第1434話・御幸を前に
Side:堺の商人
「恐ろしいところを敵に回したもんやな」
いつ以来か分からぬ譲位が行われるということで、畿内はいずこも大騒ぎになっておる。病が重く、二度と戦場に立てぬとすら噂のあった公方様が健在だったことも驚きだが、尾張と誼を深めて譲位をなさるとは誰が想像したであろう。
都の商人はあれこれと忙しいようだが、堺だけは関わりのないこと。斯波家と絶縁されておることで、公家衆ですら堺の品を買うことを避ける。
下賤と言いつつも銭の力は
「幾度か使者は送ったのだがな。お許しが出ぬ」
あれから数年、こちらは幾度も謝罪の使者を出してお許しを請うが、近頃では門前払いで終わる。
銭造りのことで三好様と揉めたことも良うなかった。良質な銭を造れと命じられたものの、こちらにはこちらの事情があると濁して時を稼いだことで、三好家からは銭造りの職人を寄越せとすら言われた。
さすがにそれは出来ぬと突っぱねると、三好様に半ば捨て置かれるようになった。矢銭はお納めしておるものの、なにか頼むと『こちらの命を聞かぬ者など知らぬ』と言われて終わりだ。
間の悪いことに公方様と三好様が和睦をされてしまい、こちらが思うた以上に三好様は厚遇されておる。
本願寺も興福寺も、いずこも斯波家と絶縁された我らを疎む。延暦寺は銭さえ積めば、日吉大社の
矢銭を納めねば、とうの昔に三好様に攻められておろう。
「まがい物の堺か」
共に行く当てのない商人である
頼る先がある者はすでに町を離れ、かつての賑わいも力もない。三好様にお納めする矢銭すら苦しくなっておるほどだ。
「久遠様の怒りは解けぬか」
誰がいずこまでお怒りなのかすら、こちらは分からぬ。ただ、噂の久遠様だけは日ノ本のお方でないからな。怒らせて許されたという話が聞かれぬ。
「宇治と山田ですら、近頃は荷を寄越さなくなったからな」
あそこも織田に睨まれ出したという。我らに唯一久遠の品を流してくれておった者らなのだが。昨年の行啓と此度の御幸から外されて、大騒ぎをしておると聞き及ぶ。
敵に回すべきではなかった。誰もがそう理解するが、最早いかようにも出来ぬ。我らはこうして顔を合わせて嘆くことしか出来ぬのだ。
矢銭を納めれば許された頃が懐かしい。
Side:ウルザ
「しかし、良いのでございまするか?」
「構わないわ。織田の文官と武官は優秀よ。それにここで勝手なことを出来る度量があるなら、それはそれで面白いわよ」
私とヒルザは小笠原孫次郎殿と共に尾張に向かっているわ。私たちは休暇を兼ねて尾張に戻るためと、孫次郎殿を御幸の出迎えに参加させるためにね。
小笠原家からは兄の大膳太夫殿が尾張にいるので、特に頼まれたわけじゃないけど。こういう生涯に一度の機会は参加させてあげたいもの。
小笠原家家臣も同行しているので、南信濃は少し手薄になる。それを案じているのは分かるけどね。
「大丈夫よ。信濃の者たちも大殿のお力を理解したはずだもの」
ヒルザは久々に尾張に戻れることに嬉しそうね。諏訪家の一件は、織田の大殿の確固たる意志と力を信濃に示すには十分だった。
諏訪神社ですら要らぬと言われた。その事実はすぐに伝わったわ。こちらが広めたとも言うけど。
「うふふ、花火もいいわよ。皆、楽しむといいわ」
小笠原家を筆頭に信濃で臣従をした者たちを大勢連れている。あまり締め付け過ぎると良くないし、ここらで花火を見せて織田の世を教えてあげないといけないのよね。
何人かは不安そうだけどね。隙を見せると危ない世の中だから。
でも、留守役は残してあるし懸念は大きくはないわ。
さあ、休憩を終えて出立しましょう。
Side:太原雪斎
密かに飲んでおった薬より遥かに効くな。
「和尚様、お加減はいかがでございましょう」
「ああ、悪うない」
「では熱と脈を計らせていただきます」
病院というところに移り数日、穏やかな日々を送っておる。日に幾度かこうして看護師なる医師の使いが診察にくる。
「はい、ありがとうございました。夕刻になる前に、一刻ほど外を歩かれるようにとの命でございます。あとで別の者が参りますので支度をお願い致します」
病で療養する者が集まるここは、とても穏やかだ。
御屋形様らは織田の政と分国法を学ぶために励んでおられるとか。駿河遠江の様子も気になるが、薬師殿の命で拙僧には供の者も教えてはくれぬ。
「なにかご不便はありませんか?」
「過分なご配慮をしていただいておりまする」
「療養して落ち着いたら、なにか体に障らぬお勤めでも出来るように致しますよ。ただ、ケティたちの許しが出たらですけどね。それまでは御無理はされぬように」
こうして直に会うと、今までのことを思い出す。恐ろしい御仁のはずが、こうしておると久遠殿もまたひとりの人なのだと思える。
「駿河と遠江はいかがなっておりましょう」
「
すでにそこまで知られておるとは。正直いえば苦労をしたのだ。富士浅間神社は久遠の力を知っており争う気はなかったが、他には様々な考えや立場があるのだ。
「ああ、富士浅間神社。あそこはご苦労をされていたようですね。上納金を払わぬ者が多く、神領の横領もあったとか。その辺りは、今後領地を清算する時に賠償させます。少しずつ返させるかな。さすがに全額とはいかないでしょうけど」
やはりこの御仁こそ尾張の要。僅かな話でそれが分かる。
「皆、争いは望んでおりませぬ。
身を正して座ると、深々と頭を下げる。聞き届けてくださるはずだ。この御仁なら。
「分かっておりますよ。雪斎殿の命を懸けた仕事を汚すようなことはしません」
拙僧に合わせるように床に座られた久遠殿は、少し困ったように笑みを浮かべてそう答えてくれた。
「お体を労わって、若い者たちに多くを伝えてあげてください。守護大名としての今川を」
『虎を仏にしたのは久遠様。あのお方こそ、まことの神仏の使いなのでございます。』ああ、いつだったか、そういう噂があると聞いたことを思い出す。
戦で攻め降せるはずだった。それが今までの世なのだ。
この御仁は変えてしまったのだ。世の流れをすべて。
御屋形様。申し訳ございません。拙僧では最後までこの御仁の足元にも及びませなんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます