第1384話・大評定・その二
Side:久遠一馬
恒例となりつつある年始の大評定だが、新参の家臣には少し戸惑いもあるようだ。今年で言えば飛騨の江馬さん、内ヶ島さん、信濃の小笠原信定さんなどになるか。
席次は身分や家柄などを考慮したもので、思えば変わったなと思う。
議事進行は筆頭家老である佐久間大学さんが行う。この人も苦労をしているひとりだ。広がり続ける織田家で筆頭家老職をするのは並みの人では無理だろう。まして家柄や血筋が織田家を超える人すらいる。
ただ、与えられた役職を懸命に励んでいるし、古参から新参まで幅広く気を配っている。以前話をした時には、余計なことを考える暇もないとぼやいていたけどね。
そんな大評定だが、始まって早々少し異様な空気となる。新たに臣従をする者がいると佐久間さんが説明すると、武田義信さんと信繁さんが姿を見せたからだろう。
はっきり言えば、誰なんだという視線が多いように思える。それなりの地位の人だと武芸大会の時などに武田義信さんたちを見ているが、直接顔を合わせていない人には誰だか分からないからな。
「伏してお願い申し上げまする」
甲斐武田家の嫡男だと知ると少しざわめいた。東国一の卑怯者とも日ノ本一の卑怯者ともいう武田の臣従。それなりに噂になっていたはずだが知らない人もいたようだ。
もちろん信定さんには事前に知らせてある。因縁ある両家が揃う。周囲の者も少しそこを気にしてか信定さんの顔色を見ている人もいる。
「難儀な世よな。以後、過ぎたることは忘れて励め」
信秀さんの言葉は短いものだった。正直、喜ぶほどでもないが邪険にすることも出来ない。血筋や家柄による権威。面倒なものだ。
史実の武田信玄のように最後までやりたい放題されると潰してもいいと思えるのだろうけど、この世界では斯波家と織田家にとって、武田家はそこまで不利益になることをしていない。
さて、武田家を加えて大評定はようやく本題に入る。まずは昨年の報告から始まり、休憩を挟んで今年の新体制とその方針を発表する。報告や発表に対する質疑は一応しているけど、あまり闊達な議論にはならない。
身分という階級があるせいか、どうしても本音を言いにくい雰囲気がある。まあ、分からない人向けに後日説明と質疑を何回もするので、その場では相応に意見交換が出来ているけど。
「医務奉行として改めて申し渡すね。手洗いうがいはきちんとすること。穢れを落とす。寺社の教えと同じだよ。あと、具合が悪い時は早めに医師に見せること。これだけは必ず守ってください。それだけで病は減るんだよ!」
各総奉行から報告や説明がある。少し異彩を放つのは医務総奉行の名代として来ているパメラか。ケティが産休中なので職務を代行しているんだよね。
この時代の人に比べてオレたちは若く見られがちだ。未だに若い娘にしか見えないパメラが大の男を前に話をすると少し異様な光景にも見える。しかも言っている内容も小学校で子供に指導するようなものだ。ただ、これが一番大切で口を酸っぱくするほど言う必要があるんだけど。
それと医務総奉行、この役職も今年から織田家直轄から評定衆の総奉行に変更したんだ。今後を考えるともう少し他の人を入れていく必要があるのでね。
現状、ケティたち以外で医師の免状を持つ者は曲直瀬さんを含めて三十人もいない。そしてその全員がウチの関係者と信長さんの子飼いだった悪友たちだけだ。あとは各地の僧侶や神職の人が末端として働いている。
現在学んでいる人は相応にいるけど、独り立ちするには相応の時間がかかるし、日進月歩の勢いで医療を進めているのでなかなか難しいところがあるんだ。
とりあえず、今日一日はこんな評定が続く。
Side:小笠原信定
あれだけ信濃で勝手をした武田が臣従か。異を唱えたいところだが、新参者の身としてはそれも出来ぬこと。
そもそも織田とて喜んでおらぬからな。卑怯者など要らぬという声がわしにまで聞こえてくるほどよ。甲斐で野垂れ死にしてしまえばよかったものを。
まあ、甲斐を追われた武田など捨て置いて構わぬか。それよりも織田のことだ。
「以上で私からは終了致します」
名も力もある武士の中で久遠家の女衆が多いことに驚きを禁じえぬ。なにより皆が大人しく従っておることが驚きだ。聞けば文武に優れ、久遠の医術は日ノ本一だとか。
今話しておった氷雨の方殿という
氷雨の方殿は弓において右に出る者なしとか。これはわしも直に見たことだ。光の方殿は薬師の方殿と並び称されるほど尾張では名が知れておるとか。大の男を叱りつけることもあると聞き及ぶ。
昨年信濃にきておった夜の方殿らもそうだがな。人を使うのが上手いのはわしにも分かる。任せるべきことは任せつつ、言うべきことは言う。なかなか出来ることではないからな。
それにしても所領を召し上げていかがするのかと思えば、かような治め方をしておるとは。よう分からぬところも多いが、領地を
謀叛を起こせぬようにと考えたのであろうな。我が小笠原家は昔からあまり守護として力がないが、斯波家もまた数年前まで不遇であったはず。
それが今では天下に名を轟かせておる。久遠殿が織田の若殿に請われて仕官して以降、織田は一気に力を付けて、その織田の大殿は武衛様を担ぐが、その武衛様の名に相応しき治政を押し広め、武衛様が他国の守護を御することで、織田の治政を後押しする。それを以って武衛様が次の管領ではと言われておるようだからな。
もっともその気はないようだとも聞いたが。武衛様は大殿と久遠殿を頼りとされておられるようだが、畿内や公方様にはあまり興味がないとも噂されておる。
この場にもおられるが、特にお言葉をかけることもなく聞いておられるのみ。少し分からぬお方だ。
あと驚きなのは、その久遠殿もか。家中でも別格なのは皆が知りおくところなれど、当人はあまり立身出世を好まぬとか。困ったら久遠殿を頼ればよい。これは臣従をした直後に兄上が教えられたのだとか。
人のよい御仁だが、奥方や家中の者が愚弄されることだけには厳しいという。武衛様や大殿に唯一、異を唱えられる者だと聞いておるが、見ておるとさして目立つわけでもなく総奉行としての役目をこなしておるようにしか見えぬがな。
「小笠原殿、南信濃はいかがなのだ?」
「はっ、南信濃におきましては……」
おっと、いかんな。余計なことを考えておる暇などないのだ。わしは兄上の名代だ。ここにおる皆に南信濃の代官名代として話さねばならぬことが多い。
嘘偽りなく、見栄も張るな。これは言われたな。いずれにせよ検地ですべて露見するからと。もっとも南信濃とてわしの所領以外はよく分からぬのが本音。それも皆が理解しておること故、助かるが。
この場にはおらぬが、今川もまことに臣従を誓ったのだとか。さらに駿河遠江も併呑してしまうとすると、東国では敵なしとなるであろうな。
そこまで容易いことではあるまいが。
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