第1456話・久遠家の変化

Side:久遠お清


 産休に入ることになり、数日忙しく働きました。


 父や母ばかりか、望月出雲守様も喜んでくださりました。すでに滝川家と望月家は縁戚であり、そこにようやく殿の血を受け継ぐお子を儲けることが出来るかもしれない。御家ではあまり血脈におもきを置いてはならぬとされ、慶事けいじであることを越える意味はありませんが、それでもその事実に安堵したのでしょう。


 気掛かりなのは千代女殿ですが、我が事のように喜んでくださりました。千代女殿にも早く子が出来るといいのですが。


 殿のお子がなかなか出来ずに周囲が案じておりましたが、御家では十代後半にならぬ者の出産は良くないということを医の探究の上で学んだと教えていただいたこともあり、殿とエル様たちは気にもされておりません。


 さらに妻が多いこともあり、多少は仕方のないことなのでしょうが。


「まーま、つぎ!」


「ええ、そうね。じゃあ、これを読んであげますね」


 私は大武丸殿らに昼寝をしてもらうために絵本を読み聞かせていますが、今日は大武丸殿だけなかなか寝てくれません。もう一冊だけ読んであげましょう。


「まーまも!」


 さすがにそろそろ寝かしつけようとしますが、大武丸殿は私にも寝るようにと着物を掴んでいました。


 今までは役目もあり、こうしてゆっくり出来るのはたまの休みくらいでございました。それ故に大武丸殿は一緒にいることを喜んでくれているようです。


 侍女の者にも『少しお休みください』と言われたので、私も一緒に休むことにしました。初夏の風でお子たちが冷えぬようにと上掛けを掛けてやり、私も横になります。


 嫁いで幾年月。昔のことを思い出すことも少なくなりました。やるべきこと、覚えることがそれだけ多く、日々の暮らしが楽しいというべきでしょう。


 御家では殿のお子は皆、等しく扱う。これが掟になっております。私の子も仲良うしてくれればいいのですが。


 私の着物を握る大武丸殿が眠ったのを確認して、私も目を閉じます。


 皆が、良い夢を見るようにと願いつつ。




Side:滝川資清


 お清が懐妊した。その知らせに我知らず抱えておった胸のつかえを撫で下ろした。最早、久遠家と滝川家の血縁が欲しいと言うつもりなどないが、お清は子を望んでおったからな。


 血縁や家柄で縛られるのを嫌う殿のお考えも、だいぶ理解出来るようになった。出雲守殿と幾度も話して理解しようと努めたこともあり、得心とくしんすると楽になったな。


 ありがたいことに今も滝川家との縁を望む者は多い。とはいえ今はほとんど受けておらぬ。殿が久遠家の掟として娘を他所に出さぬというのは、家中である我らにも同じことが言える。


 新参とはいえ、他国は元より、織田家中にも無理に縁を作らずともよいというのが殿のお考えであり、清洲の大殿もご理解いただいておる。


 そもそも殿はいずれ政から手を引くおつもりだからな。久遠家が新たな名門となる形で、大武丸様らが政をすることは殿が望むまい。そう考えるとあまり縁を結ぶと後で困ることにもなりかねぬ。


 いかになるかはわしにも分からぬが、尾張で築いた家臣団は付いていくであろう。商いだろうと船乗りだろうと構わぬという者ばかりだ。


「近衛殿下らはまだ得心は元より、ご理解もされておらぬようだな」


「仕方あるまい。そういう御身分だ」


 少し考え込んでおると困った顔をされた出雲守殿が戻られた。都を尾張のように豊かにしたいというお考えは察するに余りあるが、知れば知るほど都を変えることなど出来るとは思えぬ。


 お方様がたもこの件にはあまり乗り気ではなく、むしろ困っておられるほどだ。


「銭を献上する者の苦労を初めて知ったと驚いておる公家が多いことに、織田家中ではいささか呆れておる者が多い。その分、我が殿の苦労を察してくれるのはありがたいことなのだがな」


 そう、公卿や公家もまた尾張を知ろうと歩み寄っていただいておる。されど、遠く畏れ多い御方の実情を知ると、いかがなものかと思うところがある者も増える。


 畿内の者が争い、朝廷が困窮する理由が分かったと囁く者すらおるとか。


「少し危ういか?」


「ああ、後で殿のお耳にも入れねばなるまい」


 出雲守殿の懸念を察するのは織田家中でも多くはあるまいな。そもそもわしや出雲守殿は元より、織田家中ですら朝廷や公卿や公家とはいかなる者らか、知らぬ者がほとんどであったのだ。


 朝廷の権威で領地を治める。公方様の任じる守護ですら、大本を辿れば朝廷の任じる征夷大将軍の下にある役目。それが当然であり、それ以外は寺社が治める寺領神領となるしかないはずであった。


 尾張とてそれは同じこと。されど……。


「今に始まったことではないのだがな」


 我が殿のお心にある治世は、朝廷とも公方様とも寺社とも違うもの。害するものでも排除するものでもないが、今の世とはまったく違う。


 北畠の大御所様が随分と我が殿を気にかけていただいておることも、そこらと関わりがあろう。あのお方は戦になるのではと案じておられる節がある。


「公卿ではご理解するだけでも難しかろう」


 懸念は不全ふぜんなままに理解と断じてしまうことか。殿もご理解されておるようだがな。


 とはいえ今以上に捨て置いてもいいことなどない。なんとか誼を深めて互いに知らねば、まことに戦になってしまう。


 なんとも難しきことになったものだ。




Side:久遠一馬


 お清ちゃんが妊娠したので産休の手配を頼んだんだけど、思った以上によく働き有能だった事実が浮かび上がってきた。


 看護師としての役割ばかりか、医療事務とも言うべき病院の運営も人を使って補佐していたみたいなんだ。


 細かい仕事を自分でするというよりは、家臣たちに任せる形で差配していた。薬の管理は元より、織田家から預かる運営費や患者さんやその家族から頂く診察費や薬代の管理。それと施設の修繕・営繕に関わることもある。


 なるべくケティたちには負担をかけさせないようにと、オレも資清さんたちと協力して家臣で病院の運営を固めていたんだが、それの細かい人材の差配をいつの間にか彼女がしていたらしい。


 人を見る目というか、相手を思いやることが得意なんだよね。加えて状況判断もいいみたいで、彼女から必要な人材を資清さんに求めて配置していたようなんだ。


 当人はケティたちの補佐のつもりで重要な役目と思っていないようだけど、すぐには替えの人材がいないので当面はパメラたちでそっちはフォローするそうだ。


 あと病院内の相談事とかも彼女が解決していたようで、人間関係とかそっちの環境が思った以上に良かったみたい。


 千代女さんがエルたちと同じく政務で働いているから目立ってないんだけど、資清さんの才能を受け継いでいたんだろうな。


 報酬に換算すると相当払う必要があるんだけど、お清ちゃんたち結婚した時にエルたちと同じ扱いをしてほしいと望んだことで報酬を払ってないんだよね。無論、彼女たちが使うお金はすべて出しているし、不自由はさせていないけど。


 ただ、もともとウチにいると、事業資金でもない限り、日常生活にお金ってあんまり使わないんだ。着物とかはウチで反物を扱っているからそれを仕立てるし、個人で買うとすると趣味関係になるんだけど。


 お清ちゃん、編み物を覚えて知り合いに編んで配っているから、かかったとすると初期の毛糸代くらいかな。配り始めた時点で、交際費扱いになって久遠家として用意した毛糸が、彼女の手に渡る様にしたし。この時代だと高価だけど、自分で使うものじゃないからなぁ。


 結婚をしてお清ちゃん名義で一番お金を使ったのは寺社への寄進か。故郷の甲賀にある知り合いの寺に寄進したいと言ったのでそれはしたね。


 少し話が逸れたけど、ウチだとケティが出産後の産休中だし、メルティとリリーも妊娠中で産休中だ。お清ちゃんも基本的に同じ扱いにする。


 子供たちとのんびりとしていることが多くなるかな。望むなら蟹江の温泉で少しゆっくりすることでもどうだろうか。


 今度話してみよう。




◆◆

注意・官位が変更になっています。

一馬=内匠助→内匠頭

信秀=内匠頭→弾正大弼。作中では「弾正」とします。

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