第1432話・外の苦労
Side:久遠一馬
雪斎さんの体調はこちらの予測よりも悪かったようだ。
正直、臣従直後に隠居をさせると、あらぬ疑いを持たれるので避けたかったんだけど、倒れられるよりはいい。
ケティだって、休養と隠居では対応が違う。根回しや引継ぎを考えないで隠居を言い渡すのは珍しいんだ。
駿河遠江の二ヵ国で臣従。これは信秀さんが決めた。削れそうな理由はあるものの、それよりも東海の安定を選んだ。これは英断かもしれない。雪斎さんの隠居との兼ね合いもあり、今川家に対して配慮が要るしね。
「隠居した人向けにやることを考えたほうがいいかなぁ。出家もいいけど……、多少の楽しみと余生を過ごすための何かはあってもいいと思うんだ」
今回のことでひとつ気になったのは隠居だ。
この時代だとある程度ゆとりのある武士は隠居をすると出家してしまい、祈りの日々になることが多い。それはそれでいいんだけど、織田の統治下では世の中の変わるスピードが早いこともある。隠居する人を世の中に繋ぐ仕組みが要るかなと思う。
あと発言力のある年配者を、あまり寺社に集めたくないという本音もあるけど。
まあ、そもそも動けるうちは働くのが当然な時代なので、隠居を出来る人は限られていて、そこまで大々的に必要なわけではない。
ただ、将来を考えると特に政治に関わる人は一定の年齢で隠居をして、後進の指導をするくらいでちょうどいいとは思う。
「学校を使われてはいかがでございましょうか。あまり年寄りだけで集めても良いとは思えませぬが」
ちょうどエルたちがいないこともあり、資清さんが一緒に考えてくれた。学校か。確かにあそこならウチの目が届くんだよね。ただ気になるのは……。
「あっ、やっぱり年配者だけで集めるのは駄目か」
「年寄り扱いは嫌がる者が多うございます。それに隠居した者が集まり不満を持たれ、騒ぎを起こさんとも限りませぬ。何より世に生まれ
元の世界の退役軍人会のように発言力を持つと困るしなぁ。確かに資清さんの懸念はあるんだと思う。
「そうだね。あそこだとちょうどいいかも」
学校は本当に関わる人が増えている。今年からは女子学部とも言うべき身分のある女性専用の授業も定期的に行っている。子供から領民に至るまで受けたい授業だけ受ける人も含めると相当な人が学んでいる。
アーシャにあとで相談しておくか。まずは月に数回くらい隠居した人を集めてイベントでもしながら様子を見るべきだな。新しいことを教えつつ、自身の経験でも本に書いてもらうとかもいいし。
Side:足利義輝
明日は警固固関の儀か。譲位や即位に際して三関を封じるという。このうち伊勢国の鈴鹿関、美濃国の不破関は織田が押さえて関を設けておるのと、近江の逢坂関がある。
東国を鄙者と蛮族の地と軽んじておった頃の儀式を未だにやるというのは、いかがなものかと思うがな。まして織田の銭で譲位をしておきながら、織田との関を封じる令を出すなど愚かとしか思えぬ。
もっとも朝廷も儀式は行うが、使者を出して関を封じることはせぬという。当然であろうな。織田と六角の関を封じろなどと言えるはずもない。
「止めろと言うてもよかったのだがな」
公卿らには懸念を示しておいた。譲位は構わぬが、東国を軽んじると後々に障ると。もっとも止めることもまた難しきことと言われてしまったがな。これひとつ変えるだけの力もないということか。
「一馬は口を出さぬ方が良いと申しておりました」
武衛の言葉も分かる。一馬は責めを負わぬ以上は口も出すべきではないという男だ。それこそ、何かあると変えたからだと責められかねぬ。
譲位や改元をして世が良くなるのか? 誰も口にせぬが、それとて怪しいものだと思う。即位や譲位を恙なく行なって世が治まるならば、古の世は争いも不吉なこともない世であったであろう。
オレはそうでないことを知っておるからな。
「ああ、金持ち喧嘩せずとも言うておりましたな」
「あやつらしい」
少し間をおいて続けた武衛の言葉に、思わず笑うてしもうたわ。銭で済むなら済ませる。未だに銭は不浄な物だと蔑む者が公卿や公家にはおるが、その銭で譲位をする気分がいかがなものか聞いてみたいものよ。
「前例や慣習を変えるということがこれほど難しきことだとはな。誰もが今の荒れた世を憂いつつ、それでも変えることが出来ておらぬ。余とて変えられなんだ」
誰かを責めても始まらぬ。誰もが今のままでは良うないと知りつつ、何一つ変えられずにおる。
都におると尾張が夢幻の如く思える時がある。
何はともあれ、早う譲位を恙なく終えて尾張に戻りたいものだ。
Side:北条氏康
いよいよ織田と領地が地続きとなった。尾張とは使者の行き来は以前からある。織田が所領の拡大をあまり喜んでおらぬことも、おおよそだが知っておる。
わしとて愚かではない。いずれは臣従をせねばならぬかと覚悟を決めておる。ただ、織田は臣従ではなく同盟を求めておる。
「関東は相も変わらずだ」
織田と久遠が関東に顔見せして数年になるが、関東は変われなんだ。未だに小競り合いと戦を繰り返しておるばかり。わしとて他人事ではないがな。
伊豆諸島の神津島は驚くほど変わったという。尾張とてそうだ。武士ばかりか寺社、それも一向衆までもが大人しく土地を差し出すまでになったのだ。この目で見た今でも信じられぬものがある。
北条では駿河守の叔父上が織田を真似て新たな政をしようとしたものの、上手くいったことは僅かしかない。一族も家臣も寺社も、まとまりに欠ける。織田を真似ることに異論はないが、己の所領や利を手放したい者はおらぬ。
それに国人などは、当たり前のように他家や敵である関東管領と通じておるのだ。戦となれば寝返るような者らに何故、こちらの利を与えることが出来ようか。
「懸念は伊豆の沼津と三島の辺りかと」
「であるな」
愚痴を零すわけにいかぬな。まずは織田とのことだ。
駿河守の叔父上と今後のことを話すが、一番の懸念は領境だ。織田方となる村とこちらの村では、恐ろしいほど暮らしが変わるのだ。よほど上手く治めぬと織田方に逃げる者が出て、残るは不服者ばかりとなり、一揆が起きてもおかしゅうない。
「関東の終わりの始まりだな」
古くから坂東武者は西を好まず、己が道を歩むことを強く望む。左様な関東も終わる時が来たのだ。
織田に飲み込まれるのだ。戦をして降れる者はまだ幸せであろう。多くの者は満足に戦えぬままに降る破目になるか、所領を失い、家を滅ぼすことになる。
「我ら北条はまだ納得致しましょう」
我が祖父宗瑞公は西の生まれ。我らは西に降ることも出来ような。それだけは救いだ。
「叔父上が尾張に行って良かったわ。あれがなくば今頃はいかがなっておったのやら」
叔父上と顔を見合わせて溜息が重なった。数年で並び立つどころではない。超えられてしもうたのだからな。
しかも織田の目指す世は決して悪いものではない。
されど、友誼もあり信じられる味方でもある相手が、かように大きいとこちらの苦労は並大抵ではない。
まるで国人領主にでもなった気分だわ。
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