第1376話・なんにもない武田

Side:武田義信


 なんとか甲斐を出て相模に入った我らは北条殿の助けを借りて、伊豆下田から織田の船で尾張に着いた。


 甲斐は、父上の身上しんじょうはいかになっておろうか。それだけが気がかりだ。


 共にここまで来た者らも口数は少なく、年の瀬で賑わう尾張で我らだけが違うような。左様な様子にも見える。


「よう参られた。難儀をしたの」


 清洲城は相も変わらずか。多くの一廉ひとかど傑物けつぶつ者が参集さんしゅうしており、斯波と織田の力を表しておるようだ。


 城に到着して旅の疲れをいやす間もしむていで、いそぎ、わしと叔父上は武衛様と内匠頭様に目通りを許された。武衛様の情けを感じ、こみ上げてくるものがある。


 今にして思えば、三条公の教えを受けてよかった。かようになるなど夢にも思うてもおらなんだからな。武士として甲斐源氏の嫡流として、毅然とした態度で良いと思うておった己に恥入るばかりだ。


 臣下となる者が偉そうにしておっては良い心持ちなどするまい。


「ご迷惑をおかけ致しまする」


「乱世の習いであろう。上様とて争い、都を離れることもある。恥入ることはあるまい」


 武衛様からは幾つか教えられた。父上からすでに書状が届いておること。甲斐はまだ大きな動きもなく、我らを逃がすために奮闘した春日弾正も無事であることなどだ。


 遥か甲斐のことを清洲でわしより先に知っておるとは……。


「思うところはあろうが、しばらくゆるりとされるがいい。甲斐と信濃のこと。望むならば知りうることを教えよう。先のことを決めるのはそれからでも遅くはあるまい。生きておれば、先はある。わしもの、ほんの数年前までは、誰も見向きもせぬほどに落ちぶれておっての。ここにおる内匠頭と久遠の者らに盛り立てられてこうしておるに過ぎん」


 なにを口にしていいか分からぬ。左様なわしの未熟さを看破かんぱされておいでのようだ。まるで親が子を諭すようにお言葉を頂いた。


「ありがたくもかたじけのうございます。お言葉、肝に銘じまする」


 この場で臣従を誓うべきか迷うた。されど日を改めるべきかと思い、この日はこのまま下がることにした。


 あと幾日かで今年も終わるか。皆になにか気の晴れるようなものを食わせてやりたい。されど、もうわしには命じる家臣もおらねば、銭もない。


 己の立場を思い知らされるな。




Side:織田信秀


「あれほど戦で武勇を示しても国を追われるか。一馬が戦を嫌がるのもわかるの」


 守護様のお言葉がわしも身に染みるわ。決して弱くはない。武田も数は少ないが鉄砲を用いたと報告があり、戦の様子も悪くなかった。


 わしとて一馬らがおらねば同じことになっておろうな。


「今の政が正しいと武田と今川が示しましたな」


 所領という体制を終わらせ、公儀が税を集め土地を治める。難儀なことも多いが、国人衆や寺社が土地を持つ限り、武田や今川のような争いは避けられぬ。皆、己の所領のことしか考えぬからな。


 さらに食べ物が足りぬのだ。それを解決せぬうちは、奪い合うのは必定。頭の痛いことだな。


「今川は遠江で内訌ないこうの戦か。先に武田が来てしまったと知るといかな顔をするのであろうな」


 遠江はこちらで兵を出すことも考慮して支度をしておったが、義元は今川の力で遠江を鎮めたいらしい。そうでもせねば家中がさらに荒れるのであろうが。


 今川は武田を出し抜いて臣従をしたつもりであろうな。ところが今度は先に武田が嫡男と一族を連れてきてしまった。


 いかがなるのやら。


「好きにやらせてよいかと。御幸のことを知れば、嫌でも後詰めの兵をい求めましょう」


「そうじゃの。まさか意地を張って恥を晒すことをするまい」


 夏の花火の前に院となられた帝が尾張に来られる。遠江で長々と争いなどしておれば天下に恥を晒すことになるからな。さらに武田の動きもある。晴信もいつこちらに来てもおかしゅうないのだ。


 然れど、因縁ある小笠原、武田、今川が揃うか。厄介なことだ。早めに手を打たねば、先々に要らぬ懸念を残すことになる。


 なにか考えねばなるまい。




Side:久遠一馬


「こりゃあ、元は銭でございますな。銭を潰して玉にしたようで」


 ウルザたちが信濃から持ち帰ったものの中に、武田方の鉄砲と玉と玉薬がある。戦場の後始末において商人が手に入れたものを織田で買い上げたんだ。


 本領で研究するからと一組はこちらで貰い宇宙要塞に調査のために送り、あとは工業村にも研究用として与えたんだけど、清兵衛さんが気になる報告をしにきた。


「どうやら玉が足りなかったから、古い銭を潰して玉にしたみたいなんだよね」


 同じ報告が信濃望月家からもあった。鉄砲を一定数揃えろという命令があったようで、玉は足りない分は古い銭を潰して玉にしろと命じられたんだとか。


「なるほど……」


「鉄や鉛などが余っているのは織田だけだし」


 清兵衛さんは銭の鋳造も知っている。良銭を潰して粗悪な悪銭を造ることをオレが警戒していることもね。それもあって、良からぬことをしているのではと報告に来てくれたらしい。


「鉄砲もあまりいい品ではございません。おそらく堺の品でございましょう」


 織田が鉄砲の領外への持ち出しを禁止しているからなぁ。外から買って来るのは許されてる。今回の様に他所の技術検証用だけど。織田以外の勢力が買うとすると、これまでは近江の国友村か和泉の堺か紀伊の雑賀なんだよね。ただ、国友村も六角の許可なく他国に売らないようにと命じられたらしい。雑賀はどんどん傭兵集団化して自己戦力の強化の為に滅多なことでは外に売らない。結果として堺辺りから買うしかないんだろう。


「ご苦労様。もう年末だし、あまり無理しないようにね。高炉は止められないけど休める人は休ませて」


「畏まりましてございます」


 清兵衛さんとはいろいろ話をする。工業村もすでに年末ということで生産は止めたはずなんだけど。一部の職人は熱心に仕事しているみたいなんだよね。


 ひとりがそうやって仕事をしてしまうと、休みたい人も休めなくなる。休むように命令するしかないかな。


「そういえば武田の嫡男がまた来たとか」


「ああ、これはまだおおやけには内密だけど、嫡男が織田に臣従をするみたい。どうやら武田は甲斐を捨てるようなんだ。当主の晴信はまだ甲斐にいるみたいだけどね」


「なんと!」


 人の噂が流れるのは早いなぁ。武田が大勢の女子供を連れて船で来たことが、もう知られている。


 まあ、清兵衛さん。ウチの重臣であり、織田家でも奉行か重臣クラスの扱いを受ける身分だから情報が入りやすいんだろうけど。


「穴山と小山田という国人が同盟を解消したらしくてね」


「ということは甲斐の平定もそう遠くないと。農具を造る数を増やさねばなりませぬなぁ」


 職人なのにいろいろと察しがいいね。清兵衛さん。正月明けにでもお願いしようとしていたのに。


「どの程度作れるか、年が明けたらおおよそでいいから報告お願いね」


「畏まりましてございます」


 新しい領地が増えるということで農具を第一に考えるのはウチの家臣くらいだろうね。



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