第1386話・踏み出す一歩
Side:久遠一馬
武田からの臣従の申し出もあったが、現状だと武田に与える屋敷がない。守護クラスの家柄の人が住む屋敷なんて余っていないんだ。
清洲はもともとの町があった場所から川を挟んで対岸に城があるが、城の周囲はかつて田んぼだった。そこを大幅に埋め立てて町にしている。武家屋敷は主にそっちにあるんだよね。
土地はあるんだけど。オレ達が開発に着手して以降、数年たった現在も織田領では建築ラッシュが続いている。武田家も着の身着のままで来たので、資産らしい資産もないからお金もないしね。
結局、信康さんの屋敷を一時的に貸し与えることになった。いつまでも城住まいというのも気を使うだろうということだ。肝心の信康さんが逆にしばらく清洲城に住むことになる。
「そういや清洲、どうするの?」
エルと、今年の新年の挨拶で妊娠を公表したメルティと一緒に子供たちと一緒に遊んでいたが、子供たちは疲れたのか電池が切れた様に眠ってしまった。
ふと今後のことを考えていると、懸念があることを思い出した。清洲の町がこちらの初期予想以上に栄えていて拡大しつつあることだ。
「このまま拡張するしかないでしょうね」
「そうね。今の尾張に清洲から城と町を移す余裕はないわ」
エルとメルティの意見は同じか。
織田家の拡大が思った以上に早い。清洲城の改築を提案した頃には、ここまで早いとは思わなかった。シルバーンでの試みたシミュレートではあり得た展開だったが、戦国時代の人たちの情報が少なかったこともあり確定率は高くなかったんだよね。
清洲、あんまり災害に強くないんだよね。那古野より土地が低いんだ。備蓄蔵とかは町に近い必要もないので那古野のほうに建てているからいいんだけど。
那古野と清洲の間も、街道を広げたり街道沿いに、元の世界に良くあった、通過旅客相手のドライブイン的な割高店舗が出来たりして景色が様変わりした。正直、尾張より東の中心となるには少し手狭なんだけどね。清洲。
子供たちが眠って暇なのか、花と風と種と実が遊んでとじゃれてくる。相手をしつつ考えるが、そうなにもかも上手くいかないということか。
「土田御前様から、少しウチと織田家の金銭の問題がこのままでいいのかと問われました」
ぬくぬくと暖かい部屋でご機嫌の四匹と子供たちの寝顔に心癒されていると、エルが少し悩むように、先日、土田御前と話したことを教えてくれた。
女衆の教育とお金の問題を少し話したらしい。女衆の教育に関しては、まずは学校に女子科を設けて教える予定なんだけど。
実は身分のそこまで高くない女性向けの講義はすでにあって、結構人気で常時やっているんだよね。
土田御前としては現状の世の中や新しい制度、今後必要になるであろう知恵など割と本格的に教えてほしいと考えているようだ。しかも義統さんと信秀さんの許可は得ているみたいなんだよね。
悩んでいるのはお金の問題だ。久遠家として決められた税の負担分はきちんと納めている。ただ、それ以外でもあれこれと理由を付けてウチが費用を出したことがある。はっきり言うと、織田家に対して公表しているだけでもウチの収入は公儀としての織田家と並ぶんだ。
織田家の収入はウチからの税も入っているので、それを考えると単独でウチは織田家を超えているとも言える。まあ、超えているんだけど。
ただ、ウチには海外領地があるから大変だと考えていることもあるようで、単純に困ったらウチがお金を出している現状でいいのかと疑問を投げかけてきたみたい。
この時代は前例主義なところもあり、この前例が織田と久遠の将来の禍根にならないか心配しているというところか。
家臣の体裁だけど、実は同盟なのを知っているからだろう。財政問題、ほとんどウチが管理しているから、いいのかと聞かれることは今に始まったことじゃない。
「ウチとしては身分を頂いた分と、商いの特権で対価としていいんだけど」
「額が問題なのよ。殿と日ノ本では銭に対する価値感がまったく違うもの」
同じ部屋に侍女さんが控えているからか、メルティは少し言葉を選びながら口を開いた。まあ、常識外れの寄付をしていて心配されたとみるべきだな。そこで織田の面目が立たないと言わないところが土田御前の凄さなんだろう。
「うーん。難しいね」
本来、ウチの領地で使うはずのお金を尾張で使っているのではと思われたか。何事もバランスが大切なのはいつの時代も変わらない。異質なウチを信じるが故に、こういう苦言がたまにあるんだよね。土田御前からは。
ただなぁ。早いとこ統一して落ち着かせたい。オレとしてはそれだけなんだよね。
Side:武田義信
織田に臣従を申し出て、急だったにもかかわらず仮の屋敷も用意していただけるとのこと。卑怯者と謗られる武田を継ぐわしの役目はいかなるものかと思うておると、呼び出されて出向いたのは
「武田殿、ひとまず甲斐より参られた皆で、近場の領内を見て歩かれませ。皆も見知らぬ地に来て案じておろう。来たときは蟹江の町を見る暇もなかったであろう。蟹江の町は珍しきものもある。蟹江でも見物して、津島神社と熱田神社にでも参られるとよい」
それは役目なのか?
「御無礼ながらお願い致しまする。某のことを思うならば役目を頂きたく、伏してお願い致しまする」
もう客人ではない。すでに甲斐は戻れぬのだ。働き尽くさねば居場所がなくなる。
「それが最初の役目だ。尾張を知らねば今後、いかなる役目を命じても困ろう? 案ずるに及ばぬ。当家に臣従した者には、皆が最初は領内を見て歩かせるのだ」
ああ、かようなことも気づかず愚かなことを申してしまったのか。つくづくわしは世を知らぬと思い知らされる。
されど、常ならば与えられる所領以外を用向きもないのに出向き歩いていいなどあまり聞くことではない。いずこの者も他家の者が己の所領に入ることを嫌がるのだ。
「慣れぬ国での暮らし、難儀であろう。特に尾張は他国とは違うからな。困ったことがあれば言うてくれればよい」
「はっ、ありがとうございまする」
父上はいかな正月を過ごしておられようか。図書権頭殿のところから下がると、ふと東の空を見て甲斐を思い出してしまった。
誰も口にせぬが帰りたいと思う者もおろう。いかに食い物が美味く遇されておってもここは他国で他家の城だからな。とはいえ織田もそれを承知ということか。
ただ、驚いたのは翌日だった。
「西保三郎。そなたが案内をするのか?」
「はい!」
案内役として姿を見せたのが西保三郎だったのだ。駕籠などは用意していただき警護の者もおるが、あとは真田らだけだった。
「この辺りは女子供と言えど、ひとりで歩いても無事に戻ってくるのでございます。さっ、いずこに参りましょうか。いずこでも
なんという国なのだ。わしが織田ならば、卑怯者の武田を信じるなどあり得ぬと、捨扶持を与えて終わりであろう。祖父である三条公への配慮か? にしても信じられぬわ。
「西保三郎、そなたに任せる。わしは尾張を知らんのだ」
皆も西保三郎の明るい様子に安堵したように思える。おそらくいずこを案内するかと考えたのであろう。任せてみたくなった。
「はい! お任せください!」
かつて甲斐で会った時には見られなかったような笑顔だった。
ふと母上を見ると、そんな西保三郎にこちらに来てからあまり見せてくれなんだ笑顔が見られた気がした。
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