第1433話・甲斐の差
Side:久遠一馬
義元さんは今も清洲に逗留している。織田の統治法や分国法など学ぶべきことが多くある。駿河に戻るのは上皇陛下が御幸してきて落ち着いた頃になるだろう。
雪斎さんは入院することになった。清洲城で療養ということも考慮したらしいけど、それだけ体調が良くないようだ。
今川に関しては正直、さほど大きな問題はない。遠江制圧の過程で織田の武力を誇示したこともあって駿河遠江の国人がおかしなことをするとは思えず、また新規に臣従した者がやることは同じなので指導がそこまで大変でもない。
問題なのは……。
「いよいよかぁ」
京の都では譲位を終えた上皇陛下が今日、
「支度は万全です。僅か数か月で駿河・遠江・甲斐が臣従したこともあります。おかしなことにはなりませんよ」
まあ、エルが言うようにやれることはやったと言えるだろうね。受け入れに掛かる費用と支度に費やした時間を考えると頭が痛くなるけど。
武田晴信さんも呼んだので御幸までに尾張に来るはずだ。甲斐における三大勢力の二家である小山田と穴山にとっては、不意打ちの形で織田臣従を知ったことで混乱しているものの、晴信さんの留守中におかしな動きをするとは思えない。
あと甲斐には法華宗の総本山の身延山久遠寺とか厄介な寺社もある。ただ、御幸に泥を塗るとは思えないんだよね。直にでも信濃の諏訪神社のことを知るはずだし、当面はそれほどおかしなことはしないだろう。
寺社に関しては、織田家中でも厄介な相手として考えられつつある。三河・伊勢・信濃と権威や力ある寺社に限って争いになったからなぁ。
ウチとしては基本的に新領地の寺社に無条件で寄進はしない。商売でならば利益になるので多少の配慮をしてもいいけど、下手に厚遇すると公家衆みたいに自分の価値を高いと勘違いして勝手なことをされても困る。
織田家としての寺社の扱いは、臣従する在来の武士次第とも言える。諏訪神社もそうだったけど、こちらから声を掛けて厚遇するほどでもないんだよね。それぞれでやればいいという感じで、どうせ待っていれば経済発展からくる物価の格差で勝手に弱るからね。
信濃は因縁やら敵だったこともあり小笠原さんが一度突き放して、現実を教えようとした。これに対して、今川は富士浅間神社もそうだけど、領内の寺社は仲介するつもりでまとめていたらしい。雪斎さんが臣従後を見越していろいろ動いていたようだ。武田はどうやら自家のことで手一杯で放置に近い。
「しかし、都合の悪い時だけ面目やら体裁に配慮しろと騒ぐのは、どうにかならないものか」
思わず愚痴るとエルや資清さんたちが困った顔をした。
口は出すな。利は寄越せ。配慮もしろ。そんな言い分が武士や寺社問わず多い。さすがにオレに直接それを言う人はいないけどね。縁ある人が頼まれて困って相談に来る。
ただ、甘い顔は出来ないんだよね。
「それとセレス。罪人衆のことだけど、本当にいいの? 警備兵で管理が大変なら別に考えるけど」
ああ、もうひとつある。謀叛や一揆に密売などの罪を犯した者の処遇だ。飛騨や信濃では懲罰として警備兵の管理下で危険な仕事などで働かせているものの、正直罪人部隊とかあまり増えてもどうかと思うんだよね。
死罪にしても見せしめの効果にはほとんどならないし、使い潰すつもりでいいんだけど。罪人の更生なんて正直なところ誰も望んでいないから。
ただ、管理に手間がかかるなら、海外に出すことも検討するべきだと思うんだよね。
「構いませんよ。使える人材は待遇を変えるなど、飴を僅かに与えて上手くやっています」
うーん。セレスがいいと言うならいいのか。ただ、警備兵って負担大きいんだよな。
警備兵は身分に問わず召し抱えているので、尾張以外の武士も多い。ただ問題もあって、多少武芸が得意なだけとか微妙な人たちも多く集まるんだ。
基本的に武士って、家柄や血筋で地位や役目を与えないと不満を持つし、その割に賄賂をもらって目溢しするとかいう報告が続出して処分されている人が多い。
旧来の戦なら小隊を率いて活躍したんだろうけど、織田だともう軍制が変わりつつあるから軍だと邪魔なんだよね。多少見込みのある人は武官に放り込んでいるけど、使いどころがない人を受け入れて再教育しているのは警備兵なんだ。
素直に帰農でもしてくれるといいんだけど。立身出世したいという人も多くてね。
尾張だと学校や警備兵で数年教育された人材が活躍し始めていることも、中途半端な人材が嫌がられる原因になる。
教育しながら働かすということにあまり慣れていないんだよね。織田家中の皆さんも。
今川家臣団に期待するのは、そういう織田家の微妙な現状もある。ほんとは御幸どころじゃないんだよね。
Side:武田晴信
「わしに従えぬと離反したのはそなたらであろう。今更なにを言う」
臣従の挨拶と、御幸の出迎えのために尾張に行かねばならぬので支度をしておると、また穴山から使者がきた。
織田に使者を出すのでわしに推挙する書状を書けと言うのだ。何故、わしを見限り離反した穴山のために書状を書かねばならぬのだ。
「我らは御屋形様に刃を向けるなどしておりませぬ。それはあまりに冷たいお言葉でございませぬか」
「今川に頼むがいい。同盟か、さもなくば臣従をしたいと申し出たのであろう? わしが知らぬと思うておるのか?」
使者の顔色が悪うなったか。わしが知らぬと思うておったらしいな。随分と舐められたものよ。
「わしはすでに清洲の大殿の家臣。勝手なことは出来ぬ。用向きがあるなら清洲に己で申し出るがいい」
素直に当主以下、皆で謝罪するならば考えても良かったが、未だに同盟相手として動いておる穴山の図々しさに嫌気が差すわ。
穴山は今川と通じ、小山田は多少の縁を伝って北条に通じておること。すでに知っておる。
もうよい。かような愚か者らの相手をしておる暇などない。勝手に嫡男と妻子を送り出して臣従を願い出た身としては、早々に尾張に参上して大殿に謝罪と臣従を誓わねばならぬのだ。
すでに清洲の大殿に甲斐の仕置きを問うており、わしに従わぬ者は捨て置けと命じられておる。今更、推挙する書状など書けぬ。
留守は春日弾正に任せる。直に織田からは武蔵を経由して食い物などが送られてくることになっておるのだ。それを受け入れ差配する者が要る。
すぐにでも民を働かせてその対価として食わせるようだ。織田の賦役と言われるものをするように命じられておるからな。
それのために直に織田から文官と武官も来る。穴山などに関わっておる暇などないわ。
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