第1457話・三好と北条

Side:北条氏康


 まさか三好家当主と直に会うことになろうとは。関東と畿内は遠い。織田と久遠が頭角とうかくあらわすまでは、それが世のことわりであったというのに。


 欲を言えば尾張との縁を求めるべきであったな。されど、数年でかように変わるとは思わなんだ。もはや畿内を得ずして越えそうな勢いではないか。


 我らは今でこそ北条を名乗っておるが、祖父宗瑞公は伊勢家の者。関東では余所者である北条の力に関東諸将は従っておるが、内心では認めておらぬのは明らか。


 故に関東の外に縁を求めたのだが。


 まあ、よい。公方様の覚えもめでたい三好と縁を結ぶのも悪くはない。主家である管領細川晴元と争うておる三好と、関東管領上杉を敵としている北条。似た者同士でちょうどよいとも言える。


 懸念は三好には伊勢家の養女として娘を出すつもりであるが、政所執事である伊勢家が公方様とあまり上手くいっておらぬように見えることか。聞くところによると公方様は六角と斯波や織田を頼りとされており、伊勢家の者とは疎遠とか。まさか争うことはないとは思うが。


「こちらに異論はない」


 静かだ。淡々と必要なことのみ話す故、互いの供の者もいささか表情が固い。これまで文は交わせど会うたことのない相手なのだ。特に珍しきことではないがな。


「北条殿は恵比寿船で尾張まで来られたとか。あれはいかなる船か、お教え願いたい。わしはまだ大湊から蟹江までしか乗ったことがなくてな」


 一通り話が進むと、安堵したのか三好殿は思いも寄らぬことを問うてきた。


「そうさの。荒れた外海でも沈まぬ船ゆえ見た目以上と思うて間違いない。されど、船は船でしかない。恐れるべきは、久遠家の知恵と技であろう。あれを一隻や二隻沈めたとて、久遠殿は困るまい」


 聞けば三好家の者は、あの恵比寿船の戦を見たことがないという。周防に一度共に行ったようだが、入れ違いですぐに戻ったようで噂話しか知らぬとか。


「やはり、世は尾張から動くか」


「ああ、間違いあるまい。当家は尾張には倅や叔父上などが幾度か来ておってな。それなりに友誼がある。また伊豆諸島を久遠殿に譲ったこともあり、今では伊豆の下田に織田や久遠の船がよう来るようになった。故に思うのだ。この先、いかになっても尾張の優位はそう容易く覆らぬとな」


 関東と尾張の船の行き来を教えると驚いておる。三好家とはいえ、いかほどの船が尾張と関東を行き来しておるかまで知らぬと見える。


「難儀な時に生きておるとみるべきか、それとも良い時に生きておるとみるべきか」


「互いにやるべきことは似ておるのやもしれぬな」


「ああ、左様であるな」


 いかほど信じて良いか。手探りというのは同じであろうな。されど、この国を中心に世が回る以上、我らもまたそれについてゆかねばならぬ。


 六角と北畠に少し先を越されたのが気にはなるが、我らとて後れを取ってばかりもおれぬ。


 公方様と尾張が仲違いするまではこの縁、決して無駄にはなるまい。


 互いにな。




Side:山科言継


 院に召し出され、夕餉の席にはべることになった。譲位を終えて肩の荷が下りられたのであろう。いささか顔色も良いようにお見受けする。


 しかし、尾張は変わっておるの。毎夜の如く宴を催すこともなく、院の御心を察しておるところがある。こちらに来て以降、院も城の庭を歩かれ、珍しき書物を読まれる日々を殊の外お喜びの様子。


「今宵も珍しきものがあるか」


 尾張で驚くのは日々の食膳の賑わいか。院もまた楽しみにされておられる。久遠家所縁の料理が多いようで、今宵は吾も知らぬものがある。


「これは美味しゅうございますな」


 院が一口召し上がられ驚かれたので吾も食すが、これは大野煮か? しかしこれはなんの魚であろうか? 甘辛い味が程よく脂がのった身に合わさり、まことに美味じゃ。


「それは、鰻の大野煮だと伺ってございます。そちらを飯に乗せて、茶を掛けて食すとまたよいと伺っておりまする」


 なんと鰻か!? 侍従の言の葉に吾も院も驚いてしまった。


 作法としてよいのか分からぬが、久遠料理を久遠の流儀で食すのならば構うまい。ましてやこの場は吾と院しかおらぬ。


「ああ……、なんと……」


 温かい飯に温かい茶を、これは久遠家にしかない煎茶というものか。それを掛けると、それだけで美味いではないか。


 院も唸るほど味わい深い味じゃ。茶に鰻の大野煮の味が解けると、飯の甘さと相まってこれは幾らでも入るわ。


 温かい飯というだけでも、院はなかなか食せるものではない。にもかかわらず、かような初めて食す料理を出すとは。


 さすがに鰻の大野煮だけで飯を一膳食うてしまうのはもったいない。赤実と胡瓜か。これがあったので箸をつける。


「ほう……こちらは出汁が利いておりまする」


「ああ、これも良いの」


 決して塩辛くない。出汁で僅かに漬けたもののようじゃ。赤実は前に食うたことがある。久遠の者は『とまと』と呼んでおったの。程よい酸味と甘みのある実で出汁の味が染みておるわ。


 焼き物は、雉か。これは醤油か? それをタレにして塗ってあり、香ばしく甘辛い味が堪らぬ。


 宴でもない夕餉でかような料理を出すとは。尾張の料理は相も変わらずというところか。


 内裏では膳の飯を心許こころもとなしとされるなどまずなかった院が、しょくに意を示された様子を見たのはいつ以来であろうか?


「黄門よ。朕は尾張の妨げになっておるまいか?」


 夕餉を終えると、院の澄み酒をたしなまれるに侍る。されど、まさかの問い掛けに吾ばかりか傍仕えの者らが驚き戸惑うておるわ。


「さようなことなどあるはずがございませぬ。皆、喜び励んでおりまする」


 左様なことあるはずもあるまい。されど院は即位の礼もままならず、苦難を重ねた御身だ。故に御身の在り方と臣下の者を思う御心をお持ちなのだ。


「ならばよいが……」


「この国を、都と同じとお考えになられぬほうがよろしいかと心得まする。院がおいでになられたことにより、この国はさらに大きく栄えましょう」


 難しき世だ。されど院に御心労をおかけすることだけは避けねばならぬ。


「そう言えば、ここでは犬がおるのは何故か?」


「ああ、あれは久遠家で飼っておった犬の子を貰い受けたとか。なんでも久遠家では犬まで賢いと評判でございます」


 院のお立場では犬も近くでご覧になれなんだからか。清洲城では朝晩に庭で犬と歩く者らを見かけることがある。ご興味を示されたようじゃの。


 ふむ、近くでご覧いただいても良いかもしれぬ。武衛に少し話してみるか。まだ幼い子らが共におるのだ。院が近くでご覧になられても懸念はあるまい。


 


◆◆

注意・官位が変更になっています。

一馬=内匠助→内匠頭

信秀=内匠頭→弾正大弼。作中では「弾正」とします。

山科言継→内蔵頭から権中納言、黄門になっています。

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