第1340話・憎しみから始まる人生もある
Side:斯波義統
武芸大会も終わり、親王殿下にも、この日はゆるりとしていただくことになっておるが、思いもせぬ者から厄介な話があるとは。
「伏してお願い申し上げまする」
信濃守護小笠原長時。内密に会いたしというので目通りを許すと、なにを思うたのか、突然臣従をしたいと言い出した。
「わしは家臣を内匠頭しか持たぬことにしておる。それに祖父が世話になった小笠原殿を臣下にするなど申し訳が立たぬわ。ただ苦労しておるようじゃし銭でよければ更に助力を増やすことも考えるが?」
今、信濃などいらぬ。武田・今川・小笠原と争うておる蟲毒のような地ではないか。
「義理以上の助力、まことに感謝しておりまする。されど、もう十分でございまする。臣従は他の者と同じく内匠頭殿に致します。何卒、お許しをお願い申し上げまする」
決意は固いか。共に参っておる弟殿も異論はなく同じと見える。然れどこの男、かような思い切りのいい男であったか?
「わけを聞かせてくれぬか?」
「……武田と今川だけは許せぬのでございます。あの両家に信濃守護の地位と信濃の地をやることだけは我慢ならぬこと。ならば大恩ある武衛様に献上してしまうのがよいと愚考致しました」
しばし迷うたようだが、話を始めたその目には怒りと憎しみが渦巻いておるように見えた。恨みつらみで臣従か。しかも隠し立てもせぬとは。よほど腹に据えかねたか。
突き放すことも出来なくもない。されど小笠原殿を見ておると、あり得たかもしれぬわしの姿にも思えた。名ばかりの守護で、最早、守るものが己の家の存続しかない。あまりに哀れだ。
「
「……まさかかようなことが?」
「あり得よう。小笠原殿の決断は武田と今川を追い込むことぞ。それを承知であろう? もし同じく願い出てくれば否とは言えぬよ」
己のことしか見えておらんと見える。今川も武田もすでに追い詰められておるというのに。両家ならば、まだまだ戦えると思うたか。
「畏まりました」
「すまぬな。こうも家臣と領地が増えるとこちらも苦労が多くての。仔細は内匠頭と話すがいい。それと公とするのは親王殿下がお帰りになられた後だ。要らぬご心労をおかけするのは忍びない」
怖い男だ。憎しみを捨てよと言えば、否と言うたであろう。そう容易いものではないからの。
然れど、信濃か。皆が嫌がる顔が見えるようだわ。元より信濃四将などと言われ、まとまりに欠けるというのに、武田と今川の争いで
日ノ本の平定の試練というところか。難儀なものよの。
Side:久遠一馬
武芸大会が終わった。今年は花火も上げたので例年にない盛り上がりを見せた。
最終日に騒ぎになったのは、やはり石舟斎さんの敗北か。大会くじで文句なしの一番人気だったからなぁ。愛洲さんも二番人気だったので、大穴ということではないが。とはいえ大きな配当を得た人はいたようで、さぞ美味しいお酒を飲んだだろう。
この武芸大会くじ。尾張の治水事業の財源であると公表している公営博打になるんだけど、負の側面も現れつつある。
ここ数年では領民が運営する博打も増えた。織田家の武士には博打の胴元になることは禁止しているので、運営は主に寺社と商人だ。
これはほんとピンからキリまであって、悪質な胴元も少なくない。今のところは立ち入り調査で実態の把握と指導をしているけど、認可制の導入も含めて検討をしている。
まあ、賭け事はこの時代にもある。尾張は比較的裕福になっていることから、盛んになりつつあるだけとも言える。
問題なのはモラルというか節度があまりない時代だからだ。宵越しの金を持たないという元の世界の江戸っ子くらいならばいいけど、借金を抱えて一家離散なんて話もあるらしい。
こうなると規制が必要になるんだよなぁ。史実を見ると規制と脱法の繰り返しになりそうだけど。
それと武芸大会の協賛金、今年は例年の数倍以上も集まった。親王殿下の前で名を売り、ご臨席いただいた大会に出資したと言えば名誉と箔が付くからだろう。
この協賛金、悪銭と鐚銭の回収も兼ねているので、商人たちからは使い道に困る悪銭や鐚銭を受け取ることにしている。正直、何度回収しても悪銭や鐚銭が集まってくるんだよね。これはもう仕方ない。
勘合貿易が止まり、正規のルートで銅銭が入らなくなるから、今後は銅銭の供給は尾張でしていくしかないだろう。
織田領では事実上の銀行業務もすでに始まっている。武士が寺社から高利で金を借りることは新規に召し抱えた者以外はほぼないと言っていい。商人相手にはまだ貸付業務まではしていないけど、織田手形や金貨銀貨の交換業務はすでにしているんだよね。
金融関係は掌握していると言っていい。その分いろいろと大変なんだけどね。悪銭や鐚銭はウチで買い取って良銭と交換する形で島に運ぶことになる。
「殿、一大事にございます! 信濃守護、小笠原殿。大殿への臣従を、守護様に願い出たと……」
昨日は清洲城に泊まっていたので、朝のご飯を食べてのんびりとしていると、一益さんが駆け込んできた。
「来ちゃったかぁ」
小笠原さんの様子がおかしかったのはこの前触れか。エルたちと顔を見合わせるが、受け入れるしかない。
「北信濃の村上などは当面は独立を維持するでしょう。あちらは越後と縁も深いようですし、斯波家とも縁があります。急いで臣従をする理由もありません。南は武田と今川の戦の結果次第でしょうか」
エルにこの影響を聞いてみるけど、一概には言えないらしい。ただ、これ下手すると川中島で戦うのが織田にならないか? 状況が違うので史実みたいにはならないだろうけど。
木曽さん辺りは臣従してきそうだなぁ。
しかし、小笠原さん。申し訳ないけど、そこまで先見の明があるように見えない。こんなおかしなタイミングで動くなんて。
このまま武田と今川が疲弊するのを待っていてもおかしくはないんだよね。彼の立場から考えると。
まあ、数日後からは学校の文化祭だ。親王殿下はこれもご覧になられるようなので、オレはそっちの打ち合わせで忙しい。
小笠原さんのことは義統さんたちに任せよう。エルはそっちに加われると思うから、エルがなんとかするだろう。
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