第1418話・世の中は因縁とは無関係に回る

Side:武田義信


 父上が織田に臣従をすると文を寄越した。甲斐を捨てるつもりだったようだが、苦境とも言える現状でも父上に付き従う者が少ないながらおるようで、かの者らと共に臣従するとのこと。


 正直、皆が安堵した。巷では東国一の卑怯者と謗られるも、我らにとっては父であり主君なのだ。


「遠江も程なく落ち着くという。我らにとってはここからが正念場だな」


 それと因縁を如何にかしたいと考えておることには、天竺の方からは当面は動かぬほうが良いと助言を頂いた。なにより今川が落ち着くまで予断を許さぬからだとか。守護様や織田の大殿もなにかお考えがあるかもしれぬとも言われたようだ。


 当然であろうな。新参者が勝手なことをするなど許されるはずがない。


 叔父上は気づいておるようだが、他の皆は気づいておるのであろうか。この国では甲斐武田家とて、そこらの国人と同じ程度としか見られておらぬことに。


 吉良家などもおり、家柄で相応に遇されてはおる。さらに意欲があれば役目を頂けるようだ。


 されど、卑怯者と謗られる武田は決して歓迎などされておらぬ。憐れみを受けることはあってもな。


「譲位か……」


「織田家中もその件はよう分からぬと仰せになる者が多くございますな」


 叔父上や真田らと今後のことを話すが、織田は譲位と御幸で手いっぱいで大人しくしておることが一番望まれておるようだ。


 尾張をよく知る真田でさえも、譲位と御幸に関しては知ることの出来る立場ではない。


 斯波と織田はこのまま日ノ本の覇を唱えるのか。それとも断れぬ頼みで苦心をしておるだけなのか。知る由もない。


 せめて戦に出ることを許されたらと思わなくもない。鍛錬を積んだ武芸ならばわしとて己の居場所とすることが出来るのだが。


 あいにくと織田は新参者を戦で使うことを好まぬのだ。新参者を前で使い潰すことは定石であろうに。


 口惜しい。大人しく領内を知り織田の政を学べというのも分かるがな。それでも口惜しいわ。




Side:今川氏真


「勝てぬわけだ。美濃斎藤のように、いち早く降った者らが正しかったのであろうな」


 織田の戦はまったく違う。オレだけが驚いておるわけではない。威勢の良かった者らも皆が口を閉ざし、織田の戦を見ておるだけだ。


 いかほどの銭を使っておるのか知らぬ。因縁ある今川に見栄を張っておるのだろうと言うておった者もおるが、近年の織田の戦は総じてこのような戦だと聞くと信じられぬと驚くばかり。


 結局、雪斎和尚はこれを見越して織田との戦を避けておったのだと皆が理解しただけだ。今更なことだがな。


「若殿、言葉をお選びくだされ」


「ああ、すまぬ」


 朝比奈備中守に叱られてしまったわ。初陣や勝ちの見えておる戦とは違う。士気にかかわると先日も叱られたばかりだというのに。


「まだ降らぬ者がおるのか?」


「一旦、異を唱えて挙兵をしたのです。一戦交えるまで降れませぬ」


 籠城するしか手がない。助けを請う相手もおらぬというのに、いずこの者も戦うまでは降らぬか。


 かようなところは公家衆のほうが優れておるとしか思えぬな。素知らぬ顔をして強き相手と誼を深めるのだ。


 降伏と助命ありきでの蜂起。されど、もし織田が国人らの味方をしておったらいかがなったのであろうな? 国人らは織田の兵となり今川を攻めたはず。


「謀叛を起こすような家臣が、これからの今川家に要るのか?」


「若殿……」


 それ以上口にするなと、朝比奈に厳しき顔をされたわ。


 領地を失い、俸禄となる。それはいい。織田のやり方なのだ。異を唱えたところで始まらぬ。とはいえ土地を持たぬ謀叛からの変節者へんせつものなど必要なのかオレには分からぬ。


 いっそ、戦で討ってしまえばいいと思うのだが。織田が強すぎるからか一戦交えるか、城門を突破されるとすぐに降伏してしまう。


 これでまだ織田の主立った将が出てきておらぬのだから、恐ろしいとしか言いようがない。


 御幸前に余裕で遠江は平定されるな。苦戦しておった我らが無能だと見せつけるように。




Side:小笠原長時


 御幸か。いいことばかりではないということなのであろうな。わしは織田家中の者らに礼儀作法を教える日々を送っておるが、家中の様子も様々だ。


 末代までの誉れだと喜ぶ者もおるが、何故、帝が来るのだと面倒事のように考える者もおる。


 気持ちは分からんでもない。公家や帝とて余所者と言えば余所者。頭を下げて銭を差し出して喜ぶ者ばかりではあるまい。


 朝廷に出す銭があるなら領内に使うべきではと言う者には、さすがに驚いたがな。


「ああ、小笠原殿か。ちょうどいい。少し茶でもどうだい?」


「それはようございますな」


 あちこちに出向いて忙しい日々であるが、清洲城に戻ると今巴の方殿と出くわした。


 織田で一番強いとも言われる女武者だ。噓偽りではない。わしも見たのだ。少なくともわしよりは強い。


 直に話をしたのは幾度もないのだがな。


「いろいろ大変だろ。不届き者がいたら、ウチの八郎に伝えるといいよ。小笠原殿の報告だと言わずに処分するからね」


 出されたのは紅茶か、久遠家でしか作れぬ茶だとかで尾張でさえも売ってもおらぬ代物だ。幾度か頂いて飲んだが、あとで価値を知って驚いた覚えがあるわ。


 話はわしのことか。苦労をしておるといずこからか聞きつけたのであろうな。


「小物を処分したとて、いかようにもなりますまい。恥を搔かぬ程度にはしてしんぜよう」


「ふふふ、そうだね。もっともだよ」


 小笠原には小笠原の苦労があり、斯波と織田には斯波と織田の苦労がある。そして久遠は皆々の苦労を己が苦労として支えておる。尾張に来てそれを改めて理解した。


 ただ、驚くのは領国や因縁による対立があまりないことか。聞けばそれも久遠家が新しい政を伝えてから変わったのだという。信濃の国人衆がこれを知ると驚天動地の驚きになるであろうな。


 武田晴信が畢竟ひっきょういたりて織田に降ったという。これで因縁ある相手が揃ったことになる。


 わしが武衛様の立場だとすると御免被ると言いたいほどだな。戦と因縁を重ねた家が揃い、勝手ばかりする国人が未だ残る。


 臣従を喜べぬような様子なのは、かような理由もあるのであろうな。




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