第1450話・面倒な後始末

Side:六角義賢


「あれが公卿というものでございますか」


 武衛殿は顔にこそ出さなかったが、明らかに迷惑だと言いたげであったな。鄙者と呼ばれ窮地の時も捨て置かれた武衛殿の意地もあろう。わしも公卿という者らが、いかに厄介か改めて思い知らされたわ。


 都を顧みぬとは異な仰せだ。斯波と織田は数多の献上品を送って、他の大名よりも抜きんでて尊皇の志を明らかにしておったというのに。


「誰しも豊かな国を羨むものだ。武士は奪いに行けるが、公卿には出来ぬからな」


 上様はこの件を承知であの場を設けさせたということか。いかがするおつもりであろうか? ひとつ間違うと都と近江以東で大戦になるが。


 北畠卿はすでに覚悟を決めておられるようにも思えた。奪うなら戦うまで。その覚悟を示さねば話にもならぬのは分かる。


「帝と院は別にして、公卿と公家はいかがするべきであろうな? 此度は来ておらぬが、尾張に対してでさえ、献上する銭があるなら荘園を返せと陰で言うておる者もおるとか。一馬ならば、左様なことを言われれば返してしまうぞ。『それならば公家ですべて治めてください』と言うてな。その先は言わずとも知れよう」


 それは拙い。公卿や公家に今更荘園の差配など出来るはずもない。まして織田の地では尚更だ。織田の領地でなくば諸々もろもろの品の値が上がり、民が逃げ出し荘園は荒れ、大恥を晒すだけ。


 そもそも武士と公卿や公家の争いは根深い。いずこまで遡りて、いかに考えるかだ。頼朝公の頃まで遡るか? それとも源平の頃か? いずれにしても世が荒れたのは朝廷と公卿や公家にも大きな責がある。


 尾張が荒れると、朝廷は尾張の民に恨まれ、帝の権威など消え失せてもわしは驚かぬ。


「しばらくは某が上手く話を繋いでおきましょう。尾張を知り、その上でいかに求めるか見極めねばなりませぬ」


 三好殿にすべて押し付けるのは無理があるな。わしも動かねばならぬか。


「ああ、任せる。あまり勝手を言うなら知らせろ。余がいかにかする」


「畏まりましてございます」


 考えたこともなかったな。朝廷を変えるなど。内匠助殿も困っておろう。余所者が容易く変えられることではない。故にあの時、あれほどはっきりと言うたのであろう。


 変わりゆく尾張とその領国、そして伊勢と近江を見て、朝廷はいかに動くか。


 分からぬ。尾張におる間に武衛殿らとは腹を割って話しておかねばならぬ。戦はないとは思うが、わしも斯波と織田の考えは今一つ分からぬ。




Side:久遠一馬


 朝廷の件は、結局のところどうしようもないのが実情だろう。寺社・公卿・公家・武士と雁字搦めに固められているのが都の今であり、誰も自分の利権や地位を返上してまで変えようなんて思ってもいない。


 図書寮のことはそんな朝廷を支える公家や公卿に仕事を与えることで、緩やかに変えていくための方策だったんだけどな。それだけでは我慢できなかったということか。公家の暮らしは以前よりも楽になったはずなのに、人の欲には限りが無いからな。


 近衛さんにしても考えがあまりにも漠然とし過ぎている。こちらが積極的に官位を求めずに、朝廷に関わらないことが不満なんだ。理屈は理解する。力ある者が相応の官位を持たないと官位の価値が下がるからね。


 とりあえず、こちらの統治機構をお見せすることに異論はない。あとは時間をかけて考えていただくしかない。上皇陛下や帝には申し訳ないけど、オレたちが介入すると多くの血を流して朝廷を解体し、寺社を屈服させるまで止められないかもしれないんだ。


「その件はねぇ……」


 オレは正直、朝廷の相手ばかりしていられない。今川と武田の臣従に際して片付ける懸案がまったく終わってない。


 面倒なことになっている原因は、抜け荷に関わった今川や武田領の者たちに対して、臣従前までに再三に渡って、こちらから抜け荷をしないようにとお願いを提起する書状を送付していることだ。


 ある者は『氏素性も定かではない下郎が口を出すな』と、使者として送った者を罵倒した者もいる。またある者は刃を向けてあわや使者を殺そうとしたところもあったね。無視するなんて当たり前だ。


 当然、ウチと織田家のブラックリストに入っている寺社と商人が少なからずいる。織田領内での商い禁止、ウチの荷を彼らに売ることも禁止している者たちだ。


 以前、熱田神社の千秋さんに寺社の処分についてシンディが頼まれたが、あれは領内の話であり、領外はまったく別の話になる。


「今川家で最後まで面倒を見られてはいかがですか?」


 オレの目の前にまで伝手を辿たどり、嘆願の根回しに来たのは、朝比奈泰朝やすともさん。ご存知、今川家重臣である朝比奈家の嫡男。史実で今川氏真に長く従っていた忠臣だ。父親の泰能さんがまだ健在なこともあって、尾張で今川家の臣従の諸問題を解決するために奔走している。


「お怒りはごもっとも。罰を与えろというのならば、こちらも考えましょう。されど今のままでは……」


 罰というか、臣従前なんだ。罪を犯してはいない。彼らは今川の命令か要請か知らないが、それによって抜け荷をしていたんだ。庇うのも理解出来る。でもね。こちらの要請を軽んじた人を安易に許しては、要請を聞いてくれた人たちに申し訳ない。


「勘違いをされておりますね。私は怒ってなどおりません。ただ、こちらを軽んじた者たちを信じることなど出来ませんし、許せる立場でもない。まあ、領内での商い禁止は、織田の定める商いの約定に従う事が出来れば、いずれ解くことになるでしょう。ただし、織田が設ける公設市場の出入りと商人組合への加入は無理ですよ」


 今川領のブラックリストの商人に関しては、さすがに領内での商い禁止は解除せざるを得ない。ただし、それ以上の庇護を与えるのは現時点では難しい。抜け荷をした寺社に関してはオレの担当じゃない。千秋さんがどう判断するか。それ次第だ。


「家老衆に嘆願をして大殿の裁定を仰いでください。私ひとりなら別に愚弄されたことも軽んじられたこともいいんですけどね。大殿の猶子としていただいている身。ご迷惑をおかけするわけにはいかないのですよ」


 こっちから根回しをしてやってもいいけど、そのくらいは今川家で働いてほしい。そもそも処分案も持ってきていないし。今川と一緒に許してほしいと頭を下げているけど、今川家の頭を下げることって、暴力に等しい。


 オレのような立場でそれを拒否すると思いあがっていると言われるし、今度はウチと今川の因縁になりかねない。


 せめてさ。主犯格の商家の当主と数人の共犯商人を出家させるとかさ、なんか周りに見えるだけの反省の態度を示してくれないと。


 雪斎さんもこの件には触れていないんだよなぁ。領内の寺社をまとめるので精いっぱいだったんだろう。今川の命令での抜け荷で罪を負えとは言えるはずもない。抜け荷に関わった商人、ほぼ寺社のひも付きだし。


 はっきり言うと、今川には貸しはあっても借りはない。こちらの要請を無視した人を許したら、宇治山田とかこれから処分する者たちが付け上がるだけだ。


 さらに今後、オレの名前で要請をしても聞き届けてくれる人が減ってしまうかもしれない。なにをやっても身分がある人に頼めば許される。そんなことになったら、統治にも経済政策にも影響が出る。


 別に織田の商人組合に入れなくても、今川のお抱え商人にでもして食っていけるだけの禄はある。数年は大人しく働けば風向きも変わるだろう。


 まあ、運が悪かったね。その商人たちも。まさかこんな形で今川が降って梯子を外されるとは思わなかっただろう。同情はするが、手を差し伸べるほどでもない。


 家禄が二ヵ国待遇なんだ。このくらいは今川で解決してほしいね。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る