第1390話・遥か雪の降る地で
Side:久遠一馬
夢を見た。コンビニに行って買い物している夢だ。
元の世界のリアルの夢だったのに、エルたちや子供たちがいた。お菓子を選ぶ子供たちをみんなで微笑ましく見ている幸せな夢だった。
なんというか、きちんと文明が発展した時代に育ててやったほうが幸せなんじゃないだろうかと、ふと思ってしまった。出来ないことじゃない。シルバーンの中に箱庭の様な街を造れば済む話だ。でもそれは違うという想いが確かにある。
「ちーち?」
起きてそのまま考えていると、大武丸がやってきてちょこんと首を傾げた。
「大武丸、おはよう」
「おはよ!」
甘えたい盛りなんだろう。抱っこしてやると笑顔を見せてくれる。大武丸の温もりが癒してくれるようだ。
家臣のみんなや孤児院の子供たちもいる。みんなにはきちんとした教育と幸せになれる環境を与えてやりたい。
頑張ろう。日ノ本にとって、今は重要な時なんだ。
「やはり武田は信濃を捨てたようでございますな」
信濃の武田方で小競り合いが始まったという知らせが届いた。望月さんも驚きはない。そういう世の中なんだと改めて思い知らされる。
信濃望月家は大人しくしている。こちらの支援もあるし、小笠原さんも配慮をしてくれたようなんだ。
ただ、諏訪神社を旗頭にする諏訪分家と、かつて諏訪本家を攻めた分家筋の高遠家など、細々と因縁や係争地の小競り合いが始まっている。
人質を取った臣従、オレはあまり好きじゃないけど、それでも統制がなくなるとどうなるのかと教えてくれているようだね。
「今川も相変わらずだしなぁ」
正月も明けて遠江では今川による離反勢力の制圧が再開された。といっても野戦で一気に決着というわけではなく、こちらも小競り合いをしつつ再臣従を迫るやり方のようだ。
オレたちは火力で城も落としてしまうのですぐに戦が終わるけど、これがこの時代の戦になる。織田に臣従をすると表明した義元への反発だという事実もあり、いきなり一族郎党根切りというわけでもない。
「松平殿はよう励まれておられますな」
「そうだね。織田の政を理解してくれているよ」
今川と接する東三河だが、代官は松平広忠さんだ。こっちは念のため領境付近で警戒をしているものの、賦役で忙しい。街道整備や治水、あと豊川放水路の工事も一部では始めたようなんだ。
戦で荒れた村や耕作放棄地の復興復旧や作物の転換も一部では進んでいる。あそこも織田に臣従してまだそれほど時が過ぎていないからね。ようやく本格的な賦役をやれるようになった。
織田家中からも三河衆からも、さっさと遠江を落としてしまったほうがいいのではという意見もあるけどね。現状では今川に任せたほうがいい。あそこは今川という大きく強い主の陰で、長く外を知らずにいた所為で面倒な気質なんだ。
あと賦役で言えば伊勢も無量寿院が正常化したことで騒ぐ人もほぼいなくなり、今年の冬は賦役が本格的に進んでいる。もともと発展していて地力のある土地だからね。ここが落ち着くと本当に織田家としては楽になった。
人の流入は相変わらず続いている。ただ、新領地もあるので扱いに困るほどじゃない。飛騨・信濃辺りはまだまだ発展の余地もある。
「殿、炭焼きの技。北畠と六角に出すのでございますか?」
「うん、そのつもりだよ。対価はいただくけどね」
あれこれと報告書をさばいていると、望月さんが少しオレの様子を窺うように訊ねてきた。
これは次の評定で議論する予定のことで家中から意見を聞いている段階なんだ。森林資源の効率的な運用は早ければ早いほどいい。植林と炭焼き技術をセットで伝えるつもりだ。
「致し方ないのでございましょうな」
良質な炭はお金になるからね。望月さんも少し悩むようだけど、甲賀とかでやれる産業が欲しいんだ。薬草栽培とか養蚕とかも考えているけど、炭はガスが普及するまで長い間産業として見込める。
すでに大根栽培を教えてみたけど、概ね反応はいい。こちらに嘘をついて織田農園の作物を他に売るとかもしていないし。
六角と北畠にはもう少し頑張ってこちらの発展に付いてきてほしい。御幸もあるし。属国のようになるよりは同盟相手として頑張ってほしいんだ。
Side:とある旅の僧
「何故、我らがかような扱いを受けねばならぬのだ!」
雪が隙間から吹き込む。囲炉裏で暖を取っても体の芯まで冷えた身体には足りぬほどだ。
僅かな食べ物を皆で分けて飢えを凌ぐ。それではとても足りぬが致し方ないのだ。
わしもまた憎しみ苛立つ者らの言葉に同意しつつも、その答えは明らかだった。
「御寺を捨てて逃げたからであろうな」
伊勢無量寿院から戦の前に逃げ出し関東に行ったが、歓迎などされるはずもなく酷いところでは僧兵に殺されそうになった。
我らがかつては真宗を守る高僧だったのだと説いたところで、氏素性の怪しき者の戯言と相手にされぬことすらある。
縁ある者を頼り諸国を放浪するが、いずこの地も生きるのに精いっぱいで我らが後から訪れて歓迎されるはずもない。
無量寿院にも一度戻ったが、すでに尾張高田派の者らが固めており、我らに対して堕落して寺を捨てたと罵って寺にも入れてもらえなんだ。
「あそこは我らの寺だったのだぞ! 関東から遥々伊勢まで行き、教えを説いてあそこまで大きくしてやった恩を忘れおって!」
言い分はもっともだが、真宗の証とも言える経典や法具などはすべてあそこにある。あれを持ち出せなかったのが痛恨の極み。
今では物乞いのように地に頭を擦り付けて、ようやく日々の糧すら得ておる始末。
「もう無理だろうな。親王様と公方様が尾張に行かれた。今更、我らの味方になってくれる者などおるまい」
そう。織田が認める今の御寺を取り戻すのは無理なことだ。また戦の直前で逃げ出したことで我らを信じる者もおらぬ。
隙間から雪が入り込むようなこの荒れ寺ですら、明日には出ていかねばならぬ。雪が降るこの辺りはもう嫌だ。せめて雪のないところに行きたい。
「腹が減ったな」
「明日まで我慢せい。いずこからか奪うにしても世話になったこの寺に迷惑はかけられぬ」
仏門にある身ながら、我らはすでに罪を犯しておる。されど、真宗のまことの教えを途絶えさせぬためにも死ねぬのだ。いかなる手を使ってもな。
いつか織田が落ちるその時まで我らは生きて、御寺を取り戻さねばならぬ。
それだけは忘れてはならぬのだ。なにがあってもな。
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