第1362話・そして始まる苦労

Side:小笠原長時


「武田も今川も痛み分けか。恐ろしゅうなるの。わしの臣従でかように変わるとは……」


 両軍退けぬ戦とは恐ろしいものであった。物頭ものがしらの武士が討たれるか退けば雑兵は逃げてしまうが、退かぬ時はあれほど恐ろしゅうなるとは。


 共に戦上手とあって、陣形を維持したまま双方の武士が幾人討たれても戦は終わらなんだ。わしなどが差配しておれば、早々に戦は終わったのであろうがの。


 恐ろしかったのはそこからになる。逃げる雑兵らが敵味方入り乱れると、互いに殺し合う者がおったそうだ。互いに逃げるのに邪魔だからだ。さらに我先にと勝手に逃げた者らを討つべく、近隣の民による落ち武者狩りもあった。


 戦場の近隣は双方の軍勢により荒らされており、奪わねば冬を越せぬのだ。致し方ないこととはいえ、業の深きことをしたものだと痛感させられたわ。


 申し訳なく思うのは、弟の所領も荒れてしまったことだ。今川めは後始末もせぬままに撤退をしてそのままだからな。


 勝てば戦場の後始末をするのが慣例なれど、双方ともに勝っておらぬ。さらに手負いの者の多さにそれどころではないようではあるがの。


「兄上、織田からなんと?」


「亡骸を弔い、手傷を負った者は助けよとのめいだ。かかる銭はすべて織田が出すとのこと。すぐに人も銭も寄越すそうだ。いかがする?」


 織田の動きは早いわ。されど所領を織田に差し出すことになるとはいえ、今はまだ弟のもの。わしが口を出すべきことではない。


「ではそう致しましょう。今更、嘘など吐かぬはず」


「臣従をして冷遇されたという話は聞かぬな。恥を晒したと噂の三河吉良家ですら重用されておるそうだ。ただし嘘偽りなど信義に反することには厳しいと聞く」


 気難しいとも聞いておった久遠殿でさえ、懸念はなかった。おかしなことを企まねば粗末な扱いは受けまい。


 あとは武田がいかになるのか、高みの見物をさせてもらうとしようかの。




Side:今川氏真


「領国に戻り、いち早く国をまとめよ。人を束ねるも苦労がある。そなたはここで待っておるより領国で多くを学べ」


 武田との戦が終わったと知らせを聞いた。父上は勝てなかった。その事実をいかに受け止めるべきか考えておると、織田の大殿にかような命を受けた。


「はっ、畏まりましてございます」


 人質は要らぬというのは方便ではなかったか。


「遠江は一筋縄ではいくまい。されど長々と争うては時を逸するだけ。こちらは求めるならば助力を惜しまぬと御父上に伝えよ」


 今川が荒れて弱るほうが織田の利になるのではと思うが、それはオレが浅はか故にそう思うのであろうか?


 小笠原と今川が臣従をして駿河遠江信濃と得るはず。にもかかわらず兵を挙げて平定するでもない様子には、その真意を問いたくなるところだ。


 吉田城まで行けば朝比奈がおる。戻ることは難しくはないが。因縁の相手の嫡男に学んでこいと返す器の大きさに恐ろしくなる。


 とはいえ命には従わねばならぬ。すぐに供の者と清洲を立ち三河に向かう。織田からも護衛として人を配してくれた。来るときは人目を憚るためにも少数で忍んできたからであろう。


 今川家の嫡男として恥入ることのない体裁も整えてくれた。


 将としての戦を諦めたというのに。遠江を今川の手でまとめよと送り出されるとは。父上や雪斎和尚が勝てぬのも分かるわ。


 何はともあれ先を急がねばならぬな。




Side:久遠一馬


 今日は冬の寒さが厳しい。東三河に武官と警備兵を増員していて、武器弾薬と兵糧なども東三河に順次送っている。


 現在の織田では賦役で生計を立てる人たちには一定の訓練をさせている。この人たちは黒鍬隊として組織しており戦時には兵として働く。訓練にも報酬を出しているので評判は上々だ。


 もっとも村々からの動員も場合によってはするけどね。東三河で賦役をしている人たちはまだあまり人数も多くないので、少し尾張や美濃から人を送る必要があるのかもしれない。


 賦役の状況や優先順位を考えつつ人員の配置を考えている。


「うーん。人質をねぇ。それに穴山と小山田か」


 信濃望月家から急ぎの知らせが届いた。武田晴信が人質を返還したこと、穴山と小山田が離反したかもしれないこと。これには信濃先方衆も驚いているそうだ。


「謀やもしれませぬが、武田には最早、謀をする余力もないとも思えまする」


 信濃望月家もどうなるんだと右往左往しているようだが、現状だと様子見をしているみたい。望月さんも謀を疑ってはいるけど、そんな余裕がないのも理解している。


「今は様子見で構いませんよ。それより信濃領の始末を優先しましょう」


 武田家が崩壊し始めているのは、虫型偵察機などのオーバーテクノロジー調査でも判明している。晴信がどうするのか興味はあるけど、こっちは荒れに荒れている信濃をなんとかしないといけない。


 エルの表情も芳しくない。賊になってあの地域一帯に留まる者もいるし、荒れた村は冬越しが出来る住居と食料が足りない所がたくさんある。


 面倒なのは信濃では織田の統治を知らない人が大多数だということだ。噂レベルでは聞いていても、実際に都合のいいことしか聞いていなかったりもする。


 酷いところだと、織田が一方的に支援をしてくれるだけだと都合のいい噂が流れていることもあるくらいだ。


 今までも散々あったことだけど、村の中のことには口を出すなというところは新領地に多い。賦役で銭を与えても、村に戻ると回収されて長老衆なんかが使い道を決めるとか普通にあるし。


 それが有意義に使われていればいい。ところが身分社会なんで、上の人の暮らしが良くなっても下の人の暮らしが変わらないなんてよくある。


 尾張・西美濃・西三河辺りだと、そんな村からは立場の低い者が出ていってしまったので、そういう村は随分と減ったけどね。


 こちらに臣従をする地域の村々を治めていく作業は毎度のことながら大変なんだよね。


「ちーち」


 いろいろ検討をしていると、あきらが姿を見せた。少し前からハイハイを卒業して歩けるようになったんだ。


 まだよちよち歩きだけど、だいぶ歩けるようになったなぁ。


「おお、輝。お散歩か?」


 大武丸たちと一緒じゃないのかと思ったけど、お昼寝から一足先に目が覚めてオレのところまで来ちゃったらしい。もちろん、ちゃんと侍女さんが一緒にいるから問題ない。


「はーは、いない」


「ああ、もう少ししたら帰ってくるよ。いい子だからオレたちと一緒に待っていようね」


 どうやら母親のジュリアに会いたくなったみたいだね。ちょっと寂しそうにしている。仕事に一息つけて少し遊んでやるか。


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