第1427話・因縁の終焉

Side:久遠一馬


 諏訪の一件が織田家中で議論になっている。


 織田家に敵対していないのだから、もう少し配慮をしてやるべきだという声もあるし、一方で自分たちが不利になると助けろという行動そのものに嫌悪感を示す声もある。下級武士や領民クラスになると寺社の堕落に驚き、神仏を騙る愚か者としか見ない者も多い。


 そもそも寺社は社会システムの一部だ。特にこの時代では完全排除も難しい。問題なのは特定の一族が代々継承している私有宗教と化していることや、既得権を数多く得て武装し独自勢力として生きていることか。


 信秀さんあたりは、もう特別視はしないという態度だ。なにかと厚遇して配慮しろと求めるけど、それは織田が強く寺社ですら敵わないからという本音でしかない。寺社のほうが強く出られる相手には、まったく違う上から目線の動きをする。


 はっきり言うと織田は寺社の助けが必要なく、信用もあまりしてないというのが現状だ。


 まあ寺社でも対応は違う。富士浅間神社なんかは無条件臣従を前提にしていて、今川家の正式臣従を待っている。


 どうも無量寿院と織田との成り行きや交渉経緯をだいぶ知っているらしい。要らないと言われるようなことはしない。それが基本方針のようだ。自分たちの面目を守りつつ、今川も降るのだから自分たちも降るという体裁で争わず収めたいようだ。


 あそこはウチと取り引きもあり、関東でのウチの商いや北条の動きも理解しているからな。争っても落としどころがないことを承知なんだろう。


 諏訪とは商いを止めている。安く融通していたものの、こちらに被害が出たからだ。正直、このままだと秋の収穫まで厳しいんだよね。ただ、ごく一部でも蜂起する可能性が残る以上は再開も難しい。


 信秀さんの不戦の誓紙を交わすという条件、これも諏訪神社に配慮したものだ。独自の領地経営は厳しいものの、末社、末寺からの上納金などもあるだろう。絶対にやれないことでもない。


 御幸の出迎え、これには諏訪神社は呼ぶらしい。武士としての諏訪家は宗家がいないので呼ばない。分家の代理を認めないようだ。


 高遠領を落ち着かせて被害の弁済計画を立てたら呼ぶ可能性もあるんだけど。その高遠領を落ち着かせるのも結構大変になる。高遠一族は武田が引き取ったけど、当然、残った者たちもいる。帰農する形で残った高遠一族もわずかにいるようだし、家臣筋も残っている人がいる。


 諏訪方はそんな者たちを容赦なく攻めて殺している。また高遠領の村で従う意思を示したところもあったらしいが、そんな村も荒らしまくっていて復興が大変だという報告があるんだ。


 飢えからくる不満と武田高遠に対する不満が爆発したのだろう。どうも勝手をした者たちは諏訪満隣やその子たちではなく、もっと下の者たちだったようだけど。とはいえ多くの者たちの不満に対して体を張って止めることもしておらず、仕方ないと流していたのではと思える。


 よくある事と言えばそうなんだろう。寺社の権威で贅沢して、苦しむ人々と乖離かいりした支配層って。


 オレはこの件、関与していない。信秀さんが早々に方針を言い渡したことで関与する必要もなかった。諏訪神社を潰すのはもったいないかなと思うけど、別に諏訪一族でなくともいいのではないかとも思う。


 守護使不入という特権の維持と不戦の誓紙を交わすという安全保障をする。この時代でいえば十分な配慮だ。それだとやっていけないからもっと配慮しろというのは正直理解に苦しむ。


 まあ、経済格差からくる物価の違いで潰れるのは目に見えているけど、それでも独自に生きるのがこの時代の流儀だ。


 諏訪に関しては織田ではこれで終わり。あとこちらから動くことは御幸の出迎えの際に諏訪神社を呼ぶだけ。小笠原さんも積極的に助ける気もないようだしね。


 ああ、遠江の平定がほぼ終わったと知らせが届いた。織田のあまりに一方的な勝ち方、戦と言うより処理・処分が行われる有り様に心が折れたようで、義元が無条件降伏を促して降ったところも多いようだ。蜂起したところがろくな抵抗も出来ずに負けていく状況で、最後まで戦う意思がある者はいなかったらしい。


 斯波家が未だ、かつての今川への寝返りを許していないという状況で、今川から離反する危険性も理解したようだけど。




Side:織田信広


如何いかにやら富士殿が今川殿や家中に苦言を呈したようでございまする。臣従するなら武功にこだわらぬ働きをして支えねばならぬと」


 望月殿の報告に苦笑いを浮かべておる者もおる。突如、今川方が働くようになったわけを探らせておったが、かようなことがあったか。


 織田としては今川に戦わせる時も惜しい故に、こちらで戦ったのだ。戦のやり方も違う。小勢こぜいか、無勢ぶぜいが如きの謀叛に対して今更槍を合わせるなど要らぬことだからな。


 おかげで戦わずして降った者らも多い。始末は今川に任せる。父上は興味がないようで、守護様もお忙しいのを幸いに、謀叛を重ねる変節へんせつやからなど、見たくもあられぬ様で関知かんちなさらぬようだ。


「結局、焙烙玉と金色砲で勝ちましたな」


 後詰めとして来た者らも、此度は皆に武功の場があった。金色砲は久遠で用いたが、焙烙玉や鉄砲や弩などは広く皆が使っておったからな。


 安堵したというのが本音であろう。久遠、かの一党が強いのは理解するが、皆、働き場がほしいのだ。


「諸将の皆さま方は、言葉は悪う御座いますが、替えが利きませぬ。焙烙玉と金色砲ならば作ればいい。それが我が殿のご意思でございます。かような謀叛如きで命を懸けるなどあってはならぬと」


「そういえば春殿が三河でも言うておりましたなぁ、些細な謀叛如きでは武功などとは言えぬと」


 変わった戦に少し思うところがある者もおるようだが、望月殿が久遠殿の考えを告げると多くの者が納得をした様子になる。


 真似出来るかと問われると悩むが、言うことはもっともであろう。


「あとは今川がやるべきことだな」


 我らは一足先に三河に戻ることになる。後始末も大変であろうが、それは今川の仕事だ。


 幾ばくかの者はこのまま信濃に転戦するが、向こうでは戦にはならぬという。諏訪が騒がしいようだが、蜂起まではするまい。多少の騒ぐ者はおろうがな。


「御幸に間に合うようでようございました」


 水軍の将として軍議におる佐治殿の一言に皆が同意した。噓偽りなく間に合わねば我らも困ることだったのだ。


 あと少し遅ければ、まことに父上か久遠殿が出張ってもおかしゅうなかった。それを望んでおるならばよいのだが、父上も久遠殿も望んでおらぬからな。


 


◆◆

 天文遠江騒乱。


 今川義元の織田臣従に異を唱えた者たちが謀叛を起こした事件である。


 事の経緯はよくあることで、織田家に臣従を決めた義元に対する反発は特に遠江で多かった。遠江は斯波家がかつて守護だったこともあり、座して織田の陪臣となるくらいならば織田直臣か、願わくば斯波家の直臣になりたいと企てた者もいたと記録にある。


 ただ、その動きに対する斯波と織田の反応は冷たいものだったようで、清洲に出向いた使者は外事受付担当の下級文官以外には、会えずに事実上の門前払いだった。


 さらに御幸が知れると義元は体裁を捨てても織田に援軍を要請し、織田は五千の兵と水軍を動かしたことで遠江勢は絶望の中で戦った者が多かったという。


 なお、この援軍の戦いぶりを見た今川方もまた戦意を喪失した者が多かったと伝わる。


 織田方は織田信広が将だったが、今川方などあてにせずに織田勢だけで次々と敵を降していく様に力の差を痛感したと幾つかの記録にある。


 結果、斯波と今川の因縁の地である遠江は、最後は両家が共に戦うという数奇な顛末により、その因縁を終わらせることになった。




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