第1431話・ドクターストップ
Side:今川義元
「和尚、あなたには隠居してもらう」
翌日、新参者や清洲城に滞在する客人が受ける医師の診察があった。医師は噂の薬師の方。わしや倅ばかりか雪斎やほかの者らまで看た、薬師の方の言葉に皆が驚き戸惑うた。
「なにを言われる。久遠殿の奥方ならば、今川にとって今がいかに大切なのかお分かりであろう。拙僧が隠居など許されぬ」
「駄目。大殿に申し出て主命にしても隠居をしてもらう。和尚はもう政を出来る体じゃない。具合が良くないのを隠しているのでしょう?」
すぐに雪斎があり得ぬと声を上げるが、薬師の方の確固たる言葉に雪斎の顔が僅かに険しくなるのをわしは見てしまった。
「雪斎、まことなのか?」
「歳を取ればあちこちが痛むのは、ようあることではございませぬか」
かようなことがあるなど……、聞いておらぬ。
「悪いのか?」
「いつ倒れてもおかしくない。こんな状態で戦に出て旅をしていたなんて正気とは思えない」
雪斎がそこまで具合が悪いのを隠しておったとは。薬師の方は迷いもなくありのままに語っておるように見える。少なくとも謀ではあるまい。
わしは……、わしは……。
「雪斎、ひとまず休め。ここで倒れると誰もが困るのは分かるであろう」
「……はっ」
なにより雪斎の様子が、すべてまことのことじゃと物語っておる。左様な雪斎を休ませると、すぐに内匠頭様に呼ばれた。
「雪斎和尚がようないらしいな」
「はっ、雪斎の様子からも事実かと思われます」
ここに来る前に織田の者に少し聞いたが、薬師殿が休めと命じると何人たりとも覆せぬという。内匠頭様どころか武衛様ですら止めるのだとか。
「今川は駿河と遠江。二ヵ国を以って臣従をした。先の謀叛での後詰めを理由に減俸にはせぬ。今後、俸禄を決める検地などがあるが、そこは変えぬ。もう十分であろう? 休ませてやれ」
薬師殿の見立てに噓偽りない。内匠頭様もそう確信しておるか。
「畏まりましてございます」
「互いにこうして顔を見て話すことになろうとはな。感慨深いものがある。わしはここ数年、一馬らに今川対策の献策を任せておった。その策をもってしてもここまで持ちこたえたこと、賞賛に値する。今後は具合を見ながら若い者を教え導くくらいでよいではないか」
ああ、長きに渡り共におったのじゃ。その雪斎が……、まさかかようなことになるとは。
「以後、雪斎和尚のことはケティに任せる。薬は必ず飲ませろ。頑固なのもよいが、意地を張られると困る」
いずれにしろ、わしと雪斎には時がなかったということか。わしがここまでやってこられたのは雪斎のおかげ。臣従が雪斎の最後の務めとなった。これは天命であろう。
「はっ、かならずや」
雪斎は最後の最後まで務め、そして死したかったのであろう。だが、それはさせられぬ。
良い時に清洲に来たものと思わねば。雪斎に意見が出来る薬師など駿河にはおらぬ。
我が師なのじゃ。そろそろ楽をさせてやらねばならぬ。
Side:太原雪斎
歳は取りたくないものだな。まさか尾張にて薬師殿に見抜かれるとは。
「いつからじゃ?」
客間で休んでおると御屋形様がおひとりで来られた。怒っておいでか。致し方ないと知りつつも納得していただけぬのやもしれぬな。
「数年前からでしょうか。なにがあってもいいように遺言は残してありまする」
いかなる時も肌身離さず持っておる遺言書を御屋形様にお見せする。
「遠江は辞退するべきか」
幾度か書き直したものだが、今の遺言書には今川家として遠江の俸禄を辞退することなどが書かれておる。新参者とて必要とあらば厚遇するとはいえ、因縁ある今川が遠江の俸禄を頂くのは控えたほうがいい。
「はっ、念には念を入れるべきかと。大きすぎる家臣を喜ぶ者はおりませぬ。内匠頭様は良くても次の代で潰されては元も子もありませぬ」
「内匠頭様よりそなたを隠居させるように命じられた。駿河遠江の二ヵ国の待遇で減らさぬとな。それを以って、そなたを休ませてやれと……」
ああ、あのお方は今川にそこまで配慮をしてくださるのか。
「ならばお受けになるべきでございましょう。あとは働きで家を残していくしかありませぬ」
拙僧如きを使い潰したとて、誰も異を唱えぬというのに。仏の名が惜しい御方ではあるまい。にもかかわらず……。
「新たな今川の
「内匠頭様は若い者を教え導くことをしてはと言うておられた。今川のことはわしに任せよ。わしは隠居をせぬ。そなたの分までまだまだ働こうぞ」
乱世、そう呼んで差し支えあるまい。西も東も争いばかりであった。今川の家督を得られた御屋形様を支えて今日まで共に励んできたが、これも先を生きる者の定めか。
御屋形様の目に力が戻った気がする。いつからか、織田とのあまりの違いと、上手くゆかぬ武田との戦で力を失っておられたというのに。
悔いは残る。拙僧は最後まで後手に回り、織田の掌で泳がされておったに過ぎぬと思えるだけに。
されど、御屋形様に今一度生きる気力を与え、今川家の行く末もまた峠を越えた。この辺りで引くのもまたひとつの道なのかもしれぬ。
◆◆
天文二十四年四月、駿河守護である今川義元が尾張の織田に臣従をした。
遠江を巡る争いで長らく因縁があった、斯波家とその家臣であった織田との因縁がようやく終わった時であった。
織田と今川の争いは久遠一馬の仕官以降一変する。中世そのものであった両家の争いは久遠一馬とその妻たちの活躍により、小競り合いから始まる合戦で勝敗を決め、支配地の切り取りを押し合うことから、経済・流通などを含めた総力戦に移行した。
そんな織田はわずか数年で経済・政治・軍事とあらゆる分野で改革と発展をしており、これほど長く対立して持ちこたえたことは、今川がいかに有能であったかを示す結果として残っている。
特に今川の統治能力を織田は人一倍評価していたようで、長年対立していた義元を本拠地である駿河に据え置き、東の抑えとすることに迷いがなかったとすら伝わる。
今川については久遠一馬が、『戦うのは避けたかった。それだけ今川は手強く恐ろしい相手だった』と語ったという記録が残っている。
実際、両家は何度か戦かと噂になり、三河本證寺の蜂起の際には共闘したにもかかわらず停戦以上の関係改善が進まなかった。
戦をすれば勝つ見込みが織田にはあったものの、周辺情勢や関東との兼ね合いもあり、一馬と妻たちは一足飛びの拡大路線に反対していたとある。
さらに滝川資清の『資清日記』には、一馬が日ノ本統一のために今川を織田の家臣に欲していたと記されている。
ただ、大智の方こと久遠エルと対峙出来た数少ない人間であった太原雪斎が、織田に臣従をした際の薬師の方こと久遠ケティの診察により隠居を命じられている。これは雪斎が自身の体の不調を隠していたことを見抜かれたのだと『織田統一記』にある。
今川方の資料にも同様の記載があり、前後の様子からも雪斎がすでに第一線で働くのが難しいのは確かだったと思われる。
一部にはこれが織田方の陰謀だという説もあるものの、織田は雪斎に隠居を命じたが、僧侶としてその後も厚遇しておりその説は事実とは言い難い。
『黒衣の宰相殿をもってしても薬師様には勝てなかった』と太原雪斎の隠居のことを語ったとされる
敵味方問わず、人命を重んじる久遠家の方針が、真の意味で斯波家と今川家の因縁を終わらせる一因となったと現在では考えられている。
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