相談して養子として迎えることにした。甲賀におった頃からの顔見知りだ。滝川様と共に尾張に出てきた男で、素破働きよりは商人になりたいと言うておった男だ。


 甲賀から尾張に来て、もうすぐ八年。まさかこれほど店が繁盛するとは思わなんだな。


 すでに素破働きも出来ぬ歳故に、なにかお役に立ちたいと申し出たのが商いじゃ。料理らしい料理も尾張に来るまで食うたことなどなかった。当初は教えられたままに覚え、料理を振る舞った。それがいつしか、己で試して新しい料理を作ることまでするとはな。


「親父、これどうだ?」


 仕込みが一通り終わる頃になると、養子とした倅が新しい料理を作っておった。明麺、御家ではラーメンと呼ぶが、それを冷たいをたのしめる形で出せぬかと平手様に頼まれて試しておる料理になる。


 あれは熱々あつあつが美味いが、夏は冷たいもののほうが食いたくなる時がある。そうおっしゃられてな。


「どれ……」


 見た目はラーメンとあまり変わらぬな。汁が違うようじゃが。箸で麺を持つと一気に啜る。


 おおっ、なかなか良いの。出汁と塩に少し酸味の汁が夏場には合う。


「うーむ……」


「駄目か?」


「駄目というほどでもないが、なにかもう一工夫ほしいの」


 この数年で幾度となく頂いた御家の料理と比べると、いささか物足りぬ。なにが足りぬのかわしには分からぬがの。恐らく久遠の奥方様方ならば、たちまちにお答えくださるであろうが、それでは我らが余りに不甲斐ない。


「そうか。もう少し考えてみるよ」


 今や尾張料理は日ノ本一だとすら言うてくれる者もおるが、御家の料理と比べるとやはり未熟。職人衆もよう言うておることじゃがの。見た目を真似るくらいなら出来るが、御家の品の本質はなかなか真似出来ぬと。


「主、すぐ食える飯はあるか!?」


「飯と味噌汁に魚と菜物ならばございます」


「ああ、それでいい。急ぎで頼む。これから大湊まで行かねばならんのだ」


 そろそろ暖簾を出すかと思うておると、若い武士が駆けこんできた。朝飯を早う済ませたい者が清洲には多い故、朝はいつもすぐに食えるものを用意しておる。


 一人身の者や、若い武士のように急ぎで出掛ける際に飯を食うていく者がそれなりに来るからの。


「お代置いていくぞ!」


「はい、ありがとうございました」


 食後に白湯さゆを飲むのも、もどかしげに立ち去る後に残る、からになった飯碗めしわんたちを見るのが一番嬉しい。御家のため、世のため、わしでも多少は役に立てておると思えるからであろうか。


 さあ、今日も一日働くとしよう。皆が喜ぶ飯を用意してな。




Side:久遠一馬


 花火大会後も清洲に滞在している具教さんから、子供の教育について相談があった。というか、ウチではどうしているのかと聞かれた。


 ただ、この時代にはこの時代の教育がある。特に北畠ほどの由緒ある公卿家ならば、そこらの武士と比較にならない教育を施しているはずだよね?


「倅がな、武芸を好まぬのだ。そのくせ、飯は大食い故、少し肉付にくづきがようなっておってな。いかがしたものかと。叱咤してもあまり変わらんのだ」


 ああ、具房君のことか。うーん。なんと言うべきか。迷うところだ。


「当家でも学問や武芸は一通り教えておりますよ。日ノ本と教える内容は違いますけど」


 職業を自由に選べる時代ではないからなぁ。北畠家の嫡男だと特に。ただ、基本的な教育は広く様々なものを教えるべきだとは思う。


 まあ、個人的に言うと、この時代ってどうしても閉鎖的なんだよね。人間関係も教育環境も。城から出るとなにをされるか分からないという現実があるので、どうしても城という狭い世界で育つことになる。


 その分だけ家臣の子供たちと一緒に育つことで将来の側近となったりするなど、この時代に合わせた環境とは言える。


 ただし、不特定多数のいる場所での集団生活の経験がないので、尾張なんかでも職場での人間関係構築が下手で損をしている人が割といるという報告はある。


 一言で言えば一長一短だろう。


「大御所様が時折、学校に来られます。伊勢にお戻りになられる前に、若君には大御所様と共に学校の見聞でもさせてはいかがでしょう。学ぶということに対するお考えが変わるかもしれませんし」


 具教さんもそこまで困ってはいないようだけど、正直、もう少し武芸を熱心にやってほしいようだね。


 とはいえ、正直なところ北畠家の教育環境とか分からないので助言のしようがない。下手に変えろとも言えないし。伝統と血筋はそれだけ重いものがある。


 現状だと晴具さんと一緒に学校の見学が無難かなぁ。どのみち北畠家の嫡男が尾張の学校に通うのは無理がある。ただし、たまに学びにくるくらいなら構わないだろう。具教さんの前歴をかえりみれば、孫が尾張に居る祖父を訪ねるなんて可愛いものだし。


「なるほど。父上が織田学校に通っておられたな」


 個々の性格とか、好みとか、矯正するべきかなんて分からないしね。今少し広い世界を見せるくらいでいいと思う。


 こちらとしては世代が交代する前に新しい統治体制を確立したい。世の中が変われば、必然的に教育も変わるだろうからね。




◆◆

注意・官位が変更になっています。

一馬=内匠助→内匠頭

信秀=内匠頭→弾正大弼。作中では「弾正」とします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る