第1358話・後に引けぬ戦・その二

Side:岡部元信


 今川の御家が織田に屈する日が来るとはな。甲斐を攻めておる父上はその知らせをいかなる顔で受けるのであろうか。


 御屋形様に翻意を促すべきか迷うたが、戦場でそれをするわけにはいかぬ。それに……、勝てぬというのも否とは言い切れぬのが口惜しい。


 三河で示された織田の戦は我らの戦とは違うものであった。過日の雪斎和尚の詰問はわしには屈辱であった故、ならばと織田に耳目を放ち、和尚の鼻を明かさんとしたが、逆にわしのもうひらかれてしもうた。数が少ない謀叛人が相手ではあったものの、金色砲と鉄砲で近寄ることも許さずに敗走させた。仮に織田と戦をしたとして金色砲や鉄砲をさらに多く使われたら、我らとて無策では同じ末路になろう。


 なにより厄介なのは南蛮船だ。いずこからいつ来るか分からぬ南蛮船から海沿いの領地を守るのは至難の業だ。また、奇襲を受けてもこちらが撃退する前に逃げられると追うことも出来ぬ。やりたい放題にされるわ。


 もっと早く尾張を攻めるべきだったのだ。久遠がまだ重用される前にな。それをやらなかったことが御屋形様の失態と言えば失態。


 過ぎたことを言うても致し方あるまいが。


「かかれ!」


「おお!」


 勝たねばならん。東国一の卑怯者になど負けられぬ。聞こえてくる罵詈雑言が、ここは戦場だと教えてくれる。わし自ら兵を鼓舞し敵を蹴散らす。


 この先いかがなるか知らぬが、いずれにしてもこの戦に勝たねば先はないのだ。


「おのれぇぇ!」


 若い武士に途中で出くわした。いずこの者か知らぬが、これも戦場の習い。互いの兵が槍を合わせるが、不利だと悟った相手の兵が逃げ出した隙を逃さぬ。こちらの兵が取り囲み、そのままわしの槍にて一突きで討ち取る。


 すかさず小者が討ち取った若い武士のまげに、わしのしるしの紙を結わえて次なる敵を討つべく進む。


 わしは勝っておるが、周囲は一進一退か。敵も此度はなかなか退かぬ。こちらのことに気付いたのか?


 味方の雑兵が逃げ出していくのも見えた。誰か討ち取られたとみえる。されど戦は終わるどころか激しくなる一方。


 無様なものだな。今川家が信濃でかような戦をせねばならんとは。


 されど……。




Side:飯富源四郎(山県昌景)


 あのような兄上をわしは初めて見た。己の信念を持ち、若君の傅役として弟のわしが羨むような男だったのだ。それが尾張から戻ると、突如隠居すると言い出して城から出ぬようになってしまった。


 『甲斐武田家は終わりだ』、わけを問うたわしに兄上はそう言葉少なに答えた。若君の近習の話では、尾張にて若君が『東国一の卑怯者』と武田家が謗られておることを知ったのだという。何故教えなんだと若君がお怒りになったのだとか。


 愚かなことをと呆れ果てた。流布する噂などを一々若君のお耳に入れるほうがおかしい。


 卑怯者と呼ばれることに、恥をかかされたとお怒りなのだとか。あの若輩の駒紛いは武士が清廉潔白だとでも思うておるのか? ならば仕方なし、兄上をなじるとは、飯富の家を詰ること。相応の報いをあの駒紛いに負わせてやろう。


「かかれ! 今川の者は一人残らず討ち取れ!」


 信濃で今川と戦うのは最後になろう。同盟を結んでおったというのに織田如きに恐れをなして同盟を反故として、こちらを攻めてきた臆病者には決して負けぬ。


「ぐっ!!」


 こちらの兵も倒れ、敵の兵も倒れる。死を恐れて死にたくないと逃げる者もおれば、誰ぞの仇だと敵を討つ者もおる。


 まるで修羅道の地獄だ。


「卑怯者を討ち取れ!」


「なにを織田如きに恐れをなした臆病者が!!」


 敵方から聞こえてくる卑怯者という謗りにこちらも負けてはおらん。『織田如きから逃げ出した臆病者』と甲斐では今川を謗るようになった。


 事実かなど知らん。ただ、今川方がそれに激高するのでそれでよいのだ。同盟や誼などは所詮、一時のもの。誰も他家を心から信じる者などおらん。


 今川も織田も、所詮は我らと同じ六道りくどうに行くが定めの下界げかいの者よ。


 負けられぬ。誰のためでもない。わしと飯富の家のためにも!




Side:忍び衆(信濃戦線)


 恐ろしい。そういう言葉が出そうになるのを飲み込む。双方ともに正面からぶつかった両軍は退くこともなく乱戦になりつつある。


 傷つき倒れた者を助けることも介錯することもなく、その身を踏み付け、乗り越えて争う。かような戦は滅多にないものだ。


「互いに将はまだ動かぬようだな」


 狂気。さような言葉が似あう戦場だが、今川義元と武田晴信と小笠原長時はまだ動いておらぬ。なにかしらの策があるのか? わしには分からぬな。


「御家の教えは正しい。それがよう分かる」


 甲賀に生まれたわしは幾度も他国に働きに出たことがある。素破と蔑まれ、生きて帰れぬような役目や人ならざるような役目もした。


 ところが久遠家の教えと御下命は、それらとはまったく違うものだった。『見聞きしたものを伝えるために生きて帰れ』『戦の先をよう考えよ』と幾度教えを受け、幾度『引き際をたがえるな』と命じられたことか。


 戦とは、戦う前とたたこうたあとも戦なのだ。少なくとも今の織田家ではかような戦はするまい。互いに優劣が決まらぬままバタバタと音を立るが如く人が死に、狂気が戦場を包んでおるように見える。


「おい、少し退くぞ。ここも危うくなる」


「ああ……」


 両軍ともに落ち首拾いをする商人なども背後におるが、かの者らもあまりの戦に僅かだが退いておるのが見える。なにより周囲には落ち武者狩りを狙う民もまた多い。


 我らもまた商人としてここに入っておる。危うくなる前に退かねばお叱りを受ける。


「止まらぬな」


「ああ、稀にかような戦があると聞き及ぶが……」


 勝敗が決まれば退くのが通例だ。されど稀にかような戦があると聞き及ぶ。いずれかが滅ぶまで止まらぬ戦がな。


 しかしこれほどの荒れた戦をして後始末はいかがするのであろうか? 小笠原と今川が恙無つつがのう後始末をすればよいのだが。


 かの者らは織田の政を理解しておるのか? かような荒れた土地を持って臣従など迷惑でしかないわ。


 信濃の地に染みついた血と憎しみはいずれの者を苦しめるのであろうか。願わくば織田家と久遠家に仇なすことのなきように願う。


 

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