第1361話・意地のその先に

Side:岡部親綱


「一言も言わずに決めたこと。済まぬ」


 駿河に戻られた御屋形様にいち早く呼ばれて参上したが、まさか開口一番で詫びを入れられるとは……。目にも言葉にも、かつてのような力強さがない。戦は痛み分けと言えよう。されど、これほどの損害を出しては仕方ないのかもしれぬが。


 それでもかような御方ではなかったはずだ。


「海を制されては、我らには不利でございます。致し方ないのかと思いまする。それと久遠の武勇は駿河まで届いておりまする。それを重用した信秀の勝ちでございましょう」


 今川が負けたのは久遠であろう。されど、氏素性も定かではない余所者を信じて重用した。これがすべての根源に思える。


「わしには出来なんだことよ」


 数年前、倅が畿内訛りのくせに尾張から来たという、怪しき行商人を捕らえた際に助けを寄越した者らがおる。あれも久遠の手の者らしいと調べはついておる。あの一件で倅は雪斎和尚にやりすぎだとお叱りを受けたが、今思えば久遠の力をあの時に理解するべきであったな。


「久遠内匠助。かの者のためなら死しても惜しゅうないという者が多いとか。公方様がお認めになられ、親王様が自らの盃を許された。いささか相手が悪うございましたな」


「そなたや雪斎がおったことがわしの幸運よ。されど運だけでは勝てぬ」


 戦の機会は幾度かあった。されど必勝の機会はなかった。それが結果であろうな。御屋形様や雪斎和尚とは長い付き合いだ。此度のことは思うところもあるが、致し方ないと理解する。


「駿河は某がまとめてご覧に入れましょう。されど遠江は……」


「もう斯波と織田との因縁は終わらせたい。遠江はこちらで平定せねば疑われかねん」


「朝比奈はそのおつもりで三河に置いたのでございましょう? 後は我らにお任せを」


 遠江は万全な状態で返すべきだ。さすがは今川と褒め讃えられるくらいでなくば、臣従をした後で若君がお困りになる。


 御屋形様はすっかり力を落とされておる。我らが駿河と遠江をまとめて堂々と臣従を出来るようにしなくては。


 斯波ではなく織田に臣従ということにも不満を口にする者がおるが、すべて大人しくさせねばならぬ。


 御屋形様は隠居なさるのであろう。わしも最後の御奉公だ。




Side:武田晴信


「してやられたな」


 撤退も満足に出来ぬほど勝手に逃げ出す者らの背を守りながら、ようやく躑躅ヶ崎館に戻ったが、そこに富士浅間神社の者が今川の使者として待っておった。


 使者は『此度の戦で最後でございます。当家は尾張の織田に臣従を致しました』と堂々と言うてのけた。小笠原に続き今川までもが織田に臣従だと? 面目も恥も捨てて因縁の相手に降るというのか?


「信濃もいかがなるか分からぬというのに。御屋形様。我らも今一度、各々のことを考え直す時ではないかと思いまする。某、一族の者と今一度考え直しとうございます」


 隠すわけにもいかぬ。主立った者を集めてすべて話すと、穴山がそう言うて席を立った。


 同盟解消。正室としておる妹も返すという。


 此度の戦で討たれた者もそれなりに多い。討たれた者の家では次の当主となる者が出ておるが、戦の論功行賞も終わらぬうちの穴山の動きに唖然としておるわ。


「某も決して武田家に弓引くつもりなどございませぬが、今一度家中の者と話をして今後を考えとうございます」


 同じく父が同盟を結んだ小山田も席を立ったか。


 討つならば今しかない。されど東国一の卑怯者と謗られるわしが、この場で両名を討てば甲斐者ですら武田を信じる者はおらなくなるであろう。再び甲斐をひとつにしたくば、相応の器と策をもって一からまとめよということか。


「皆の考えは分かった。人質はすべて返そう。それをもって各々で考えるがいい」


 是非に及ばず。最早、人質など邪魔なだけよ。ならば返すと言うて時を稼がねばならぬ。


「兄上……」


「典厩、そなたは一足先に一族の女子供を連れて相模に行け。わしが書状を書く」


 戸惑う者もおるが気分が優れぬと言うて主立った者を下げると、残ったのは弟の典厩のみだ。早う動かねばならぬ。穴山と小山田が離反した以上は、信濃どころか甲斐ですら父上がまとめる前に戻る。


「兄上!?」


「信濃ばかりか駿河遠江にも手を出せなくなったのだ。かと言うて関東に手を出す余力もない。次は甲斐の中で争うことになろう。口惜しいが最早、甲斐に拘るわけにはいかぬ」


 一族の者も甲斐を捨てるといえば異を唱える者もおろうな。長きに亘りこの地を治めてきたのだ。わしが愚かなためにかようなこととなった。そう思う者は残るやもしれぬ。


 されど……。


「早う支度に行け! 最早、武士が各々の所領を治める世は終わる。甲斐は遠からず織田に従うしか道がない。わしも守護として始末を終えたら、頃合いを見て相模に行く。そなたは相模に着いたら北条の伝手を頼り、尾張に行き織田に降れ」


「……兄上、ご武運をお祈り致しておりまする」


 終わりだ。甲斐武田家は。


 されど、遅かれ早かれ同じことになるはずだ。織田は戦をせずに武士を従えておる。家臣に所領を与えず、広い領国を治めておるのだ。かようなことが出来るのならば所領など与える必要がなくなる。


 急がねばならん。態度を決めかねておる者らが動く前に女子供を逃がさねばならんのだ。


 もし生きて父上に会うことがあらば、お叱りを受けるであろうな。


 されど、武田家は必ず残す。なんとしてもな。


 太郎も先に相模に行かせるか。果たしてあやつは素直に逃げるであろうか?


 残しておけぬな。是が非でも逃がさねばならん。




Side:久遠一馬


 続々と続報が入ってくる。信濃望月家はあまり被害がなかったらしい。晴信が前に出さなかったと知らせが届いた。明らかにウチを意識した行動だろう。


 武田方は山本菅助、今川方は孕石、瀬名、堀越などの当主が討たれたらしいという情報が入っている。ただ、命からがら逃げている可能性もあるので確定情報ではないけど。


「いったいなにがあったのだ? これは尋常ではないぞ」


 信長さんと一緒に状況分析を行うけど、なにより被害の多さに驚きを隠せない。元の世界の軍事では三割で全滅判定という話もある。実際、働き盛りの男性が三割も死傷したらこの時代では影響が大きすぎる。


 ただでさえ医療が未熟でちょっとした傷も致命傷になりかねないのに。


「臣従を前に厄介者の処分をしたのと、武功を上げようとした者が多かったのでしょう。織田に軽んじられないようにと今川は退けなかった。あと信濃からの撤退が両軍ともに失敗したようです。恨まれていたのですね」


 報告と状況分析の結果をエルが答えるものの、信長さんは何とも言えない顔をしている。


「されど、これでは信濃ばかりか駿河遠江でもひと騒動起こるぞ」


「はい、こちらで手を貸さないと数年は荒れることになりましょう」


 どうも今川はある程度想定した被害らしいけど、幾ら何でも五割は多すぎだろう。信長さんとエルは遠江の地図を見て情勢を再確認しているけど、史実でも遠江は義元亡き後に国人衆の離反で騒乱が起きているんだよなぁ。


「いかがする? 兵を出すのか?」


「いえ、まずは彦五郎殿を送り出すべきでしょう。今川方は意地でも己らで押さえたいと考えているかと思いますので。嫡男がいないと士気に関わります。あとは今川次第ですね」


 氏真さんを出すのか? でもあの人、戦あまり上手くないんだよね、史実だと。三河に朝比奈さんがいるらしいからそれを期待したんだろう。


 こちらはとにかく敵味方の選別を急がないと。商いや荷留も場合によっては考える。


 それと今はこの衝撃で争いや犠牲が増えないようにしたい。





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