第1368話・菊丸戻る
Side:久遠一馬
信濃領の費用対効果が恐ろしいほど悪くなっている。治安が悪いのでどうしても護衛をしっかりつけるしかなく、一度の荷駄隊を送るのに荷物を運ぶ人馬と護衛の人馬で五千から一万の人員と付随する騎馬ないし荷馬を動員しているので、輸送というより戦のような費用が掛かりつつある。
文官や重臣からは、これでいいのかという声がオレのところにも届いていた。
「来年の春からは現地で育つ作物を植えさせるしかないかと。蕎麦や幾つかの作物に心当たりがありますので」
評定で改めて説明することになったものの、現状では山林の活用と果樹の栽培は当然として、蕎麦や麦、高原野菜の畑を増やすことなど幾つかの提言をする。
田んぼに拘るとそこまで急激に開墾出来るとは思えず、水を多く使う作物もあまり向かない。来年からすぐにやれるとすると蕎麦や麦の栽培が一番早いと思われる。
蕎麦や麦は安価であるものの尾張では需要量も多く、他国からの供給で補っている所もあり、他国と比べると値が高く付くこともある。とにかく生産出来るものをどんどん増やしていくしかない。
「小笠原殿のひとり勝ちのようだ」
誰かのつぶやきが織田家の本音かもしれない。武田を追い込み、今川もまた信濃領の領有を主張することが難しくなった。織田家も多額の費用を出して信濃領を食わせることになる。
属領として扱いを別にしてはという意見も当然あった。この時代だと本拠地となる領国と支配を受ける領国は扱いが別なことが割と当然だからなぁ。
キリがない。そういう人も多い。遠江は斯波家の因縁ある領国なので別だけど、飛騨とか信濃とか負担が大きい割にすぐさま実入りになるところでもない。
なんで自分たちの国の銭や食料で、縁も所縁もないところに与えて食わせなきゃならないんだという不満が根強くある。
領国が違えば外国のようなものだ。隣国はまだ交流や因縁があるものの、信濃にまでとなると無関係な地という印象が強い。
もっとも統一した政が必要だという認識は、概ね皆さんも共有してくれているので大きな批判はない。属領を増やして勝手に治めろという形だと、現行の足利政権と変わらない形になる可能性が高いからね。
「飛騨についてでございますが、内ヶ島家が臣従を前提に動いております。年内に臣従をすることになるかと」
続けて出た話にため息が聞こえる。また飢えた土地かと喜ぶ人はいないようだ。
内ヶ島、あそこの領地は一向宗の影響が強い土地で、内ヶ島と血縁がある北美濃の東さんと願証寺が仲介をするからと関与していた。
あの辺りは史実では培養法により硝石を生産していた土地だが、どうも現状では古土法による硝石の生産は確認されたものの、史実でやっていたと言われる培養法はまだ生産まではしていないようなんだ。
石山本願寺は古土法に関わる領民を石山に移住させるつもりのようだ。まさかとは思うけど、あの巨大な人口集積地で住環境を無視して硝石の生産をするのか?!
まあ、石山もウチが硝石の製造法を知っているとみていて、完全に情報の秘匿は諦めているけどね。
「然れど、あそこで硝石など造っておるとは……」
「これだから寺社は油断ならんのだ」
ああ、硝石の製造までは織田家も掴んでいる。願証寺が情報源を明かさないという約束で密かに教えてくれた。
「製造法は幾つかあるのですよ。ただ、手間を考えると銭を稼いで海の向こうから買う方が楽ですけどね」
これに関連して織田家でも硝石製造の試験を行なっていることは評定で開示した。不思議と驚く人がいなかったのがなんとも言えないけど。石山がやっているなら、ウチもやっているのではと思っていた人がほとんどだったらしい。
「内ヶ島領でも試すので?」
「やってもいいですね。ただ、現状だとあそこは金山を優先させるべきかなと思います」
硝石丘法がそれなりに上手くいっている。培養法は試していないので落ち着いたら試してもいいけど。
硝石に関してはウチの利権扱いなのであまり多くの意見が出てこない。現状でも織田で製造法を試しているということで納得してくれたようだ。
ちなみに評定が終わると、数人の奉行から若い文官を借りられないかと頼まれた。どうも年末までに終えるはずの書状や報告書の清書が間に合わないらしい。
書状や報告書は清書したあとに、分類毎に
若い文官。元孤児の子たちだ。使い潰されると困るのとウチに仕えたいと言ってくれているので、ウチの管理下で働いている。
さすがに大変そうなので、数人を助っ人として臨時で貸すことにした。
Side:菊丸
「今川と武田がな」
親王殿下を都に送り届け、しばし都と観音寺城で政務を行い、やっと尾張に戻れたわ。
この国は相も変わらず争いがなく居心地がいいが、今川と武田が多くの
「戦で百戦百勝はあり得ぬか。これで今川が降り、武田もいかがなるのやら」
エルと囲碁にて勝負をしながら留守中のことを聞く。囲碁は一向に勝てる見込みがないが、それ故に面白くもある。
「武田は守護殿が一族の女子供を逃がすようです。また人質を解放すると明言したとか。甲斐を捨てるのかもしれません」
「まさか。あそこは鎌倉の世から続く名門ぞ」
「穴山・小山田がどうも同盟解消を申し出たようですが、守護殿は止めなかったとか。先見の明があるようにもお見受け致します。甲斐を取るか、武田家の存続をさせて再起を図るか。後者を決断したと考えると筋が通ります」
さすがに信じられぬことよ。甲斐源氏の武田が甲斐を捨てるとは。されど、あの地で他に策はないのも事実か。
「ならば次は関東か。あの地は厄介ぞ。まあ、そのためにそなたらは蝦夷をまとめたのであろうがな」
「蝦夷は一致結束するということが出来ない土地でしたので。ただ、豊かで富める土地とは言い切れません。その分、手を入れると変わる土地になりますが」
「ふむ、賊になるような者を鄙の地に送り、田畑や町を造る。言うほど容易いとは思えぬが、畿内で潰し合うよりは先があろうな」
一馬とエルらの
早いな。あまりに早い。まるで生き急いでおるようで案じたくなるが、世をまとめ整えるにはそうするしかないのは分かる。
なんとも難しきことよ。
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