永禄元年(1555年)

第1435話・御幸にて思うこと

Side:久遠一馬


 五月だ。尾張では熱田祭りの準備が進んでいる。今年の花火は熱田の番なので、そちらの支度もある。


 本当はこの熱田祭りに御幸が間に合えば良かったんだけどね。日程的に無理がある。上皇陛下に花火をご覧いただくのは、津島神社にする予定で支度をしている。


 例年だと大きな花火大会は年一度だけ上げるものの、今年は御幸もあり二度花火大会をすることにした。まあ、表向き費用を出すのは織田家だけどね。


「偉くなって、いいこともあるということかな」


 御幸が公表されたこともあって、領内・領外の各地から諸勢力が尾張に集まりつつある。官位を頂いてあまり良かったと思うことはなかったけど、いちいちオレが会わなくていいのは良かったなと思う。


 正直、オレの感覚では呼ぶ必要があるのか疑問がある人たちも集まっている。御幸、これ隠居した陛下の私的な旅行なんだよね。平たく言うと。


 信濃なんて、織田とも斯波とも縁がない国人や寺社も人を寄越したようだ。中にはオレにも会いたい会わせろというところもあるらしいが、まずは織田家で身分や立場に合わせた担当者が会うのが先だ。必要なり考慮の余地があると判断するとオレに『会いますか?』という打診が来る。


 実際、会うほどの相手は今のところ少ない。


 織田家もウチも刻一刻と状況が変わっている。配慮をするべきところには配慮をするけど、基本は現状維持になる。国人も寺社も更に厚遇されることを前提として来ると、どうしても不満を持つようなんだよね。


 オレの場合、年齢よりも若く見えることもある。元々の身分がないこともあるだろう。年配の宗教関係者とすると、成金が調子に乗っているようにも見えるのかもしれない。


 ああ、中にはオレが信秀さんの猶子になる前に、上から目線で金色酒を売れと命じるような文を寄越したところもある。酷いところだと、『誰それがお呼びだ。すぐに参れ』という使いを寄越したところもあるね。


 一言で言うと、畏れ多いと頭を下げて寄進をするなり求めるものを提供するなりしないと、不満を感じる相手が一定数いる。


 基本相手にしていなかったことで、関係があまり良くないところもある。ほんと、厄介なことは尽きない。小さなお山の大将が、乱立するからこその乱世なんだよね。


「殿、この件でございまするが……」


 まあ、愚痴っても仕方ないね。仕事に戻ろう。オレのところにはいろいろな懸案や相談が舞い込む。あちこち視察にいくのも必要だ。優先するのはそちらになる。


 一益さんが見せてくれたのは六角からの書状だった。織田農園の報告書になる。思った以上に領民が言うことを聞かない。そんな内容だ。


 報酬を出す賦役をやると力ある者が取り上げてしまうし、中には寺社が理由を付けて寄進しろと迫ったところもある。


 村でも作る作物を指定しても無視をして勝手に田んぼにしてしまうし、全量買い上げも評判が悪いらしい。


「北近江で嫌われちゃったのかもね」


 六角における織田農園のテストは旧浅井領と甲賀の一部で実施している。順調なのは甲賀で、上手くいっていないのは旧浅井領だ。


 忍び衆の報告でもあったけど、京極さんが蜂起した時に、織田が動かなかったことで勝手に怒っている人が相応にいるらしい。それに浅井との戦でも多くの捕虜を取っていて、損害の分だけ働かせたからなぁ。


 田舎だと馬鹿にしていた尾張が豊かになって自分たちが苦しい。誰が悪い? 六角や織田が悪いと余所を悪者にして、自分たちを納得させているんだろう。


 それと旧来の惣村と秩序を壊すことも相当警戒されているみたいだね。


 すべて尾張でもあったことだ。従うところは暮らしが変わり、従わないところは行政サービスの停止とペナルティーで暮らしが苦しくなり、肥大した自尊心の駆逐に繋がる。格差が人々を変えていく。六角は今が苦しい時だ。




Side:近衛稙家


 都を出られた院は晴れやかなお顔をされておる。


 即位すらままならぬ日々から始まり、内裏の中だけが院にとってのすべてであられた。譲位など夢のまた夢。日ノ本でもっとも尊き御身なれど、もっとも思いのままに成られぬ御身でもある。


 かようなご尊顔を拝することが出来ただけで良かったと思える。


 されど、これは新たな世の始まりでしかないのやもしれぬ。それを理解しておらぬ者があまりに多いことは懸念として残る。


 大樹は細川を捨てるつもりじゃ。あれは最早、足利の世を守る気などあるまい。本来、足利の世を守るべき大樹が、自ら足利の世を捨てても新たな世を作らんとする。常ならばあり得ることではない。誰も気付かぬはずじゃの。


 とはいえ……、責められぬ。さもなくば、滅ぶのは足利かもしれぬのだ。大樹とすると当然のことであろう。


 武衛は管領となることを拒んでおる様子。信じるのは内匠頭と内匠助か。あれもまた真の武士もののふよな。己と信じる者のために動く。当人がいかに思うておるか分からぬが、武士とはかようなものよ。


 行啓・譲位・御幸。いささか尾張には不満もあるのが分かる。やはり久遠内匠助か? それとも織田内匠頭か?


 朝廷が動くことが面白うない。いや、新たな世の道筋にとってあまり望ましくないということか?


 分からぬことが多すぎる。都におっては何一つ見えてこぬのだ。不満があるならば言うてくれればと思うが、言えぬのも理解する。


 古き習わしというのも困ったものよ。吾の一存で変えてしまえるならば変えることも厭わぬ、されど、左様なことは許されぬこと。


 されど……されどな。あの男だけは、内匠助だけはいかんのじゃ。都で待っておるだけでは機を逸する。


 帝と朝廷を粗末に扱うとは思えぬが、見方を変えると義理以上の務めを果たしておる。あとはいかんとも出来ぬと言われれば返す言葉がない。


 尾張ばかりが労苦とついえを背負い込むことを望んでおらぬのやもしれぬ。争いは望まぬが、してや理不尽も望まぬ男じゃからの。


 新たな世に導こうという男が戦を嫌う。これは吾も思いもしなんだこと。


 それでも……。


 都と朝廷は古き権威の基。多くの厄介事がある。それらを解きほぐして新たな世に朝廷を導く。なんとしてもそれを為してもらわねば困るのじゃ。


 大樹が言うたように覚悟がいるの。朝廷も公卿も公家も。各々が立場に相応しき責を全うせねばならぬ。


 また、都が荒れるようなことにだけはならねばよいのじゃがの。


 無力よな。吾に出来ることなど高が知れておる。




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