第1419話・信濃の春

Side:久遠一馬


 尾張では譲位よりも御幸の支度で忙しい。ただ、譲位が行われると時代の節目を感じて喜ぶ人もまた多いんだよね。


 言い方が適切か分からないけど、自分の懐が痛まないで朝廷が本来の姿に戻るのは歓迎する人が多数だ。見えない苦労や懸案を知らないとそんなものなんだろう。


 織田家においては武田臣従、これがまた面倒だと愚痴が聞かれ、共通の認識と化したらしい。日ノ本統一の意思を家中に示すべきなんだろうが、これもタイミングを計っている段階だ。


 遠江の平定は直に終わる。街道整備などしていない場所もあるので、進軍スピードの鈍化で時間はかかるが、意地で挑まれる野戦と相手が無策の攻城戦は演習のようにスムーズに進んでいる。


 今日はセレスと一緒に警備兵の新兵の訓練視察に来ている。警備兵の訓練、今のところは尾張に集めて訓練をしているんだよね。最近では信濃者も多い。


 旅費がかかるけど、正規の警備兵となる人には尾張を見せたいという思惑もある。また任地を故郷から外すこともしているので、人の移動は必要なんだよね。


「結局、今川で面倒見るんだろうね」


「今川とて要らないのでしょう。ただ、それを言えない立場でもあります」


 遠江からも直に警備兵の志願者が来る。国人衆や土豪は今川に臣従をするか、帰農するか、警備兵に志願するか。このくらいの選択肢しかない。


 最終的には今川が面倒見るんだろうというのが、こちらの読みだ。駿河・遠江の二か国待遇もそれを加味してのものになる。信賞必罰というか、かつて斯波家から寝返った者たちを厚遇することは出来ないんだよね。


「今川も大変だよね。俸禄にするので困ることはないだろうけど。いつまでも大勢家臣を抱えて食わせていかなきゃいけない」


 今のところ俸禄を削減とかすることは考えていない。ただ、状況が変わるか世代が変わるとあり得ることだ。正直、この機会に家臣は選別したほうがいいと思うけど。


 史実でも江戸時代初期に家臣を大量に抱えたまま太平の世を迎えた大名家は、その後に苦労をしている場合がある。


 織田家だと不要な家臣を独立させている家が少なからずある。警備兵や武官や文官の仕事を世話して突き放している感じだ。


 もう領地制に戻らないなと理解した人なんかは家中家内の整理をしているんだ。一族なんかはまとめていかなきゃいけないものの、領地運営のために血縁などで臣従をさせていたところは必要性がなくなってもいる。


 立場の上下と優位性を保ちつつ、自分たちで働けと突き放すのが割とある流れなのかもしれない。


「織田家も他人事じゃないんだよね」


 ウチは規模の割にそこまで家臣を抱えていないし、武士としての仕事以外でもみんな頑張ってくれるからあまり問題はないけど。


 織田家で見ると一部だと働かなくても俸禄で十分だという人がいて、そういう人をどう扱うかという議論が起きている。


 田畑を耕し定められた税もきちんと納める。ただし俸禄があるので自給自足の暮らしとしては楽になるんだ。人に頭を下げたくない。よく知らない人と関わりたくない。そういう人は意外に多くいる。


 これは今まで自領から出ない暮らしをしていた人はしょうがない。立身出世を望まないのもある意味理解出来るしね。


「役目を与えて働かせるしかありませんね。拒絶するなら俸禄は召し上げるべきです」


 織田家でもセレスの意見でまとまりつつある。率先して働かない者は無理にでも働かせろという流れだ。そのための俸禄でもあるからね。


 ただし、今の織田家のことをほとんど理解していない人がそんな人たちには多い。


 はっきり言うと、やる気のない、新しい体制も理解してない人を寄越されても使えないのではと、現場を知る人達から疑問も出ている。


「そうなんだけど、やる気のない人、どこも欲しがらないんだよね」


「必要とあらばこちらで教育します」


 うーん。それしかないかなぁ。この件、信秀さんが割と不満に思っている。今のところ議論を見守っているけど、おかしな問題を起こすと即俸禄召し上げと日ノ本の外に島流しになりそうな感じだ。


「佐々殿たちみたいにやってくれればなぁ」


「元が違いますよ。一緒にするのは失礼です」


 興味本位と暇つぶしくらいの感覚で警備兵に参加してくれた佐々兄弟みたいにやってくれないかなと思うけど、セレスに苦笑いされた。


 あまり焦らないで時間をかけて理解させるようにしたいんだけどね。領地拡大が早すぎて働かない人を良く思わない風潮があるんだ。


 この件はあまり過激なことにならないように気を付けないとな。




Side:佐々孫介


「申し上げます。領境の田畑を諏訪方の村が勝手に占拠しておるとのこと」


「またか、諏訪に抗議の使者を送る。無理に田畑を荒らすなよ!」


「ははっ!」


 やれやれ。隙あらば奪う。当然のこととはいえ、こちらが大人しくしておると思うのか?


 武士や坊主はまだいい。織田が本気だと理解すると大人しくなったからな。だが民は違う。こちらにも年貢を納めろと言えば従うのだろうが、織田ではそれを禁じておる。そこを理解しておらぬのだ。


「ああ、佐々殿。元高遠領からの流民はいかがする?」


「三河に送る。この際だからな。土地と切り離してしまえばよい」


 厄介事はなくならぬ。諏訪の分家の高遠。これが窮地に陥り、高遠家は武田が引き取ったようだが、その元領地において諏訪方が積年の恨みを晴らすべく暴れておるのだ。


 あちらはこの冬に食べ物が足りずに飢えておったこともある。畜生どうよりいで餓狼がろうか餓鬼道の餓鬼かのように奪い殺し荒らしておると騒ぎになっておる。


 おかげで賦役に充てる人足を、領境警備のために兵としておかねばならなくなった。諏訪方も織田と争うつもりなどないのだがな。民が逃げてくるのはこちらだ。


 駄目だな。人が足りぬ。


「そう、尾張に文を送るわ。とりあえず三河から兵を送ってもらいましょう。あと陣触れもしましょうか。諏訪が落ち着かないなら私が出るわ」


 足りぬものを無理にやってよいことなどない。夜の方殿にあるがまま報告をする。


 いつのまにか久遠家の者たちとは長い付き合いになった。出来ぬことを出来ぬと打ち明ける。久遠家ではこれを一番喜ぶ。


 噓偽りもなく報告をして働いておるだけで、今ではかつての所領など惜しくもないほどの俸禄となったのだ。


「諏訪と一戦交えるおつもりで?」


「一戦…。幼子おさなごの甘えの様な日ノ本の悪習あくしゅうね。見せかけるだけよ。ただ退かないなら仕方ないわ。殲滅せんめついとわない。とりあえずこちらに迷惑をかけないように諏訪神社にも使者を出すわ。今の諏訪家は分家筋が騒いでいて落ち着かないもの。諏訪神社のほうが抑えてくれるわ」


 織田の大殿からは、夜の方殿と明けの方殿のお二方だけは必ず守れと命じられておる。


 そのためには信濃など要らぬとまで言われた。もっともかようなことは尾張から出向いた皆が存じておることだがな。


 諏訪を攻めるなどしたくないが、仕方ないか。諏訪の分家はこちらが動かぬとたかくくっておるのだろう。高遠領で好き勝手しておるのだ。


「ああ、焙烙玉と音花火を幾つか持っていくといいわ。賊も多いだろうから警備兵で使って。それでさすがに理解するでしょう」


 武田が退いても信濃は大人しくならぬ。なんとも厄介な地に来たものだ。



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