第1337話・第七回武芸大会・その七

Side:久遠一馬


 会場がどよめいた。貴賓席も織田家関係者や何度も来ている人たちは驚いている。


「負けましたか」


 貴賓席で解説をしてくれていた塚原さんがそう呟く表情は、少しほっとしたようにも見える。


 六年間、武芸大会の花形である剣術の部門で、ただひとり勝ち続けていた石舟斎さんが負けた。相手は陰流の愛洲さんだ。


 織田が自慢する武士のひとりであると事前の説明もあった石舟斎さんが、北畠家の推挙した愛洲さんに負けた。その微妙な背景もあってか公家衆や他家の人たちは少し様子をうかがう感じがある。


「師よ。この結果、いかに見る?」


「新介殿にとっては良き結果やもしれませぬ。某も負け知らずなどと勝手に噂されたことで、少々居心地が悪うございました。これでさらに強くなると思われまする」


 そんな中、義輝さんが問うと、塚原さんは少し親心にも似た心境を語った。


 勝ち負けにこだわらない。負けても得るものはある。ウチではそう教えている。実際、ジュリアだって人としての制限を超えない限りは、セレスどころか石舟斎さんたちに一本取られることもある。


 ただ、どうしても回を重ねるごとに勝つことを望む人たちの思いを背負っていたのかもしれない。


 悔しさもあるだろう。だけど次がある。頑張ってほしいね。


 刀と槍の模範演技はジュリアが務める。指南役の肩書きは今も健在だからね。本人も望んでいるし、周囲も望んでいることだ。


 ひとつ違うのは、ジュリアはセレスたちと違い、勝負として楽しむことか。これはこれでいいと思う。怪我とかしないならね。




Side:柳生宗厳


 負けたか。控えの席に戻ると支度を終えたジュリア様が見ておられた。


「申し訳ございませぬ」


「いい勝負だったよ」


 多くを語られることもなく、ジュリア様は愛洲殿が待つ試合場へ向かわれた。


 今年から用いられるようになった竹刀を持つ手に力が入る。もう一度やれば……、そう思うてしまう。未熟だな。されど、晴れ晴れとしたところもある。拙者には不敗という肩書きはいささか荷が重い。幾度もそう感じたからであろうか。


「愛洲殿は試合運びが上手くなりましたね。武芸大会は戦場とは違う技と経験が要ります」


 いつの間にかセレス様がおられた。思えばあの日、セレス様が戦う姿を見ねば今の拙者はなかったであろう。


「武芸大会が終わり次第、新介殿は久遠流と鹿島新當流の免許皆伝となります。それは塚原殿と決めていたことです。これからは己の道を進みなさい」


 負けたというのに免許皆伝か? 数年前からそろそろだという話はあった。されど未だに免許皆伝はいただけておらぬというのに。


「負けてこそ得るものがあるということでございますか」


「そうです。塚原殿が案じておりました。新介殿は若いのに名が上がり過ぎていると。愛洲殿はいい時に出てくれました。北畠の黄門様には感謝せねばなりません。互いに競い合う強敵とも言える友とはなにより大切なものなのですよ」


 いや、負けたからこそ免許皆伝か。拙者に必要だった最後の試練ということなのであろうな。


「ジュリア様はやはり勝負をされるのでございましょうな」


「ジュリアは試合での勝ち負けなど本当に二の次ですよ。戦うことが楽しいだけですから」


 セレス様が僅かに笑われた。


 ふと、以前塚原殿が言うておられたことを思い出す。八幡大菩薩が現世に現れれば、ジュリア様のような御方として現れるのではと酒の席で聞いた。誰よりも武芸と戦いをただ求める。そんな御方だからであろう。


 愛洲殿が少し羨ましくもある。手合わせの時とは違う。本気のジュリア様と戦えることに。




Side:愛洲宗通


 勝った余韻に浸る間もなく、見届け人から今巴殿との手合わせを望まれるかと問われて即座に応じた。


 出てくる今巴殿の姿に震えがくる。幾度か稽古として手合わせをしておるというのに。まるで別人のように見える。


 鬼やら虎と言われる武士は数あれど、それらの者よりよほど恐ろしく思えてならぬ。


「どうする? 模範演技にするかい?」


「お戯れを。本気で行かせていただきまする」


 氷雨殿などは勝敗を決めるより、互いの武を見せることをされておられる。されど、本気のこの御方と戦うのは今しかあるまい。


「じゃあ、アタシも遠慮しないよ」


 嬉しそうに笑う顔は美しい。左様な顔で笑わないでほしいとさえ思うわ。背筋が冷たいというのに。


「両者、よいか? では、始め!」


 お手並み拝見などというつもりはない。本気でいく。そう思うた刹那、今巴殿が踏み込んできた。竹刀だけ見てはいかん。久遠流はいずこから攻め手がくるか分からんのだ。


 だが、驚いたことにそれは見慣れた剣術の型そのものであった。これは……、陰流か!?


「恐ろしい。我が陰流をそこまで使えるようになっておられたとは」


 まさか陰流で相手をされるとは思わなんだ。しかも強い。直に教えたことなどないのだが。若い者に教えておるのを見て学ばれたか。


「いいものは学び取り入れる。ウチの家訓みたいなもんだからね」


「それはいいことを聞きました。某も教えを請いたいものですな」


「いいよ。いつでもおいで!」


 くっ、女の動きとは思えん。鍛錬で手合わせした時とは動きも技も別人のようではないか!


 稀におるな。稽古では冴えぬというのに戦場や真剣での勝負をすると別人のように冴える者が。一番厄介な者だ!


「はっ!!」


 新介殿が幾年も挑んで勝てぬわけだ。動きも呼吸も技も読まれておる。近づけば不利とは。


 力押す膂力りょりょくはこちらが上のはず。にもかかわらず押し切れぬ。塚原殿といい今巴殿といい、己の未熟さを嫌というほど思い知らされるわ。


「さすがに陰流だとまだ勝てないねぇ。鍛錬が足りなかったわ」


 共に呼吸が乱れるというのに、整うのが早い。わしの呼吸が戻るのを待たれてしまった。


「久遠流でも構いませぬぞ」


「刀の試合だしねぇ。なるべく刀で勝ちたい。それにアタシにはもうひとつあるんだよ」


 構えが変わる。これは鹿島新當流か。陰流ではさすがに勝ちきれぬと己の未熟さを認めるのか。


 しまっ――


「一本それまで!」


 鹿島新當流の技に思いを巡らせたことで刹那の隙が出来てしまった。


 奥義一の太刀。この技まで使えたのか。


「いや、楽しかったよ。攻め手を途中で変えられたのは初めてかい? 珍しく隙が出来たね」


 攻め手を変える者はおる。ただし、かような技を使う者でないがな。ただ、ひとつ学んだのやもしれぬ。


「武芸を楽しむ。かような御方は初めてでございました」


 そう、負けた理由を問われるのだとしたら、試合をこれほど楽しめる者がおると知らなかったことであろう。


「悪いね。つい楽しいとこうなっちまうんだよ」


 相手を倒し討ち据えることを目的とせず、ただ戦うことを楽しむか。世は広く面白い。




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