第1389話・従った者にのみ見えるモノ
Side:大湊の会合衆
「尾張は有言実行だな」
惣を止めて北畠に臣従した結果がかようにすぐに出るとは。
正直、こちらとしては織田に従ったほうがいいかと案じておったのだ。所詮は他家というもの。北畠と織田が争えば困るからな。されど、織田は我らが思うよりも北畠を信じておるらしい。
「久遠様か、怖いお人だ」
ひとりの商人の言葉に、ふと初めて大湊を訪れた頃を思い出す。いずこにでもおる商人の倅にしか見えなんだがなぁ。
あのお方の怖いところは、寺社だろうが武士だろうがひとつにしてしまうことだ。皆で助け合えばいい。誰がかような戯言を信じるか。ところがあのお方はひとつにしてしもうた。
「湊屋と丸屋は良い時に動いたな」
あと善三もおったか。かつて大湊におった者らが、今は久遠様の下で働いておる。諸国に名が知れるほどの立身出世だ。
肝心の久遠様は都から参られた親王様から盃を許されたと評判だ。あれほど勝手なことをしても皆が許してしまうのだからな。
「織田手形と良銭、それと銀行と言うたか? あれで織田様と久遠様は戦をせずとも商いを制していける。今川様が戦をせずに降るほどの力の差だからな」
ああ、織田様の恐ろしさはむしろ商いなのかもしれぬ。銭も品物もほとんど久遠様が押さえておるのだ。その上、銭の流れと信用まで握られてしまった。
畿内ならまだ争えるのかもしれぬが、都を押さえておる三好様にその気はないようだし、六角様は畿内よりも尾張に熱心だと言われるほど。若狭におられる管領様は別のようだが、あのお方は公方様に疎まれておると言う。
「しかし、怖いほどこちらに利を寄越すな」
「久遠様には領国も他国もあまり関わりがないように思える。根が商人なのだろう」
大湊は織田様の与力が指南しつつ北畠様の代官が治めておる。商いの差配は尾張から命が来るようだが、今までとさして変わらぬ。北畠様も新しい政を学んでおる最中だからな。我らが湊屋とあれこれと相談しても特にお叱りは受けぬようだ。
「宇治山田より大和の柳生様が信じられておるのがいかにとも言えぬな」
「それは仕方なかろう。柳生様といえば久遠様の重臣。武芸の腕前もさることながら、その謹厳な心根を見込まれて久遠様直々に仕官を請うたというほどのお人だ」
甲賀は尾張を真似て六角様が直々に治めることを始めたという。久遠様が手助けをしておるようで、甲賀者が伊勢にも増えた。大和もまた柳生様が久遠様の荷を扱っておって力を付けておるという。
領地が広がったわけではないので兵が増えたわけではなかろうが、大和の土豪でさえ織田様と友誼を得ると、周囲が攻めたくても攻められぬほどだというのだから驚きを通り越して呆れてしまうわ。
「国を豊かにするか。考えたこともなかったな」
「ああ」
皆、己の商いと大湊のことくらいしか考えたことがない者だ。それが国を豊かにするという織田に商いで敗れて従うことになった。
世が変わるというのはかようなことなのだろうな。
Side:武田義信
「なんと……」
叔父上が驚いておる。家老である佐久間大学殿から政の教えを受けておるが、ここでは領内の人の数から税がいかほどあるかまですべて分かるのだという。家臣の領地に口を出せぬ甲斐では考えられぬことだ。
「工業村には行かれましたかな? あそこを見ると謀叛など起こす気も失せると評判ですぞ。有り余る鉄が日々生み出され、武具どころか農具ですら鉄がふんだんに使われておるからな」
ああ、南蛮たたらか。あれには驚いた。日ノ本の半分ほどの鉄をあそこで作っておるというのだから信じられぬほどよ。あそこの職人衆はそこらの武士よりも禄が高く、上の職人は織田家でも重臣待遇だとか。
海に行けば黒い船があちらこちらで見られ、寺社もまた人で賑わっておる。甲斐ではあり得ぬことだ。
「信濃にしても飢えぬように米や雑穀などを送った。春からは賦役で田畑を
我らとて手をこまねいておったわけではないと言いたくなるも、恥の上塗りにしかならぬと思い口に出せなんだ。
「知らぬことを恥じる必要はない。また要らぬ意地を張るのもあまり勧められぬ。尾張には領地を捨ててきた者も多くはないがおる。筆頭は久遠殿のところの滝川家だな。今では都の公卿にまで顔が知れておる。働き次第では立身出世も夢ではないのだ」
とにかく織田は学ぶべきことが多い。甲斐で学んだこととあまりに違いすぎるのだ。
尾張では我らと小笠原家が諍いを起こすのではと案じておるのは承知しておるが、最早かような気力もないわ。小笠原殿からすると我らの臣従は面白うなかろうがな。
「良しなにお願い致しまする」
領地もない身では逆らいたくても逆らえぬ。尾張を見ると逆らう気力すら失せるが。
「汚名をそそぐ機会は幾らでもあろう。焦らず尾張に慣れることから始めなされ」
いささか同情されておるのであろうか? 佐久間大学殿は穏やかな面持ちでそう我らを諭すように言われた。
「甲斐はいかがなるのでございましょうか?」
叔父上は甲斐に残る父上を案じてか、話が一段落するとそう訊ねた。
「こちらから手を出すことはなかろうな。甲斐に残る武田殿が大殿に臣従を誓い、助けを求めれば動くかもしれぬが。他に今川はすでに大殿に臣従を誓い、領国をまとめておる最中だ。北条は同盟しておる甲斐を攻めるとは思えぬ。信濃もこちら抜きで甲斐を攻めるだけの力はあるまい。あとは甲斐の中がいかになるか。それはわしよりそなたらのほうが存じておろう」
叔父上がいかにとも言えぬ顔をしたのが見えた。
外から攻められることがないのは吉報と言えようが、周りを織田と北条に囲まれると貧しき甲斐では飢える者が増えて国が荒れる。
父上は甲斐をまとめるのを諦めたのだと思うが、この先はいかがするのであろうか? 従う者らを連れて織田に降るのか?
穏やかで国人領主や村の争いすらない尾張におると、甲斐と同じ日ノ本の国とは思えぬほどだ。兵部らにそれを理解しろというのは難しかろう。
城を落とし、村を襲い、税を
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