第1448話・会合の席で……
Side:久遠一馬
譲位も終わってもうすぐひと月。五月の末だ。正式には五月初めにあった譲位の後に行われた即位にて、元号が『天文』から『永禄』に変わっている。
史実では『天文』の次は天災などを理由に一五五五年に『弘治』に改元しているものの、後奈良天皇の崩御で一五五八年には『永禄』に改元している。どういうわけか、実質三年だけだった『弘治』が飛ばされたらしい。
理由は不明だ。そもそも史実でどう決めていたかもオレたちは知らないし。
すでに多くの地域に改元を知らせる使者が到着しただろう。寝耳に水だと驚いているところも多いだろうね。急な譲位だったから。
この日、義統さん信秀さんとオレは、近衛さんと二条さん、義輝さんと義賢さん晴具さんとお茶をしている。
「なにか不満があるなら言うてほしいのじゃがの」
紅茶と茶菓子で南蛮の間でのお茶になる。お茶を淹れて配っているのは、エルだ。
エルはそのままオレの隣に座る。これは義輝さんの意向だ。朝廷・幕府・斯波と織田・そしてウチの代表を集めたいと内々に話があったためだ。晴具さんは同盟関係にあるので同席をお願いしてある。義賢さんの立場が複雑なのはしょうがない。
少し重苦しい雰囲気の中で口を開いたのは、やはり近衛さんだった。
「不満などありませぬ。されど、これ以上の立身出世は無用にと願うところはございます。我らは朝廷に深入りをして恨まれとうございませぬ」
義統さんの返答に、これが外交交渉なんだなとしみじみと実感する。本音ではあるが真実ではない。統一の意思と計画はまだ明かせない。
二条さんが驚いている。近衛さんはある程度察していたか。立身出世は人の夢。だけどね、地位や官位には義務も付いてくる。細川や畠山を筆頭にした畿内の勢力でこちらの味方になってくれるのは、下手をすると三好だけかもしれない。
寺社もこれ以上、都に関わると望む望まないにかかわらずこちらを牽制するだろう。
「それでは吾らと朝廷はいかようになってもよいと言うのか?」
「それは大げさでございましょう。朝廷が不変であること。これはいずれの者が世を動かしても変わらぬこと。我らとてそれは変えようもございませぬ」
踏み込んでくるなぁ。もう少し言葉を選んで硬軟織り交ぜた切り口かと思ったんだけど。
ただ、義統さんの答えに変化はない。正直、なにを望んでいるのか。こちらは掴みかねている。
「院や主上は尾張のような太平の国をお望みじゃ」
ああ、献上品の問題だけじゃないということか。この件はこちらも掴んでいる。ただ、公卿がそれを望むとはあまり思わなかったけど。それほど急激に変わることを望むのか。
上皇陛下と帝の名前に義統さんの返答が止まった。やはり皇室の権威はこの時代の人には大きいか。
「殿下、誰もが納得のいく争いのない世などございません」
どうも勘違いしている節がある。織田は争いがないが、誰もが満足しているわけではない。相対的にマシだと思う人は大多数になるだろうけども。それでも寺社などは勝手出来る地位と権利を失って不満がないと言えば嘘になる。領地を失った武士も威張れなくなって不満な人はいるだろう。
「左様なこと承知じゃ、されどな。そなたらは都を顧みてくれぬ」
ふと晴具さんと目が合った。先日、畏れ多いと言うばかりでは駄目だと。嫌われ方を覚えろと教えてくれた言葉を思い出す。
「殿下。なにかを望むならば、自らで動き、傷を負い、損を受け入れる覚悟が必要でございます。義理以上の務めは果たしている私たちに、末代まで恨まれ、血を流せと仰せでございますか?」
言いすぎかなと思う。近衛さんも二条さんも義賢さんも驚いている。
「なにをどう変えたいとお望みか分かりませんが、こちらのやり方は朝廷の積み重ねとは違うものでございます。まず各々が土地を治め、それぞれに税を取るのを止めさせる。それが大きな違いでございましょうか。朝廷は、それをお望みなのでございますか?」
晴具さんが僅かに笑みを浮かべた気がした。身分社会において公卿とオレでは、人間と家畜ほどの立場の違いがある。飼い犬に手を嚙まれたというようなものか。
ただね、変えるということは難しく責任が付きまとう。オレは尾張と織田の領地には責任を持っているつもりだが、畿内と都の責任は持つことが出来ない。
助言がほしいくらいならいい。ただ、現時点でこちらの血を流してまで朝廷を変えたいとは思わない。
統一の最後に朝廷を新時代に残すべく変える必要はあるだろう。ただその前には、朝廷と絡む武士や宗教勢力を完全に抑えないといけない。先に朝廷を変えようとして敵を結束させるなんて困るだけだ。
一言で言えば、まず自分たちでやってほしい。リスクと苦労を人に背負わせて変えてもらうなんて虫が良すぎる。
極論を言うと、オレは朝廷よりも織田家の皆さんと領民が大切なんだ。
Side:北畠晴具
ふふふ、思わず笑いだしてしまうところであったわ。
この男、まことに言うたの。近衛公と二条公の顔色が悪いのが分かる。さりとて当然のことよ。公卿という者らは織田にやらせて、その責めを織田に背負わせて当然と思うておるからの。
南朝と北朝で争うておった頃と変わらぬ。下々の者や臣下の者のことなど軽う考えておる。
少し助けてやらねばなるまいな。この男を朝敵にはさせられぬ。
「近衛公、わしは内匠助の意見に賛同する。畿内の者らは東を顧みぬ。今更、我らに血を流して変えろというのはいささか納得がいかぬ。無理押しをするならば、北畠は斯波と織田と共に再び立ち上がるぞ」
南伊勢で燻っておった我が家であっても役に立つ。万が一にも内匠助を朝敵などにするなら、北畠の名において、朝廷と日ノ本を再び割るという覚悟を示しておかねばならぬ。
内匠助と大智が驚いた顔をした。正直、わしも驚いておるやもしれぬ。
日和見をしてもよい。そういう立場じゃ。されど蟹江に
いずれにせよ、わしの
「まて、そのようなこと言うておらぬ」
「なれば院や主上がお望みだなどと言わぬほうがよい。内匠助は日ノ本の外が本領故、申し開きが出来るが、武衛殿や内匠頭殿ではなにも言えなくなる。かようなこと、皆理解しておるからこそ、こうして譲位と御幸を世話しておるのだ」
確かに言うつもりはなかったのであろうな。武衛殿の返しがあまりに冷たいのでつい口を滑らせたというところか。
「この件は、今後も話す場を設けるということでいかがだ? 皆、それぞれに立場があるのだ。それは容易く答えなど出ることではない」
ここで公方様がようやく口を開かれた。やはり公方様の狙いはこれか。朝廷と織田の話す場を設けてやる。
わしが呼ばれたのは近衛公らを抑えるためもあろうな。若いというのになかなかやりおるわ。
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