第1449話・北畠の衝撃

Side:近衛稙家


「都が変わらずとも困らぬ。東国の者らの本音であろうな」


 気落ちしたような二条公が呟いた一言に、返す言葉がない。関東が畿内を良う思うておらぬことは承知のことなれど、尾張や伊勢もまた同じか。


 尾張を中心として伊勢近江も変わりつつある。更に東にある関東が吾らのために働くなど、もっとあり得ぬこと。


 武衛らは覚悟を固めたということか。吾らと対峙する。驚きは北畠卿よな。あの者があそこまで尾張を庇うとは。南朝と北朝で争うておった頃とは違うとはいえ、北畠の名は大きい。


 北畠が朝廷と事を構えることも厭わぬと言うた事実は重い。


「大内も似たようなものであった。尾張は抜きんでておるが、最早、上洛が厄介事と思うておる者は思いの外、多いのやもしれぬ」


 やはり武衛は吾らにも思うところがあるようじゃの。内匠頭と内匠助が揃うまでは不遇であったからであろうな。これ以上の立身出世は要らぬとはっきりと言われるとは。


「血を流してまで恨まれとうないか。かような者が人の上に立つのだな」


 二条公は未だに信じられぬと言いたげじゃの。内匠助か、武士が血を流すのを望まず、恨みを恐れるとは。腰抜けと笑われてもおかしゅうないというのに。あの男が言うと、慈悲深い男と思われよう。


「やはり懸念しておった通りになりましたな」


 言葉も出ぬまま二条公とおると、大樹が姿を見せた。この様子では知っておったのであろうな。こうなることを。仕組んだか? いや、尾張の行く末を変えるのは大樹とて無理なことか。


「斯波も北畠も六角も、畿内は欲しゅうないか。今まで通り、各々で治めておればよいと。都は変わらずとも良いと突き放したのであろう?」


「殿下、なにをお望みでございまするか? ここしばらくの都は戦もなく悪うありませぬ」


「都以上に豊かな国があるのじゃ。都もそれを求めて当然であろう」


 大樹がため息にも似た顔をした。


「武士は某が従えれば、なんとかなるやもしれませぬ。されど公卿・公家。それと寺社。この者らをいかがするおつもりでございまするか? 今まで通り各々で税を取り、領地を治めさせろ。荘園も返せ。寺社は問答無用で敬え。かような者らのおる都にて、銭と労だけ尾張に求めるのでございまするか?」


 かようなこと言うておらぬ。されどな……。


「吾らには打てる手がない。吾らだけ率先して血を流して利を捨てろと申すか? 上手くいくとも限らぬことで。代々受け継いだものぞ」


 こやつめ。思うておった以上に尾張に肩入れしておるわ。


「東国には覚悟なき者のために血を流す者などおりませぬ。某も御免被りまする。都落ちした将軍故、今更恥のひとつやふたつ晒したところで構いませぬ。某は家も名もすべて捨てても、太平の世の芽をいかんとしても守る所存」


 二条公が驚き、大樹が乱心したのかと言いたげじゃの。しかしこの男、かようなことを言うとは。苦言を呈する形で吾らを脅しておるわ。


「そなたの覚悟、分かっておる。吾らにそこまでの覚悟を持てというのであろう?」


 誰じゃ。大樹にかような知恵を授けたのは。……考えるまでもないことか。かの者らはやはり恐ろしいわ。大樹や北畠卿が朝廷と事を構える覚悟を持つとは。


 あれは、一介の臣下に収まる男ではないぞ。


「殿下、ひとまず尾張の治世を事細かにお知りくだされ。そのことは尾張も拒みませぬ。その上で朝廷と公卿や公家、そして寺社をいかにするか、とくとお考えくださるように伏してお願い申し上げまする。不浄なものでございましょうが、銭の価値から学ばれるとよいでしょう」


 吾と二条公がこれで怒りを見せると、覚悟なき者として、こやつはまことに捨てにかかりかねぬ。


 先刻の譲位でもそうじゃ。大樹は帝と院に揺るぎない忠義を示すが、言葉を変えると大樹の忠義は帝と院に対してであって吾ら公卿にあるのではない。


 これが武士と公卿の本来の在り方なのかもしれぬの。互いに敵とはならぬが、臣下でもなければ味方でもない。


 清濁併せ吞むような男にはならぬと思うておったが、今の大樹に喜んでよいのか悲しんでよいのか。




Side:久遠一馬


「内匠助、よう言うたの」


 茶会から一刻ほど過ぎている。オレは晴具さんの下を訪れたが、開口一番にそう言われた。


「大御所様……」


「そなたの言うたこと、東国の者は少なからず同じ思いがある。誰ぞが口に出して言うてやらねば、都の者らは目が覚めぬ。すまぬが武衛殿や内匠頭殿、わしでは言えぬことじゃ」


 オレの言葉だけじゃない。晴具さんの『兵を挙げる』という言葉は強烈な一言だった。斯波家よりも権威も地位もあるんだ。それだけに果てしなく重い一言になる。


 きっかけはオレかもしれないが、この人が味方になってくれなければ流れはまったく違ったものとなっていただろう。


「恨まれぬというのは難しかろうが、それでもこうして互いに本音をぶつけねば前に進めぬ。これで近衛公らもこちらを本気で話す相手として見よう」


 外交交渉にはいろいろな要素がある。経済、国力、友好、軍事力。この世界では身分や血縁もあるか。


 下手に出ているだけでは、いつまでも進まない。晴具さんにはそんな懸念もあったのかもしれない。


「この先、いかになるかわしにも分からぬ。されどな、もう後には退けぬのだ。隙あらば我らを従え、奪おうとする。朝廷と公卿とて、本質はそのようなものよ。尾張の富と争いがない国を欲しておるのじゃからの。努々油断するなよ」


 歴史というファクターは、時には邪魔をするんだなと晴具さんの話を聞いていて思う。


 必要とあらば朝廷が相手でも争う。そういう認識はこの時代の人のほうがあるのかもしれない。


 実際、おっしゃることはもっともだと思う。共存共栄なんて甘い時代じゃない。食うか食われるか。朝廷だって、こちらが再建して力を得ると、どう動くかなんて分からない。


 そういうことだろう。


「此度の礼は必ず致します」


「そうじゃの。まだ食うたことのない美味いものでいいぞ。あれだけは主上も与えられぬ、そなただけのモノ。官位や唐物では、あれほど幸せな腹の膨れかたはせぬからの」


 思わず笑いだしてしまった。まるで湊屋さんみたいに食べ物を求めるなんて。


「ふふふ、時には飯が官位以上の価値になる。朝廷は権威と官位で人を従え、そなたは飯と徳で人を従える。それでよい。あれもこれもと朝廷に合わせる必要などないのじゃ」


 敵わないな。この人には。


 朝廷のためにも公卿には覚悟を持ってもらわないといけない。それを誰よりも知っているんだろう。


 朝廷を相手にする時に北畠が味方にいる。オレは運がいいのかもしれない。


 心底、そう思う。




◆◆

 永禄元年、五月。御幸の供として訪れた近衛稙家、二条晴良、足利義輝、六角義賢、北畠晴具、北畠具教と、斯波義統、織田信秀、久遠一馬、久遠エルが会談した。


 世の移り変わりは早く、尾張の変化に朝廷が焦りを感じたことがこの会談の根底にあったらしく朝廷としては繁栄する尾張に、より一層の朝貢を求めていたことが明らかとなっている。


 ただ、義統と信秀はすでに久遠を手本に国造りに励んでいる頃で、北畠、六角両家への支援と改革、さらに前年とこの年に新たに領地として加わった信濃・甲斐・駿河・遠江の対処で、畿内に関わる余裕などなかった。


 また、細川京兆家は三好の反乱で内乱中であったが未だに健在な頃で寺社もまた大きな力と権勢を誇っていた時期である。


 義輝を加えた斯波・織田・六角・北畠の同盟でさえも、現時点では深入りするべきでないというのが当時の情勢であり、一馬は朝廷に自らの現状と今後を考えるように促したとある。


 さらに同席では、晴具が同じ公卿である稙家と晴良に対して、これ以上血を流して都に尽くして安寧の地に変えろというなら、その都に対して兵を挙げると言及したことも知られている。


 南北朝時代には南朝の大将軍として朝廷のために尽くした北畠家の一言は両者にとっても衝撃だったが、それ以上に一馬を驚かせたという逸話が残っている。


 実際、晴具は朝廷が退かぬならば斯波と織田と共に兵を挙げる覚悟を持っていたことが、北畠家伝である『北畠記』に記されている。


 晴具は一馬を朝敵にされるのではと懸念し日ノ本のためにもそれだけは阻止するという決意だったと後に判明している。


 当人は世の行く末など見えないと言い尾張の変化も当初から分からぬと言ったという逸話が残っているが、一馬の人となりや考えを知って以降は的確に動いている。


 政策や治世の是非というよりは、一馬本人を信じたというほうが適切と考えられる。一馬には何度も朝廷との付き合い方などを教え説いていたという記録が『久遠家記』に残っている。




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