第1446話・近衛の懸念

Side:近衛稙家


 昨年、行啓の随行ずいこうとして参ってからの動きについて、織田の者に詳しく訊ねた。信濃・甲斐・駿河・遠江と、立て続けて臣従をした内情が都におってはよう見えぬのじゃ。


 正直、吾にもよう分からぬところが多い。ひとつ言えるのは、野心を持って領国を広げようとすれば一気に世が覆るほどの力があるということか。さらに……。


「諏訪神社を要らぬとはのう」


 不始末をしでかした諏訪神社を要らぬと突っぱねて、誰も庇うことすらなかったとは驚く。土地を治めることに武士も寺社も要らぬということか。恐ろしき限りじゃ。


 大人しく従う者以外は利を与えぬ。要らぬということか。神仏をも恐れぬ愚か者にも思えるが、この地では神仏と寺社と坊主は別物であるというのが広まりつつある。


 無論、坊主は神仏ではない。神仏や寺社を悪用することもある俗物。かようなこと吾も承知のこと。されど、寺社が長年築き上げておる権威も地位も要らぬと言えるのは、羨ましくもある。


 そういえば内匠助は都に参りても寺社に参拝することはないの。あの男は坊主と寺社に対しても、武士や商人と同じように見ておるのやもしれぬ。


 そもそも尾張が大樹を重んじるようになったのは、大樹が尾張を知り味方になったからではないのか? 必要とあらば大樹すら敵とするのを厭わぬのではあるまいか?


 恐ろしきことになった。この国は戦をなくして富める国にするために、古き権威と土地にしがみつく愚か者を廃しておる。


 御幸の出迎えも悪うなかったが、これを用いて近隣や関東奥羽まで従えようとすれば出来たやもしれぬのに、それもしておらぬ。


 日ノ本をまとめる気がないのか? 古き権威と貧しき地は切り捨てるのか?


 西国の今は亡き大内卿、かの者ありし頃の大内家を思い出す。あそこも先例から都に関わることに懲りたのか、畿内に上洛することもなく、戦も望まず領国を富ませるべく治めておった。


 都におれば細川京兆家の力を今も大きいと感じるが、ここに来ると細川など見向きもされておらんように思えてならぬ。


 『潰すべきか』という考えが僅かに過る。されどすぐにその考えを捨てる。さようなことを考えておると見抜かれでもすれば、まことに朝廷は見限られる。


 英傑のひとりやふたりならば御せるはず。されど尾張はもうかような国ではない。仮に久遠内匠助を亡き者にすれば尾張の結束は緩むやもしれぬが、あそこには聡明な奥方衆と家臣らに日ノ本の外に領国がある。末代まで朝廷は久遠に恨まれ絶縁される。


 下手をすれば久遠と日ノ本の大戦になる。斯波と織田は久遠に味方しよう。東国も怪しい。内匠頭など朝廷に兵を挙げよう。あの男を止められる者はおるまい。吾は朝廷を滅ぼした愚か者として末代までそしられ怨嗟えんさの声にまみれるわ。



「殿下、お寒うございますか? お顔の色が優れぬようでございますが。火鉢でもお持ち致しましょうか?」


「いや、寒うない。少し旅の疲れが出たのであろう」


 気が付くと少し背筋が冷たくなっておった。控えておった者に案じられるくらいに顔色も良うないらしい。


 部屋は南蛮暖炉と呼ぶ、鉄の丸い箱にて暖かい。にもかかわらず心底が冷えるような気がしたわ。


「では、薬師を呼びましょう」


 それには及ばぬと言いそうになるが、止める。看てもらうくらいならば構わぬ。ここで異を唱えて、なにやらと詮索されても困る。


 悪う考え過ぎたか。誰も帝を害する気などないのだ。斯波と織田とて領国が広がり、あれこれと苦労をしておる故に変えることも出てくる。


 ただ、上から申し付けるのはもう止めねばならぬな。久遠内匠助。かの者は外国の王として扱うか。二条にも話を通して内々にその儀を定めたほうがよいの。


 あの男、恐ろしき男じゃが、頼まれ縋られると嫌とは言えぬ男とも聞く。権威や力には屈せぬが、情にもろい。むしろ外国の王と思い縋るくらいでよいのかもしれぬ。


 吾が頭を下げても、院や帝にかれては故無ゆえなく関わりあらぬこと。そうじゃの。そう思い、話をしよう。さすれば、最悪のことは避けられよう。




Side:久遠一馬


 上皇陛下に書物でもお見せしようかなと思い、沢彦宗恩さんにどんな本がいいか選んでくれるようにお願いした。何冊か選んで近衛さんにさらに選んでもらってお見せしたい。


 長年、帝として儀式を行い、祈りを続けてきたお方だ。突然なにもすることがない時間が出来ても、どうしていいか分からないかもしれないからね。


 報告では朝夕には庭の散策を欠かさずされているようなんだ。これ、ケティの健康談話を聞いた山科さんの献策を受けてからの日課なんだとか。どうりで顔色も悪くないなと思った。


 食事も好き嫌いもなく、出したものを召し上がられている。昨晩はエルがうなぎの蒲焼きを焼いてお出ししたが、餅屋の中村さんが折に触れて献上したものと同じでありながら、上を行く技量だと気付いたようだと報告があった。


 感想とかは特にないけど、傍仕えの人いわくお喜びだったとのこと。


 蟹江の温泉もお気に召されたようで、様子を見て蟹江の迎賓館で温泉に行かれてもいいかもしれない。


「しかし、こんな助言相談までウチに来るんだね」


「仕方ないですね。織田家でこの手のノウハウはありませんから。京極殿は忙しいですし」


 上皇陛下のもてなしをどうしたらいいか、ウチに相談がくる。セレスとそんな報告を片付けているが、少し苦笑いが出てしまう。


「京極殿はねぇ。仕事を抱え過ぎないようにしてもらわないと。パメラにも仕事量が増えてないかチェックしてくれるように言っておくか」


 現在、清洲城には義輝さん方の幕臣も入っている。公式に義輝さんが来ていることで彼らも御幸の応対を手伝ってくれている。ある意味、幕府の威信も掛かっているからね。


 そんな幕臣と織田の文官の調整役を京極さんが担っている。


 戦下手で統治も上手くないし、世の中を見る目も知るすべもあまりなかった。ただし、交渉や調整は本当に有能だ。ある意味、今の織田家の需要に一番マッチした人になる。


 以前一緒にお酒を飲んだ時には、周りの評価に戸惑っていたね。


 織田家中だと評価高い人なんだけど。どうしても義輝さんに見捨てられたという過去から自己評価があまり高くない。


 ここ最近の臣従組だと、あの人が出世頭なんだけどね。


 信秀さんと義統さんには聞きづらいこともオレには相談してくれる。義輝さんとオレの親交とか、尾張でのオレの立場や役目を理解しているからでもあるけど。


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