第1452話・信秀の苛立ち

side:久遠一馬


「申し訳ございませぬ。けじめはこちらで確と付けまする」


 さすがに動きが早いなぁ。名門である事は他者への配慮が要らないと考えるから、即決する事に躊躇が無いんだろう。抜け荷の寺社と商人のことで信繁さんが謝罪に来た。さっきは今川の朝比奈さんも謝罪に来ていたんだよね。


 運もなかった。氏素性の怪しい男が、数年で立身出世してしまったからね。


「命は取らずとも結構ですよ。私は首など要らないので。恩を得たと称して、上手く働かせるといいと思います」


 朝比奈さんにもよく念を押しておいたけど、ウチも織田も首なんて要らない。どのみち処分は降す必要があるので、それを上手く利用して扱き使ってやればいい。


「しかし……」


「抜け荷をした者への見せしめとして織田の処分は必要なんですよ。それに首を刎ねたところで抜け荷はなくなりません」


 武田とかに任すと下手したら焼き討ちや根切りにでもしそうだし。困るんだよね。大事にされると。


「当家としては久遠殿の面目を潰すつもりなどなく……」


「まあ、いろいろありますからね。失態だと思うなら謝罪をして同じことを繰り返さないようにする。それが肝心ですよ。どうしても気になると言うなら、ひとつ貸しにしておきます。甲斐源氏の武田殿に貸しを作れる機会は多くありませんからね」


 そんなにオレが怖いのか? 顔が青いんだけど。さすがに下っ端の不始末で潰すとかしないから。


「かたじけのうございます」


「そんなことはいいです。ところで穴山殿と小山田殿はいかがしておりますか?」


 仕方ないので強制的に話を変える。さっき、朝比奈さんも下手すると腹を切りそうな勢いで困ったんだよね。なんとか丸め込んだけど。


「はっ、よく分からぬうちに主が大殿に臣従をしてしまい、何故、一言話してくれなかったのだと文句を言われました。大殿への執り成しを頼まれたのでございますが、いかにするべきか悩んでおりまする」


「あれ? 同盟を考え直すと相談もなく出ていった人たちですよね?」


「左様でございます」


 あんまり事態を理解してないっぽいね。穴山と小山田。家老が使者として来たらしいけど、そんなこと言っている余裕なんてないだろうに。


「求めているのは臣従ですか? 所領安堵ですか?」


「所領安堵のようでございます」


 武田と同じ無条件なら臣従でもいいけど、信秀さんの直臣はないだろうなぁ。所領安堵。まあそれを求めるのが妥当か。当面は様子を見たいんだろう。


「久遠寺はなにか言ってました? 名字、名乗る姓が同じなんですよねぇ。うちは若殿から頂いた家名なのでただの偶然なんですけど」


「内匠助殿のことは特に……、ただ、諏訪神社のこともあり、いかにしてよいかと迷うておるようでございました」


 こちらも特に予想を超える動きはないか。身延山久遠寺。ちょっと警戒していたんだけどなぁ。まあ、社格でいえば諏訪神社って、かなり上だからね。そこが要らないと言われると強気にも出られないか。


「なにかあれば、某におっしゃっていただければ……」


「ああ、すみません。特にないですよ。私は家中の皆様にいろいろと助言を求められるのでね。少し気になっただけです。久遠寺は寺社奉行に、穴山殿と小山田殿は家老衆かな」


 こちらを伺うような信繁さんには申し訳ないけど、余計な問題に口を出すほど暇じゃない。


「まあ、大変なのはどこも同じですから。分からないことは周りに聞いて励んでください」


 因縁とかこっちも御免なんだよね。これでおしまいにしてお土産にお菓子でも持たせて返そうか。今日のおやつを少しあげよう。


 信賞必罰は必要だけど、面目くらいで一々潰していたら効率が悪くて駄目だ。信秀さんもあまり家中の因縁とか望んでいないし。




Side:織田信秀


 今川も武田も面倒ばかり起こすわ。名門というだけで許されると、意識しておらずとも当たり前のように思うておるのではあるまいか。


 正直、うんざりするわ。


 己らが優位な時は名門ということを理由に横柄な態度を取り、立場が悪うなると頭を下げれば許されるか。まとめて叩き潰したほうが後の憂いも消えてよいのではとも思える。


「武田家が一切の条件をなしに臣従したのだ。国人風情がなどと、わしの身から申しはせぬが、武衛様に取り次ぐ事もない。臣従するかしないか、それだけだ。目通りもせぬ。甲斐には甲斐の序列があろう。未だ守護である大膳大夫が会うて用件を聞くがよかろう」


 穴山と小山田か。甲斐では武田家と並び立つ国人だと言うが、こちらには何の関わりもないことだ。


 武田が甲斐守護を返上すると言うておるが手続きはまだ進んでおらぬ。済んだのは織田への臣従の挨拶のみで検地と人口把握も済んでおらんのだ。当然、従わぬ者との領境すら定まっておらぬ。


 わしが口を出すことではないわ。


「甲斐は、いささか変わっておりますな」


 大膳大夫が下がると弟の与次郎が少しため息を零した。


 武田の口添えでわしに会って所領安堵か? まあ、それでもよいが。何かあるたびに、あれが困る、これが困ると言い出すのは目に見えておる。かような厄介者など要らぬわ。


「久遠寺も所領安堵をしてほしいそうだ。ただ、あそこは関銭も考慮してほしいとぬかしておるわ」


「それはなんともはや……」


 己らも関銭を取らぬので、こちらにも配慮をしてほしいと寺社奉行に嘆願しておるようだ。そうでもせねば末寺から離反してしまうからな。穴山と小山田よりは先が見えておるようだ。


「ただ、あそこは面白いことを言い出した。願証寺と同じく、荷を運ぶ仕事でもあればするそうだ」


「ほう、それはそれは。寺社らしからぬ動きでございますな」


「所領を治めるのに寺社の力は借りぬ。それだけはわしの生きておるうちに確固たるものとする。新たな糧を望むならば、まあ許してもよいとは思う」


 一馬とも話しておるが、寺社と朝廷はわしと一馬で始末を付けねばなるまい。三郎に任せてもよいが、出来るならば新たな形となったその後を任せるべきだ。


「そういえば、一馬殿は武田と今川を不問と致すつもりとか」


「つまらぬ因縁で遊んでおる時が惜しいそうだ」


 与次郎がいかんとも言えぬ顔で苦笑いしておるわ。これを理由にして叩くことも出来るが、一馬は時を無駄にするのが惜しいと捨ておくとのこと。厳しいわ。許しを与えず、好きにせよと放念ほうねんして、器量きりょうはかるか?


 一馬こそ真に、名門や血筋などいかようでもいいと思うておる証であろうな。


「守護様も公卿の動きや名門の手のひら返しにうんざりしておられる。わしや守護様は、一馬ほど堪え性がないのやもしれぬな」


 朝廷・幕府・寺社。日ノ本で大きな力を持つ権門になる。我らはそれと別のことを始めた。無論、絶縁してまでやっていけるというわけではないがな。されど、配慮をして古き秩序を厳格に守ってやるほどの価値はなくなりつつある。


 本音を言えば、争う愚は承知なれど、頼朝公の故事もある。潰せるところは潰したほうがいいのではと思えてならぬ。


 義理以上の務めを課そうとする朝廷の動きが、わしと守護様に左様な大きな疑念を持たせた。兵を挙げると言うてのけた北畠卿は、この先が容易くないと承知なのであろうな。


「天下など捨て置くことが出来れば……」


 与次郎の言葉が尾張者の本音か。従える苦労を思うとそう思わずにはおれぬ。帝と院はお助けせねばならぬが、細川や畠山など、わしには助ける義理などない。公卿や公家とて今以上に助けることが、果たして良きことなのか疑念が残るわ。


「守護様の内々への吐露を真似るではないが、こちらが困った時に助けも寄越さぬ者らなどいかようでもよいわ」


 新たな世が要ると改めて確信する。帝を頂に戴こうとも、三尸さんしにもらぬ、ただ毒蟲どくむしめっするにく、新たな世がな。


 道のりはまだ半ばだ。



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