第1455話・視察と一馬の午後

Side:近衛稙家


 愚かでもなく、主上や院をないがしろにするわけでもない。故に悩むと言うべきであろうな。


 内匠頭が領内を見て回ると聞き、二条公と共に同道致すを頼んだ。


「田んぼはいかがですか?」


「これは久遠様、ようございます。長雨で少し案じておりましたが、なんとか持ち直しました」


 取り立てて珍しきことをしておるわけではない。幾つかの村を訪れては話を聞いておるだけだ。かようなこと他の者に任せればよいと思うのじゃが。


 内匠頭に目通りを願う者は多いと聞き及ぶ。されど内匠頭は会わぬことも多いとか。気難しいと言われるゆえ出所でどころであろうな。こうして見ておると、そうは思えぬがの。


「田畑のやり方を変えるのも、何年もかかったんですよ。最初はひとつの村で試して徐々に望むところから変えていきました。必ずしも上手くいくわけではありません。よく話をしないと、勘違いをして間違ってしまうこともありました」


 何故か、整然と並ぶ稲の田浦でんぽを見ながら、内匠頭は吾らにゆっくりと語り始めた。


「幸いにして、尾張の皆様は私たちとよく話をして助けてもいただきました。だから成しえたことなのです。本来ならひとつのことを始めるだけでも、もっと苦労をして失敗もあったはずでございます」


 この男の良きところよな。吾らにも得心のいくまで話そうとしてくれる。己の信念は曲げぬが、すぐに戦を始める者よりは遥かに信じることが出来る。


 尾張に参って以降あれこれと学んでおるが。正直言おう。吾も二条公も銭のことなど知りもせなんだ。我ら公卿や公家はなんとも思わず献金を受け取っておったが、特に良銭を手に入れる苦労や、尾張以外の者らが献上するために銭を集めることがあまりに大儀と知れて驚いておるほどよ。


 さらに大内卿が討たれ、明との勘合貿易が今後出来なくなるやもしれぬという。さすれば日ノ本に入る銭は密貿易か久遠が手に入れるしかないとか。織田の者に『朝廷はこの先、新たな銭をいかに手に入れるおつもりなのでございましょう』と問われた際には、答えに窮した。


 良銭を必要なだけ揃えぬと世が荒れる。にもかかわらず大樹がぎょすべき武家どもはもとより朝廷もそのことにはあまりに無慮むりょ蒙昧もうまいではないか。そう言われたようで恥入るばかりであった。


 そういえば、この男は新たな世などと口にしたことがないの。大樹然り、大内卿然り、さきの管領代然り、皆がこの男に新たな世を見出しておるというのに。


「内匠頭、そなたはなにを目指すのじゃ?」


「なにを……? 今は甲斐・遠江・駿河を恙なく治めることでしょうか。少し領地が広がり過ぎました。飢饉でも起きると困ったことになりますので、その三ヵ国と信濃は早々に落ち着かせねばなりませんね」


 少し言葉が足りんかったか。されど、それが久遠の一馬という男なのかもしれぬ。朝廷をいかがするのかと問うたところで、目の前の難題を口にするのであろうな。


 吾らはいかにすればよい? 分からぬのじゃ。変えてよいものか。変えてはならぬものか。なにかを変えたことなどないからの。


 それを問うたとて、これさいわいと群がる輩が多て困ろうな。容易く道が見つかるならば、誰かが見つけておる。


 なんとも難しき世になったものよな。




Side:久遠一馬


 近衛さんと二条さんたちを連れて農村の視察をした。


 こう言ってはなんだけど、天下国家のことを論じることは出来ても、農村に代表される第一次産業のことは知らないかなと思ったんだよね。


 人口割合で言うと第一次産業が圧倒的多数な時代だ。農村をいかに上手く治めるか。朝廷の今後のいいヒントにでもなるかなと期待したんだけど。他国との違いもよく分かっていないみたいだったね。


 まだまだ悩みは深いようだ。


「お帰りなさいませ」


 屋敷に戻ると千代女さんが出迎えてくれた。細々とした仕事をしていたらしい。留守中の報告を受けるが、小山田と穴山は甲斐に帰ったらしい。


 信秀さんが会わなかったので晴信さんが会ったんだけど、織田から両家に攻める意思はない。領境は今後明確に確定することになるなど、こちらの方針を伝えただけのようだ。


 使者が土着国人の家老格だったため、所領安堵を願い出るくらいしか権限がなかったらしいね。織田の統治が他国とは違うことは知っているらしいが、今回は争う意思がないと伝えることとこちらの反応を探るために来たんだろう。


「せっかく来たのに花火くらい見てから帰ればいいのにね」


「御使者殿が左様な贅沢をすると、領国に戻りお叱りを受けるのではありませんか?」


 もうすぐ花火大会なのにと思ったが、千代女さんの言うことも一理あるか。花火は近くに来ると誰でも見られるところがいいところなのに。


 一緒に来た身延山久遠寺などの寺社はまだ尾張にいるらしい。寺社奉行が交渉をしていると聞いている。ここもねぇ。今は大人しいけど、力を削いで利権を解体しておかないと将来的に面倒になりかねないのがね。


「ちーち!」


「おかえり!」


 なにやら廊下を走る音がするなと思ったら、子供たちがやってきた。


「ただいま。いい子にしていたか?」


「うん!」


 いい笑顔だ。これがなによりの喜びだ。今日は庭で遊んでいたらしいね。兄弟姉妹の仲もいいし、嬉しい限りだ。


 スキンシップをして子供たちと交流を深める。ほんとね。こういう時間をもっと大切にしたい。


「信濃もまずまずか」


 嵐のように子供たちが去ると、また仕事を再開する。信濃からの報告書もある。


 検地や人口調査が進んでいるが、先行して野菜などの作物の栽培テストもしているんだ。こちらは牧場村出身の元孤児の家臣が出張している。


 史実を参考に幾つか作物の栽培テストをしているんだけど、余計な邪魔も入らず順調のようだ。蕎麦あたりは今年からすでに栽培を可能な範囲で増やしたんだけどね。どうしても新領地ということもあり、上手くいっていないところもある。


 諏訪のせいで領境付近を開発できなかったことが結構痛い。


「殿、お清殿が懐妊いたしました」


 もうすぐ夕ご飯かなという頃、エルがお清ちゃんと姿を見せた。ちょっと表情が固いので何事かなと思ったら、まさかのおめでただった。


「そっか~、子が出来たか。よく頑張ったね。ああ、産休の支度をお願い。あと八郎殿たちにも早く教えてあげるといいよ」


「はい、畏まりました」


 妻たちの中でこの時代の女性は彼女と千代女さんだ。どちらが先に妊娠するかなと思ったけど、お清ちゃんだったか。


 当人は思いの外、冷静な表情だ。笑顔は見せるが喜ぶというほどでもない。まだ子供が出来ていない妻たちへの遠慮とかもあるんだろう。



 エルたちはいいんだけど、この時代の女性だと子供が出来ないと結構悩むんだよね。お清ちゃんに子供が出来たということは、千代女さんが少し悩むかもしれない。


 彼女とは少し妊娠の確率の高い頃を狙って、子作りしたほうがいいかもしれないね。


 あと、お清ちゃんも結構忙しいんだよね。看護師を束ねている立場になっているから。ウチは交代で休むようにしているので、代わりになる人はいるけど、ローテーションとか変える必要がある。


 パメラたちと相談しないといけないなぁ。


 何はともあれ、めでたいね。





◆◆

注意・官位が変更になっています。

一馬=内匠助→内匠頭

信秀=内匠頭→弾正大弼。作中では「弾正」とします。

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