第1339話・武芸と花火と
Side:飯富虎昌
若殿に命じられて宴に出ることになった。具合が優れぬと言うと朝には医師が来たからな。疲労であろうと言われて休んでおったが、一日休んで宴にも出ぬと武田家になにかあるのかと疑われても困るのは事実。
「信じられぬ」
夜空を明るく照らすなど戯言をと思うたが、胸に響く轟音と
なんだこれは? いったいなんなのだ?
「我らの思いもせぬことをするのだ。尾張はな」
わしとしたことが顔に出ておったらしい。典厩様がなにかを悟った顔でそう囁かれた。
「武士は勝たねば先はない。それは確かであろう。されど織田は美濃・飛騨・三河と、ほぼまともな戦のないまま得ておる。今川など戦をさせてもらえぬまま三河を失いつつある。我らの考えなどこの国には通じぬのだ。強き者にこちらが合わせるのは仕方あるまい?」
そうであったな。典厩様は決して愚か者でも臆病者でもない。
されど……。
甲斐は貧しい国だ。田仕事を長くすれば腹が膨れて死病に罹ってしまう。今年など
奪わねば死ぬだけ。
食えるものはなんでも食うても足りず死していく。奪ってでも食わせねば先はないのだ。体裁も面目も食えればこそのもの。
御屋形様も先代も己が食えぬ身分でない故にご理解されておらぬのだ。飢えの苦しみを。飢えて死していく者の恨みの声を。
なにが花火だ。なにが武芸大会だ。食える者の道楽ではないか。
この
若殿でさえも公家などに毒されおって。甲斐で生きる苦労もご存じないというのに。
勝手にすればいい。体裁を気にして生きていけると思うならばな。織田がいかに強く豊かであろうとも、甲斐は変わらぬ。甲斐で生きる以上は飢えと戦う定めなのだ。
わしはもう知らぬ。武田家がいかがなろうが知ったことか。
Side:吉岡直光
町にあふれる人と賑わい。そして花火か。まるで尾張に都が出来たようではないか。
「おお、吉岡か。さあ、そなたも飲め」
上様のご機嫌伺いをと酒を注ぎにゆくと、なんと上様から直々に返杯を許された。手が震えるようだわ。
「はっ、頂きまする」
なんと晴れやかなお顔をしておろう。まことに病であったとは思えぬ。聞けば噂の薬師の方の助言により、病の最中も日の光に当たることをしておったとか。尾張では上様の病を治したのは薬師の方ではと言われておる。
「そなたから見て武芸大会はいかがだ?」
「強き者を直に見ることが出来るばかりか挑むことが出来る。夢のようでございます」
「ハハハッ、そなたはかような男であったか」
武芸がお好きな上様だ。武芸大会がお気に召されたらしい。
御父上である先代様と己の不遇を嘆き、己の力で天下をまとめて見せると意気込んでおられたことが昨日のように思い出される。
何故、これほど変わられたのであろうか? 近頃の上様は病もあり戦を控えるようになられた。唯一、戦を命じられたのは伊勢無量寿院の一揆討伐くらいであろう。
この武芸大会とて上様の御威光というよりは斯波と織田の力によるもの。それを我がことのように喜ぶのは何故であろうか?
「吉岡、そなたの武芸、しかと若い者らに伝えてゆけよ」
「ははっ!」
花火の光に照らされてそう語った上様のお顔は満足げであられた。いかになっておるか分からぬ。分からぬが、上様はご自身の道を見つけたらしい。
お召しにはなられなかったが、我が吉岡一門の武芸を残せと仰せになられたことは生涯の誉れ。
塚原卜伝か。上様のもとから下がると、ふと目が合った。
この男が上様を変えたというても過言ではあるまい。武芸の腕前もさることながら、武士としてもわしの敵う相手ではないと見える。
仔細は分からぬが、これでよいのではと思う。先代様のように幾度も戦をしたとて上手くいかぬのだ。
良かった。まことに良かった。
花火のように上様の御心を晴らす。まことにあっぱれな男だ。
Side:細川藤孝
もう将軍に戻る気はない。いつの日か雨宿りをしておった小さな寺で、上様がそう言われたことを思い出した。
己が武芸のみで旅をする塚原殿に憧れ、戦をせずとも国を治め広げてゆく尾張に誘われるように旅にお出になられた。
野垂れ死にでもよい。己が道を生きる。そう言われたお心に偽りはあるまい。されど、上様は再び将軍としてかように立派に務めを果たしておられる。
分からぬものだな。
足利の世を終わらせる。将軍に戻られた上様の本意だ。上様は内匠助殿が見ておる新たな世に魅入られてしまったらしい。もっともこれは側近衆もまだ知らぬことだがな。
織田や内匠助殿が上様を害するなら、この身を挺してもお止めして守るつもりだ。されど織田も内匠助殿もかような気はあるまい。
古来、武家は天下を得るときは滅ぼして奪い取ってきた。平氏を滅ぼした源頼朝公しかり、源氏の将軍から天下を奪った北条しかり、足利しかり。ところが内匠助殿はすべて味方にしてしまうようなお人だ。
決して自らの天下を望まず、皆が安堵して暮らせる世を作ろうとしておる。よく知らぬ者が聞けば、世迷言をと信じぬであろうな。
されど、この乱世を治められるのは、他におらぬのではと思える。
家柄や武勇に優れた者が天下を治めんとしたことは幾度かあるが、上手くいったことは数えるほどしかなく、長続きしたことなどさらに少ないのだ。
帝をも味方とし、今また親王殿下を味方としつつある。
花火を静かにご覧になる親王殿下を見ておると、最早、世の流れは止められぬのではと思える。
いずれ上様が今の地位を退いたら、共に道場でも開き生きるのも悪うない。
わしは最後までお供を
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