第1346話・一山越えて
Side:久遠一馬
文化祭も終わり、親王殿下の帰京が三日後に決まった。
短い間だったけど、濃密な日程だったなと思う。織田家の皆さんは、正直安堵していると言っていいだろう。大きな失態もなくここまでやれたことに。
近衛さんたちとは図書寮と来年の譲位・御幸について話をしている。図書寮の建屋の建設、急いでもいいんだけどねぇ。内裏の修復、仙洞御所造営、図書寮は二の次三の次だ。織田領を
また計画では尾張と大和に図書寮分館をつくるつもりだったけど、大和はあまり話が進んでいない。そもそも誰が費用を出して誰が管理するのか。そこから考える必要がある。大和は興福寺が主に取りまとめている国だが、寺社に任せるのかというのも考える余地があるからね。正倉院だっていくつもあったのに次々と消えちゃった所だし。
あと譲位の件についても滞在中にいろいろと話していることだが。あれやこれやと必要になるものがあったりするし、細かいことをどうするのかということは、一部では出資者であるこちらや義輝さんにも相談がある。
極論を言うと公家も幕臣も、この件に関してはよく分からないことがあるのが実情らしく、記録にある譲位をそのままやるのか。それとも一部変えるのかなどいろいろと検討することがある。
時代の流れと共に出来ないことがあるのが困りどころだろう。
仙洞御所の造営は三好家に任せているけど、こちらも苦労をしているだろう。幕臣がそちらでも働いているけど、直接の経験がないことだし。
一度途絶えたことを再開する難しさをオレも痛感している。
ああ、悪いことばかりじゃない。六角と北畠とはいろいろと話すことが出来た。やはり顔を見て話す以上のことがないと実感したことだ。
ただ、一番厄介なのはこれからなんだけどね。
「憎しみで守護と信濃を明け渡すとはな」
急遽、義輝さんと内々に相談することになり、エルと義統さんと信秀さんと一緒に南蛮の間でお茶を飲んでいる。
もちろん信濃のことだ。ついさっき小笠原さんが義輝さんに目通りを願い、信濃守護職の返上と織田家への臣従を申し出たみたい。
事前に信秀さんも会っているが、決意は変わらなかったらしいね。
「いかがしましょう」
「余はいずれでも構わぬ。されど、要らぬとも言えまい? あの男なら末代まで恨むぞ」
義統さんが義輝さんの意向を問うが、答えはそうなるよね。正直、聞くまでもないことだ。
「今川への通告はなるべく遅らせたいようでございます。次の戦の兵を今川が動かす直前になるかと……」
信秀さんは具体的にどうするんだと聞いたらしい。ところが小笠原さんは今川と武田が一番嫌がることをしたいとしか考えてないようなんだ。戦の開始前、挙兵前に知らせるつもりではあるらしいけど。尾張にいる間は素知らぬふりをするようだ。
ただ、偶然にも今川もまた次の戦を最後にするつもりでいる。一番出遅れているのは武田かなぁ。信繁さん辺りは織田が信濃に援軍を出すのかと気にしていたけど、援軍を送らないでほしいともいえるほどの権限も対価もない。
「守護という体制が、最早、上手くいっておらぬな」
ちなみに義輝さんにはこれに関連して今川の動きも教えた。はっきりしないうちはいちいち報告も必要ないんだけど、さすがにここまでこじれるとね。後から隠していたのかと言われても困るし。
守護に関しては正直、本来の在り方である都で調整を出来なくなった時点で、名目でしかなく制度としてはほぼ終わっているんだよね。
「一馬、いかがするのだ?」
「今までと変わりませんね。申し出があったところだけ治める。あとは放置がいいかと」
ここで聞かれてもね。要らないから返品してくださいとも言えないし。結局、申し出があった人を家臣として、その人の領地を織田で併合する。それが一番シンプルで現状では無難だ。
信濃は作物の転換や開発、それと街道整備で地道に変えていくしかない。
「さすがに妙案もないか」
「あまり急激に変えると争いや騒動にしかなりません。食えぬ者は美濃や三河に移して賦役をさせるくらいでしょうか」
義輝さんは期待を込めてエルに問うけど、ほんと急激に変えていいことないんだよね。信濃となると尾張から遠いし。
「あと今後、信濃国人衆からの臣従や陳情は小笠原殿に取り次いでもらうべきでしょう」
「ふふふ、あの男の面目を立てつつ、面倒な輩の相手を押し付けるか」
エルの提案に笑いつつ、即その意図を見抜いたのは信秀さんだった。
「こちらが恨まれても困りますのでね」
血縁やら過去の因縁やら面倒なんだよね。この時代だと。小笠原さんには元守護の体裁を守るだけの禄と地位を与える必要があるし、信濃の担当にしてしまうのが無難ではある。
「ところで武田の嫡男は宴の場を白けさせておったが、東国ではかような教えをしておるのか?」
「他国の守護と会うことが途絶えて久しく、作法や場を読むことを教えておらなんだのかと。元より武田家嫡男が頭を下げる相手など甲斐にはおりませぬ」
信濃の件が一段落すると、義輝さんはずっと疑問に感じていたんだろう。武田について口を開いた。オレもよく分からないから首を傾げるが、義統さんが推測を交えて答えた。
まあ、不思議と言えば不思議だよね。ただ、空気を読むには少し若すぎるし、複数の守護と公家が集まって宴を開いたなど畿内を出るとあることじゃない。
「戦上手というだけなら諸国にいくらでもおるからな。真偽の怪しい武勇は聞き飽きたわ」
旅をしているとその土地で武勇のある人の話が出るんだそうだ。自慢だったり酒の肴程度の噂だったりさまざまらしいけど。
この時代の戦のやり方で考えると相応に凄い人はいるはずだ。とはいえオレたちは戦のやり方どころか価値も変えつつあるしなぁ。義輝さんはそれも理解しているから、あまり評価はしていないらしいね。
「某も戦上手と言われておりましたな。されど、一馬が来るまでは美濃と三河を僅かに得ただけで、尾張すら
「であろうな。仮に武勇で平定したとて、そなたや余が死ねばまた乱がおこる。尊氏公や義満公が出来なんだことだ。いかにすればよいか余にも分からん」
オレは知っている。史実で徳川家が二百七十年の太平の世を築いたことを。ただそれを知らないと、まったく先が見えないんだよね。
ただね。義輝さんと話すようになり、オレも学んだ。足利家がいかに苦心して日ノ本を治めていたか。
それは決して無駄じゃない。偉大なる先人に感謝して前に進む必要があるんだろう。
小笠原さんの処遇にはそういう面もある。
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