第1429話・臣従

Side:今川義元


 尾張に入ると街道の人通りが多いことに驚く。特に熱田から清洲に向かう道程どうていは旅をする者や地元の民らが行き交っておった。


 天守と呼ぶ、白き五層の館がある城を見上げ、これまでのことを思い出す。


 十年も前ならば少なくとも互角には戦えたはず。久遠が来たばかりの頃ならば、まだ打てる手もあったであろう。すべては今更なことじゃがの。


 せめて一戦交えて。かような思いはわしにもあった。先日の遠江での戦を見て、やらずに臣従をしてよかったとも思うたがの。


 臣従を前に頭を丸めようかと思うたが、雪斎に止められた。勝手なことはするべきではないと。


 上座におるのは。若武衛か。そして次席におる者を見て理解した。あの男が長年争うておった男であるとな。


 噂の久遠がいずこの者かと思案するが、こちらから問うわけにもいかぬ。いよいよ臣従か。


「父上は都におるが、今川殿のことは許しを得ておる。これにて両家の因縁を終わらせることを切に願っておるとのことじゃ」


 型通りの挨拶をすると若武衛が口を開いた。ふむ、内匠頭との関わりはいかがなものかと思うておったが、やはり悪うはないらしい。


 同席する者らや若武衛と内匠頭の様子からそのくらいならば分かる。


「お初にお目にかかる。織田内匠頭である」


 若武衛といい内匠頭といい、驕ることも誇ることもなく淡々としておる。さすがは数年で所領が次々と増えておるというだけのことはあるということか。


「仔細は後日伝え話すが、治部大輔殿には駿河代官を命じるつもりだ。分国法も政も違うが、治部大輔殿ならば懸念はなかろう」


 思わず驚きを見せてしまったかもしれぬ。駿河代官じゃと? わしを使うというのか? 内匠頭は。


「畏まりましてございます」


「ああ、隠居などせずともよい。名を上げる機会ともなろう。今川家の力はよう知っておる。関東と接する駿河は他に任せられる者もおらぬ。彦五郎殿にも追って別の役目を与える。両名とも御幸までに尾張に慣れてもらえばよい」


 斯波と今川の因縁は軽うはないのじゃがの。わしに出来るか? 因縁ある相手に立場を与えて、名を上げる機会を与えるなど。


 それとも今川を潰す機を窺っておるのか? いや、それならば美濃斎藤がとうに潰されておるはず。あそこは今も織田の重臣として美濃代官を務めておるはずじゃ。


 ……これが、一代で天下に手が届く武士もののふということか。人質も取らず、才あり力ある者を迷わず使う。


 勝てぬはずじゃ。




Side:久遠一馬


 他国の臣従は割と慣れている。ただ、それでも今川は特別なものがある。


「まさか戦をせずに今川を降すとはの」


 義元さんたちが下がると、筆頭家老である佐久間大学さんが思わずそんな本音を漏らした。古参の皆さんは感慨深げにしている。一概に喜べないのは、すでに今川を併呑したその先を考えているからだろう。


「久遠殿が、今思えば若殿の稚気ちきとも言える覇気はきほだされて新参致した頃は、三河もいかがなるか分からなくてな。仮に戦で勝って従えると言うても、幾度今川と戦をせねばならなかったのであろうな」


 変わった織田家においても、今までのやり方は当然身に染みている皆さんだ。本来のやり方で今川と戦っていたらとふとそんなことを考えるのは当然だろう。


「しかし、これでひとつ肩の荷が降りましたね。斯波家の悲願が叶い、因縁も終わります」


 オレは正直、ホッとした。因縁というのは当人の意思だけで解決するのは、なかなか難しいものがある。


 信秀さんもどちらかと言えばホッとしている気がする。宿敵を降すというよりも、先を考えると今川の力をそのまま取り込めるメリットは大きい。ウチが主導する織田と、数年に渡り硬軟織り交ぜた手法で調和ある対立関係を維持した今川の力、一番認めているのは織田だとすら思う。


「ただ、治部大輔殿はやはり隠居するつもりだったようですね」


 義元さんの顔色が変わったのは駿河代官の話の時だ。本人は一連の責めを負って隠居という既定路線で考えていたんだろう。まあ、この時代に限らず、能力もある新参者は疎まれがちだし、因縁を考えるとそれが普通なんだけど。


「主命として働いてもらう。治部大輔殿だけ安穏な日々を送るなどさせぬ。許せば、それこそ守護様にお叱りを受けてしまうわ」


 少しおどけた表情で語る信秀さんの言葉に皆さんが笑った。


 広がり続ける領地と変わり続ける政の両立は楽ではない。まして領境は特に統治が難しい。信濃のように不安定になるのは困る。


 すでに北条家とは話し合いを始めている。特に大きく変えることはないけど、経済格差や統治法の違いを説明しておかないと、騒動にしかならないし。ここで生きてくるのが北条家と積み上げた友好関係だ。


 関東訪問から伊豆諸島を頂いたこともある。伊豆諸島の件もあって、北条ならウチも支援が出来る口実がある。


 西の六角と北畠、東の北条。この三家が事実上の同盟相手として、改革をしつつ共同歩調を取ってくれると物凄く助かる。


「随分とたこうておるの」


「大殿と十年以上渡り合っていますからね。役職の俸禄を倍増にしてでも働いてほしい方ですよ」


 一番驚いているのは義信君か。細かく教えてあるんだけどね。どうしても因縁の相手ということで信じていいのかと言いたげだ。


 まあ、ここでおかしなことをする程度の男だったら、オレたちが来て八年近く持たなかっただろう。後手に回りはしたが、大きな失策もなく見事に面目と立場を守り抜いたのは賞賛するしかない。


 重臣一同に異を唱える人はいない。今更駿河で謀叛を起こされても影響が限定的なことを皆さん理解している。それに、謀叛より功を上げるメリットがあることも承知だからね。


 適材適所ということもある。小笠原さん辺りは正直、代官をするよりも礼法指導とそこから派生する人品じんぴん育成が適任なんだよね。


 物分かりの良くない人や、乱暴な人が多くて苦労をしているようだけど、上手くやっていると報告が上がっている。


 それに義元さんが断ると、ウチの妻の誰かを送らないと駄目になるし。


 ウルザたちは当面信濃から動かせない。また春たちも北畠と六角の相談役も兼ねて伊勢にいるので、こちらも動かせないんだよね。まあ、他にも送れる人材がいないわけではないんだけど、あまりウチが要所を支える体制は増やしたくない。


 あとは甲斐と信濃の小笠原でも木曽でもない所なんだよなぁ。晴信さんが思った以上に割り切って動いているので甲斐は大崩れしないだろう。これも本当に朗報だ。


 穴山と小山田は詰んでいるけど、こちらに反発心はあっても、敵愾心てきがいしんはないようだから御幸中は動かないだろう。あとはどうとでもなるが、あそこ貧しいから総反発されると面倒でしかない。領主から領民まで、腹が減るから奪うが染み付いてるし…。


 今川に残る最大の懸念は雪斎さんの体調なんだよな。明日にでも全員健康診断を受けてもらうことになるので、その結果次第だけど。


 ナノマシン治療でなんとかなるなら治療をしてもいいかもしれない。あの人がいなくなると一気に難易度が上がる。


 エルと対峙出来るレベルの人なんて、そうそういないからな。




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