第1460話・武衛の不満

Side:リンメイ


「はーは、はーは」


 武鈴丸は今日もご機嫌ネ。私の姿を見るなり、嬉しそうにハイハイしてきたネ。


「たー、こっち!」


 抱っこしてあげると満面の笑みで答えてくれる。子供とはいいものネ。ただ、そんな武鈴丸を大武丸が呼ぶと、こんどはそちらにハイハイしていくヨ。


 今日は兄弟姉妹や孤児の幼子たちが揃っていて賑やかでいいネ。


「唐の方様、ここはお任せくだされ」


「うふふ、お願いするネ」


 孤児院のお年寄りが子供たちの面倒を見てくれる。それに妊娠中であるメルティとリリーとお清の三人もいる。騒がしいけど楽しそうネ。ちょっと羨ましいヨ。


「じーじ、はなびまだ?」


「まーだじゃよ。日が暮れてからじゃからの」


 物心が付いたばかりの子たちは朝から空を見上げて花火を待っているネ。正直、御幸はこちらにとってデメリットと面倒事が多くなっているけど、子供たちの様子を見ていると花火を二度上げることだけはやって良かったと思えるヨ。


 ここ津島では近頃、他国の商人の態度の悪さと阿漕な商いに嫌気が差している者が増えているヨ。畿内は未だに尾張を東国の鄙の地だと見下し、無理難題を言いだすなど日常茶飯事ネ。


 幾人かの商人は嫌気が差したこともあり、領内向けの商いに転向した者もいるネ。


 また織田領ではかわら版や紙芝居で情報発信をしていることもあり、寺社が必ずしも信じるに値しないと理解した者が日増しに増えているヨ。


 他国の坊主などは旧来の価値観のままに神仏の名を騙り恫喝するなど珍しくもなく、坊主お断りと称する商人や旅籠すらあるヨ。


 一言で言うと、他国の者と付き合うメリットがどんどん減っているのネ。津島天王祭のこの日、商いを休む商人すらいるほどヨ。


 未だに鐚銭悪銭ばかりを持ち込み買い付けをしようとする者と、その価値を尾張で認めていないと言うと怒り騒ぐ余所者の商人とのやり取りは、この時期の風物詩になりつつあるネ。


 その分、領民向けの露店や屋台は年々増えていて活気があるけどネ。


 前途多難ヨ。でもこの日くらいはみんなで花火を楽しみ、明日からの英気を養ってほしいものネ。




Side:斯波義統


 昼間から酒を飲み、あれが羨ましいこれが羨ましいと愚痴ばかり聞き飽きたわ。


 花火が終わったら早う帰さねばならぬな。正直、顔を見るのもうんざりする。いつの間にやら、ただ飯ただ酒を当たり前だと思うておる公家があまりに多い。


 御幸を終えたら、もう招かずともよいな。


「すまぬの。皆、酒も軽々しく飲めぬ者が多くての」


 厄介なのはこの御仁か。公家衆の宴の席を辞すると、近衛公と二条公が来られた。


「近衛公、そもそも朝廷、いや公卿や公家は、我らが苦しい立場となってもお味方していただけるのでございましょうか? 力を得れば、こちらをより従え奪おうとするのではありませぬかな」


 近衛公と二条公の顔色がみるみる悪うなる。同席しておるのは内匠頭改め弾正のみじゃ。故に、わしも言いたいことが言える。


「左様なことあろうはずがない」


「されど、かつては北朝と南朝の争いがあり、さらに日ノ本では未だにかつての朝廷が出した綸旨で争いが絶えぬ始末。寺社が強訴などすれば、我らは切り捨てられるのではありませぬか」


 主上や院と、公卿や公家は別物と仰せになっておられた公方様の心情がよう分かる。何故、この者らを信じられよう。


「さらに、都ではあえて口を出しませなんだが、我らの銭で譲位のはこびとあいなったいうのに警固固関の儀を行うとはいかがな御所存なのでございましょうか? あれは東国を譲位から締め出すということでございましょう。某は大きに落胆致しました。家中の者らには言えませなんだ。朝廷は我らを締め出したなどとは」


 譲位に際して、当然の如く三関を封じて都を警固するという儀式を行う朝廷が、尾張のように都をせよと言うのは異な仰せだ。理解に苦しむ。


「それは済まぬと思う。されど、おいそれと先例を変えることは……」


「殿下、それがすべての答えではございませぬか? 変えられぬ以上、都を尾張のようにするのは出来ませぬ。今まで通り、朝廷は畿内にて変わらぬお立場でおられるべきでございましょう」


 もう官位もすべてお返ししても良いとすら思える。代々の公方様や管領が、かの者らの相手で苦労をしたことがよう分かるわ。


 朝廷と関われば関わるほど寺社や名門が付け上がる。この花火が終われば、都にお帰りいただき、守り抜いておられる習わしや慣例を今後も守られればよい。


 義理以上の務めを果たすなど、一馬や弾正が望もうとも御免じゃ。




Side:近衛稙家


 あまり機嫌良うないようじゃの。


 幾度も文句のひとつも言わず銭を出して尾張に招く武衛を、多くの公家衆が御しやすいと思うたのが間違いであろうな。


 おだてつつ、あれやこれやと羨むようにせがむ公家に、顔には出さぬが苛立ちを溜め込んでおったというところか。


 おかしなことをするなと厳命したのじゃが、都では飲めぬ酒が入るとあれこれと余計なことを口にする者も多い。また、この程度のことはあって当然。羨むなと言うたところで酒が入ると言うてしまうのだ。


 武衛の問いには返す言葉がない。その一言に尽きる。武士が朝廷を信じることが出来ぬなど、今に始まったことではない。細川などは当然の如く言いたいことを言う。武衛もまた今まで我慢しておったことを口にしたということ。


 この分では、弾正らは相当な不満を持っておるということであろうな。


 それでも朝廷の権威の下で動くならばよい。されど尾張は朝廷の権威がなくとも動いてしまう。この者らを野放しには出来ぬ。


「では綸旨でも出すというのはいかがじゃ?」


「それも遠慮致します。先程も述べましたが、争いの元凶となりましょう。我らは駿河・遠江・甲斐と御幸や譲位で領地が増えました。されど、貧しく実入りも少ない地が多い。はっきり申し上げれば、朝廷の動きで苦しい立場になっております。因縁の相手も貧しき地もこれ以上欲しゅうありませぬ」


 なっ、日ノ本を統べるほどの力がありながら、利にならぬからと捨て置くというのか! それはまことに本心か!?


「これ以上、余計な者を抱えると朝廷への献上もままならなくなりまする」


「近衛公、我らは権威や神仏の名を騙る愚物により、道理や正道が歪められる政をもう望んでおりませぬ。ご理解くだされ」


 献上を止めることもあり得るとの武衛の一言に驚き戸惑うてしまうが、すかさず無言であった弾正は一言告げると、静かに武衛と共に頭を下げた。


 いかがすればよい? 内匠頭に縋る前に、朝廷の臣下である武衛や弾正らに見捨てられてしまう。


 いかがすればよい?



◆◆

注意・官位が変更になっています。

一馬=内匠助→内匠頭

信秀=内匠頭→弾正大弼。作中では「弾正」とします。

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