第1428話・変わりゆく立場

Side:穴山信友


「なにを考えておるのだ!? あの男は!!」


「勝手なことを!」


 武田家が尾張の織田に臣従をしたという事実が、とうとう甲斐国中の国人に知れ渡ったか。家臣ばかりか近隣の国人らまで、わしの居城に連日押しかけてくる者らがおる。


 されど、いかがしろというのだ?


「守護としての役目を捨てて、尾張の守護代風情の家に臣従など古今未曾有ここんみぞう大恥おおはじぞ!」


「許してはならぬ!」


 言い分は理解する。されど、御屋形様のお決めになったことも致し方ないと思う。我らは御屋形様を追い詰め過ぎた。


 御屋形様には隠居をしていただくか、穴山家が今川と同盟を結べればよかったのだが、いずれも叶わぬまま、武田も今川も織田に降ってしまった。


 奇策か。苛立つのはわしも同じなれど、すでに武田との同盟を解消してしまった身としてはいかようにも出来ぬ。


 わしも密かに躑躅ヶ崎館つつじさきやかたに真意を問う使者を出したが、最早、甲斐を治める力もない故に公方様に守護をお返しして、織田に助けを求めたのだと堂々と言われてはいかんともしようがなかった。


 まさか守護を捨てるとはな。なにより武田家がそれでまとまっておることが信じられぬ。


「穴山殿、我らはいかがすればよい?」


 かようなことは己で考えろ。わしの家臣でもない者らなど知るか。……そう思うたところで御屋形様の真意に気付いた。御屋形様も今のわしと同じ心情であったのやもしれぬと。


 己を支えぬ者を守る義理はない。ならば恥を忍んで織田に降り、我らと別の道をいく。


 まさか、かような真意がこの策にあるとはな。


 気は進まぬが、まずは織田に挨拶の使者を出すしかあるまい。されど、臣従などしたくはない。織田は土地を召し上げてすべてを奪ってしまうのだ。いつ打ち切られるかも分からぬ俸禄など欲しゅうない。


 わしは代々守り抜いた領地があればそれでいい。


 こんなことなら小山田殿と共に、さっさと兵を挙げて御屋形様を追放しておけばよかったわ。冬の間ならばそれも出来たのだ。


 まったく、困ったことをしてくれる。




Side:今川義元


 岡部と朝比奈に後を任せて、わしは駿河に戻らずに倅と雪斎らと共に尾張に向かう。敗軍の将が時を掛けてよいことなどないからの。御幸前にすべて終わらせておきたい。


 しかし、改めて見ると、わしも雪斎も歳を取った。殊に雪斎は、ここ数年は疲れが顔に見えるようになった。ここらで休ませてやらねばならぬの。


 倅はいささか案じるところもあるが、それも含めて新しき立場としてやっていくには良き按配あんばいなのかもしれぬと思うわ。


 すぐに出立して遠江を抜けて三河に入ると、周囲の様子が変わったのが分かりおる。国人や土豪もおらぬ地とはいかがなものかと思うたが、少なくとも旅をするならば悪うはないらしい。


「お久しゅうございます。治部大輔殿」


「これからは同じ織田家中、先達せんだつとして良しなにお頼み申す」


 東三河にて松平広忠と久方ぶりに会うた。かつてと立場が変わりてしもうた儚さを感じずにはおられぬ。


「思うところもございましょうが、直に慣れましょう。今の織田と争うは難しきこと。我が家中の皆もよう理解しておりまする」


 かつてと立場を違えて今はこちらから頭を下げねばならぬ、左様なわしの心情を察したのだろう。なんとも言えぬ顔で情けをかけられたわ。


 その顔を見るに、胸のうちに込み上げてくる微かな苛立ちを消すことに終始する。この期に及んで、まだかようなことを思うておるのかと、己の愚かさに嫌気が差してくるわ。


「清洲の大殿と久遠殿にまみえれば、治部大輔殿のお心も落ち着きましょう。今宵はゆるりとおやすみくだされ」


 多くを語らず、我らを歓迎する宴もせぬまま捨て置いてくれた。それが広忠の情けなのであろう。


 世は無常よな。




Side:久遠一馬


 都では譲位関連の儀式が順調に執り行われているようだ。懸念していた晴元も特に動きがなく、ホッとしている。


 義統さんたちは大変なようだ。義輝さんからは近衛さんが次の世を見据えて動いていると文も届いた。申し訳ないが、公家や公卿には太平の世の前に変わってもらわないといけない。


 オレや信秀さんたちで片付けておかないと、次の世代で変えるのは不可能なことのひとつだ。


 無論、相手があることなので一方的に決めることは出来ないけどね。


「今川親子が来るのか」


 遠江の後始末は残るが、義元が尾張に挨拶に来ると知らせがあった。早いほうがいい。一言で言えばそういうことだ。御幸前に挨拶を済ませたいのだろう。


 少しだけ感慨深いものがある。今川義元といえば史実の織田信長の最初で最大の難敵と言っても過言ではない。史実における桶狭間の戦いより五年早い決着だ。


「領地が広うなりますな。坂東ばんどう、いやさ関東にせっすることになるとは……」


 結果だけ見ると義元の臣従は織田にとっても得るものは大きい。信濃や甲斐と違い、駿河が安定している影響は本当に大きい。資清さんは地図を見て、織田の領地があまりに広いことをどう受け止めるべきか考えている様子だ。


 当面の間は義元を駿河に置いておく必要がある。隣は北条なのでなし崩し的に騒動になって争いにはならないと思うけど、関東はお世辞にもまとまっているとは言えない。


 それに甲斐信濃の不安定さが目立つだけに必要な人材なんだよね。本人は隠居するつもりらしいが、こちらでは引き留めて役目を与えることが決まっている。


 小笠原さん、礼法や小笠原流の弓の腕前は凄いが、統治能力はやはり微妙だ。そもそも小笠原家の権威と力も弱いので個人の資質だけの問題ではないけど。


「北信濃は当分現状維持ですね」


 エルが指摘した北信濃に関しては、雪崩を打つような臣従が起きないでいる。経済的にも越後とか日本海側と近く、また村上に至っては武田に勝ったまま負けていないので、一言でいうと調子に乗っている。いい意味でも悪い意味でも。


 北信濃を統一出来るほどの力もなく、昔ながらの小競り合いに終始している。ただ、今川と武田が引き分けて、武田に大勝したというのが村上としては誇れることになるからね。


 一応斯波家との血縁があるんだけど。関係は良くもなく悪くもなく。こちらに媚びることもないものの、最低限の挨拶の使者は寄越している。


 真田領など武田方だったところに手を出すかと思ったが、その前に武田が織田に臣従をしてしまったからなあ。旧武田方は遠くないうちに織田に降るだろう。村上が勢力拡大をするのは難しい。


 ただ、村上とすると守るなら織田とも互角に戦えると思っているみたいなんだ。


 正直、こちらもそれでいい。あそこを得ると越後と接することになる。


 織田家はすでに戦の形態も変わり、史実の強さはあまり参考にはならないけど。長尾景虎はどう動くか今一つ読めない相手だ。


 村上が盾なり壁になるなら、現状維持でいい。




◆◆

躑躅ヶ崎館=武田家居城

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