第1391話・天下の政

Side:久遠一馬


 一月も下旬になる頃、菊丸さんが観音寺城から戻ってきた。今年は譲位と御幸のこともあり、少し仕事が多かったらしい。


「官位ですか」


「ああ、譲位と御幸もあるからな。兎に角少しでも高位で迎えたいらしくてな。春の『県召あがためしの除目』、秋の『司召つかさめしの除目』。お構い無しに公家どもが騒いだ末の、お流れでの振る舞いになる」


 大武丸たちと遊びながらも話は将軍としての内容だった。譲位と御幸の返礼が官位という形で関係者に配られるか。正直、またかとしか思えないけど。


「そなたへの官位の話もあった。いかがする?」


 なんだろう。菊丸さん、少し困っている様子にも見える。こちらの様子を窺うようにしているのは珍しい。将軍様なのに。


「私は不要ですよ。現状でも過ぎたるものを頂いておりますので」


「やはりほしくないか」


 あれ? オレの返事にさらに困った顔になった。与えたくない官位を与えることで困っているんじゃないの?


「そなたには一度目の上洛の時に従五位を与えられぬかと考えたと聞いておる。主上がそなたと会うことを望んでおられたからな。更に前回の上洛の時の際にも、従五位を与え、えて昇殿させ、主上に降頭こうずさせるべしという意見があったそうだ。朝廷としてはあまり例外を作りたくないのだ」


 与一郎さんと塚原さんも来ているけど、微妙な表情だ。子供たちには笑顔を見せてくれるが、なんというかデリケートな話だからか?


「代わりにほしいものはあるか? 綸旨でもよいとのことだが」


「私がかようなものを望むのは分不相応でございますよ。官位は守護様と大殿がいただくべきかと。願わくは織田の家中に於いて、その働きの甲斐もなく官位がいただけない方々もおられますので、そちらにいただけたら……」


「無論、武衛と内匠頭にもやる。それに正六位以下ならいかようにでもなる。考えねばならぬのはそなたへの褒美なのだ」


 オレは表立って動いていない。少なくとも譲位と御幸はオレたちが関与したことじゃない。あと朝廷への贈り物も斯波家と織田家の名目でしていることだ。返礼は斯波家と織田家でいいんじゃないのかな。


 綸旨はあまり好ましくない。それが元で争いになるし。正直、ほしい綸旨も思いつかない。


「従五位でいいのならお受けするべきですよ」


 アーシャの娘の遥香が、最近言葉を覚えたので、『まーま』と呼べるように教えていたエルがたまらず教えてくれた。


 従五位、内裏に昇殿出来る身分のはず。本音を言えば面倒事でメリットに思えないんだけど。朝廷に従うという意味では現状のままでいいのではないのかな。


「そなたはたまに察しが悪いな。まあ生まれが違う故に、仕方ないのだが。はっきり言うとそなたは目立ち過ぎた。主上も親王殿下もそなたに従五位をと望んでおられる。喜ぶと思うておるのだ。実はほしゅうも、有り難くもないと誰も言えぬ。無論、オレもな」


 ああ、そういうことか。義輝さんは、オレがあまり立身出世を望んでいないことを知っているのでどうするかと困っているのか。


「案ずるな。商いと海の向こうの所領については口を出させぬ。まだ触れられたくあるまい? それとそなたの娘が欲しいというような話も久遠家の掟は元より、其方の憤怒ふんぬまねくので出来ぬと伝えてある。先代まで隠れて暮らしておったのだ。祖先・先達せんだつになにかあったのだと察してくれる。だが、これは受けておけ」


 与一郎さんが少しハラハラした様子なのはそのせいか。随分と迷惑をかけていたらしい。


「ご迷惑をおかけして、申し訳ございません。そういうことならばお受け致します」


「すまぬな。朝廷にとって官位とは、今でも己らで決められる数少ない権威なのだ。それを望まぬとなると朝廷の根幹に関わる。その辺の氏素性の怪しき者ならば捨て置かれるが、勤皇の志を示し、朝廷や公家衆の暮らしまでおもんばかるそなたを正六位にしておけぬ」


 面倒なことだと思うけど、それが政治なんだろう。


 朝廷の扱いは難しい。潰す気もないけど、役目や立場は整理する必要がある。古来こらいの律令から続き、曲解きょっかいはさんでは騙し騙し続けてきた体制は、そろそろ限界だからなぁ。


「武衛と内匠頭はそなたが望まぬなら断ると言うておる。あのふたりは朝廷を敵に回しても致し方ないと覚悟があろう。されど、今は敵に回すべきではない」


「その通りでございますよ。敵に回す気などありません」


「官位を断るのなら、そなたはむしろ王を名乗るべきなのだ。琉球や朝鮮もある。日ノ本外の国の王なら話が変わる。されどその気もあるまい?」


「ええ、ありませんね」


 正直、義輝さんとはそこまで話したことないんだけど。いろいろと察してくれているようだ。まあ、ジュリアやセレスは塚原さんと親しいし、塚原さんも助言とかしてくれていたんだろうなぁ。


「まあ、従五位程度なら無理難題も言われぬ。只々ただただこうべれよと、浅慮せんりょ不思慮ふしりょやからにはえてわねばらぬが、あとは任せておけ。朝廷もな、そなたの望まぬことをしようなどと思うておらぬ。ただ、近衛殿下を除くと、皆そなたを理解出来ずにおるのだ」


 深々と頭を下げると、大武丸たちが不思議そうにしているのがちらりと見えた。菊丸さんはよく遊んでくれる人としか思ってないからなぁ。


 それにしても、目立ち過ぎたか。オレの決断が大乱を起こすなんて冗談じゃない。


「難しいですねぇ」


「そなたの機嫌を損ねると献上品が来なくなると向こうも悩んでおるわ。従五位では足りぬのではないかという意見すらあるそうだ。もっと昇殿しょうでんしたくば、久遠の名の献上品を上積みせよの声もある」


 政治的な問題は難しい。義統さんや信秀さんだって経験がないんだ。義輝さんは生まれながらの将軍として育てられたから違うけど。


「今更ですが、今後は献上品を贈るのは上様を通して行うべきでしょう。このままでは上様と私たちが望まぬ対立をするきっかけになりかねません」


 一息つくとエルが新たな進言をした。それは気づかなかったな。元々あれは義輝さんと会う前に始めたことだ。正直、足利将軍家と歴代将軍を信用してなかったし、確かに対立する必要がないなら一本化は必要だろうな。


「そう言うてくれると助かる。すでにオレと武衛や内匠頭の関わりをあれこれと邪推する者がおってな。代々の将軍がそういう政をしてきた因果いんがでもある」


「守護様も大殿もお許しいただけると思います」


 行啓は将軍足利義輝の権威と名声を大いに高めた。ただ同時に同じく力を世に示した織田と斯波との関わりも注目されるきっかけとなったか。


 義統さんは管領職を本気で嫌がっているしなぁ。信秀さんは自ら天下をまとめる覚悟があるけど、将軍を倒してという形をオレたちは望んでいない。


 それに、天下をまとめるには足利将軍が未だ大きな力を持っている。幕臣はだいぶ減ったが、それでも国政を担う経験がいかに大きいかは京極さんなんかを見ても分かることだ。


 つけ入るすきを与えてはいけない。今までは斯波と織田で考えていたけど、これからはそこにウチと義輝さんを加えて考える必要がある。


 うーん。政治って難しいね。





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