第1369話・信濃の混乱
Side:小笠原長時
「ご尊顔を拝し恐悦至極に存じます」
織田の家臣が次々と信濃に来る中、まことに来たのだなと驚きを隠せぬ。久遠内匠助殿の奥方のふたり。名をウルザとヒルザと申すらしい。
武芸大会で見た者ではないと思うたが、なんでも三河の一揆で一向衆相手に武功を挙げたとか。西の要衝である関ヶ原に滞在しておったはずだと織田の家臣も驚いておるわ。
「過分な挨拶は不要に願いたい。すでに守護でもなく、同じ織田家中の者同士であり、こちらは新参者での」
家柄はこちらが上、されど尾張で怒らせてはならぬ者のひとりが内匠助殿だとか。日ノ本の外に所領を持つ。織田の同盟相手と見るべきであろうな。
「ありがとうございます。すでに師走。さっそくですが、役目を果たしとうございます」
驚いたのはこのふたり、武衛様と大殿の連名の書状を持参したことか。内容はこの者らに一切の差配を任せたというもの。他にも織田の武官と文官を大勢連れての信濃入りだ。驚くなと言うほうが無理があるわ。
「であるな。して我らにいかにせよと申されるので?」
「その辺りをお話しいたします」
今更、従わぬという道は選べぬ。異を唱える気はないが、織田がなにを求めてなにをしたいのか。今一つ分からぬこと。
賊狩りと尾張から届いた食い物を配るというので支度をしておるが、織田の文官衆が上手くいかぬと困っておったのは知っておる。そのために来たのは分かるのだが。
わしは弟の城で世話になっておる身ゆえ、あまり強くは言えぬ。また弟の家中も織田に逆らえぬことは理解しておるが、所領の召し上げなど不満のある者もちらほらとおる。
織田の文官の話では、本来は俸禄や決まり事を伝えて了承させてから民を食わせるようなのだが、此度はこちらが飢えておるので先に食い物を送ってきたから今までのやり方が通じぬと言っておったな。
「……ということでございます」
弟と主立った者と共にウルザ殿の話を聞く。これは難儀なことになると誰もが思ったのだろう。皆の様子が芳しくない。
ただ飢えておる者に与えるだけではないのか。役目に関わった者が織田の食い物を中抜きすることは許さず、また村においても力ある者が勝手に独り占めせぬように差配しろとは難儀なことを。
いちいち村の中まで人を配して見張るなど、やったこともないわ。村の者が素直に従うとも思えぬ。
「我らが信じられぬとお考えか?」
「小笠原殿は信じます。されど後の方は私にとっても織田にとっても知らぬ者。信じられると言えましょうか?」
ふふふ、ウルザという女。はっきりと言い切ったわ。老臣のひとりがその言葉に目を見開いて驚いた。まさか面と向かって言われるとは思わなんだらしい。
「誰かが密かに中抜きや横流しをしてしまえば、その者の一族郎党ばかりか主筋すら処罰せねばならないのです。己の一族郎党をすべてまとめておられるというならば、お任せすることも考えましょう」
当然だな。武士も僧も従える織田が我らにも甘い訳はあるまい。
「言い分、いちいちもっともでございます。飢えは人を狂わせまする。他者の財は人の心に
ちらりと弟を見ると、即同意した。ここで逆らっても我らに得るものなどないのだからな。
未だに分からぬことは多いが、少しだけ見えてきた。勝手ばかりする武士を従えておる理由がな。
今までと同じやり方では大きくなれぬということだ。
はてさて、いかがなるのであろうな。
Side:久遠一馬
師走に入った。内ヶ島が臣従の挨拶に来たことがあったけど、まあ特に騒ぐことでもなく内ヶ島領の引き渡しについて話をしている。あそこは北美濃の東さんを通して支援していたものの、飢える人がいるのは変わらずで対応が急務となっている。
まあ噴火の影響が相変わらず続いているので、早く避難させるほうがいいだろう。現在飛騨などで街道や村の維持をしている、罪人を中心とした者たちに頑張ってもらうしかない。
信濃については領地接収の準備をしている。明確に臣従を約束したのは、小笠原さん兄弟と木曽家だけなんだよね。兄の長時さんには居城がなく、弟の信定さんの城にいる。弟さんは臣従で家中を概ねまとめたらしいが、俸禄など具体的なことが決まらないと領地の明け渡しは出来ない。
しかも家臣が承諾しても家臣の一族とかが反対すると、説得なり戦なりして従える必要がある。信定さんの所領だけで考えても、織田で接収するには来年の夏か秋までは掛かるだろう。
領地接収を済ませてから支援したのでは飢え死に凍え死にする人が大勢出るから、今回は緊急避難的に支援物資を先に送っている。
もっと細かく言えば村単位で従えないと、税も納めてくれないし、こちらの命令にも従ってくれない。賊が近隣の村人だったなんて話はよくあることで、織田領ではそれがようやく無くなりつつあるくらいだ。
信濃は最低でも街道沿いの領主と村、それに寺社を押さえないと、物資輸送を効率化することも難しい。寺領の領民が実は一番
織田領では伝馬・伝船の仕組みを整えられていて、内陸もある程度の物資を保管なり集積する城があるんだけどね。地域の拠点は城か寺を利用しているからさ。
信濃も領地を押さえることが出来ると、もう少し効率的な輸送が可能になるんだけど。
あと要所に物資集積所を先行して設けることも検討をしているものの、場所と現地の勢力を調べて検討している段階だ。問題は織田の法を理解してない現地の人を使うと中抜きされる懸念があるし、集積所もこちらで警備をしておかないと同じく中抜きをされることになるだろう。
結果として南信濃への威嚇も含めて、大勢での輸送を行なったほうが現状では一番無難なんだ。
「奥三河の街道整備、後手に回ったのがきついね」
「それは仕方ありませんよ」
エルと地図を見ながらそんな信濃の相談をするけど、奥三河そのものが臣従してあまり年月が経っていない。街道整備は進めていたけど、奥三河の街道は獣道に毛の生えた程度の山道で、下草を刈ったり邪魔な木を切ったりとかするだけでも大変なんだ。
この時期は奥三河辺りも雪が積もっているだろう。荷駄隊はそんな環境で運ぶ必要がある。ほんと時期が悪いなと思わざるを得ないね。
信濃に向かう街道は美濃から東山道で木曽路に入るほうが街道自体はいい。ただ、あっちも雪が降るし。
まあ今のところは東山道と奥三河の街道の両方を使って信濃に物資を送っている。荷駄隊から報告が上がり次第、必要に応じて輸送経路を再検討するつもりだ。
現状だと年越しがあるので、それまでに一息つけるだけの物資を緊急で送るというミッションがあるので苦労しているんだ。
年内に一定の成果がほしいので信秀さんと義統さんの許しを得て、ウルザとヒルザを送った。あと警備兵・武官・文官も信頼できる古参と重臣の子弟クラスを連れての信濃入りだ。
ちょっと物騒だけど、飢え凍えた年越しをさせるよりはマシだろう。
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