第1335話・理想と現実

Side:武田義信


 三条公と叔父上の顔を見て、偽りとは思えなんだ。さらに、先ほどから兵部の歯切れが悪い。


「兵部、そなたはいかに考えるのだ?」


「……嘘偽りではございませぬ。されど、公家衆が味方したとて戦に勝てるわけではございませぬ。また三条公は甲斐の実情をご存じないのも事実」


 隙を見せたほうが悪いか。戦とは勝てばよいのだと兵部は教えてくれた。それも事実であろう。されど、東国一の卑怯者とはいかがなのだ? かように謗られておるなど知らなんだ。何故、誰も教えてくれぬのだ?


「真田と申したな。そなたはいかが思うのだ? 尾張とはいかなる国か?」


 真田に問うたら兵部が驚いた顔をした。悪いが、そなたの言葉。そのまま信じるわけにいかぬ。祖父殿の前で大恥を掻かされたのはそなたの教えぞ。


「一言では申せませぬ。まず、尾張においては武士も寺社も等しく所領を持ちませぬ。すべて公儀と称する織田が俸禄を与えておりますれば。例外は久遠家の海の向こうの領地だけでございます」


「それは……、何故それで国が治まるのだ?」


「織田が食わせておるからでございます。所領がなくとも自家じけも寺社も安泰だと皆が信じておるが故に治まっておるのだと思いまする」


 信じる? 叔父上の言うておった信義か。されど……。いや、その前に……。


「真田、その話はまた改めて問う。叔父上、酒はいかに注げばよいのか教えてくれ」


 織田のことを知るには時が足りぬ。もうじき宴に呼ばれよう。今すべきことは三条公に言われたことだ。これ以上、大恥を晒すわけにはいかぬ。


「若殿!」


「兵部、少なくとも三条公と公家衆に酒を注がねば三条公が困るのであろう? 祖父殿であることに変わりはない。孝行してやりたいのだ。そなたの教えで三条公に恥をかかせるわけにいかぬ」


 いずれの言うことが正しいのか。分からぬ。されど祖父殿でもある三条公が困っておるというならば、酒のひとつやふたつ注がねばなるまい。


 それに……、兵部を今のまま信じるのは危ういのかもしれぬ。東国一の卑怯者だと? よくまあ、かような大恥を晒したものだ。父上も兵部も。


「ああ、そうだな。あまり猶予がないが」


 酒の注ぎ方など教えを受けたことはない。急ごしらえでは恥をかくかもしれぬ。されど、わしまで東国一の卑怯者と謗られるのは御免だ。


「若殿。恐れながら、知らぬは恥と思わず、分からぬ時は素直に皆々様の教えを受けたらよいと愚考致します。誰も若殿に恥をかかせることなど望みませぬ。それも誼を深めるひとつの知恵でございますれば」


 兵部が不満げにしておるが、そんな兵部に臆することもなく真田が進言をした。


「あい判った。真田、先日は済まぬな。そなたの言い分を聞かなんだ」


「お気遣い、忝うございます」


 ふと気づいた。わしは真田ら尾張めの者らの反論を聞いておらぬ。せめて言い分を聞くことはするべきであった。さようなことも気づかぬから三条公が参られたのであろう。


「皆に宴を楽しむように命じる。しかと厳命しろ。兵部、不満ならそなたは出ずともよい」


「若殿!!」


「兵部、わしは卑怯者の跡継ぎか? 何故、教えてくれなんだ? そもそも父上が誓紙を破ったのは、そなたらが祖父を追放して父上を当主とした後。そなたらにも責があるのではないのか?」


 気に入らぬのであろう。じっとわしを睨んでおる。そういえば先日、追放した祖父と会うた時も睨んでおったな。己の思い通りにならぬとすぐに声を荒らげる男だ。珍しくないと流したが、これも短慮なだけか?


 分からぬ。分からぬが、三条公に孝行はしよう。信義を重んじ友誼を結べ。その教えは間違いではないはずだ。




Side:久遠一馬


 今夜は中華風の料理がメインだ。一言では言えないほど歴史もあり地域も広いので、一概にこの時代の明料理と同じではないけどね。親王殿下の要望が久遠料理だから問題ないだろう。


 鯛のから揚げ甘酢あんかけ・麻婆豆腐・エビチリ・中華風海鮮スープ・モヤシとキノコの炒めもの・中華風焼きそば・杏仁豆腐などがある。味付けは日本風だ。ダシを意識しているし香辛料も控え目にしてある。


 そういえば、前夜の屋台は評判が良くて、今朝には側近から殿下が大変お喜びだったとわざわざお言葉を頂いた。


 自分で料理を見て選んで食べるということも初めてだったんだろうな。準備は物凄く大変だったけど、やってよかったと実感したよ。


 今日の中華風料理。辛い味が大丈夫なのかなと思ったけど、山椒なんかはあるのでまったく経験がないわけじゃないようだ。


「いかがしたのであろうな?」


 ただ、今夜の宴は少し空気が違う。いや、不動の武田家が動いたんだ。信長さんも突然どうしたんだと言いたげな顔をしている。


 嫡男の義信さんと信繁さんが動いていて、率先してお酒を注ぎ始めている。まるで世慣よなれしない武士の見本市みたいな武田家家臣も少し様子が変わっていて、周りに合わせようとしているようにも見える。


 ただし、偉そうだった人がひとりいない。確か飯富虎昌。史実で武田二十四将のひとりとして数えられていた人だ。確か義信さんの傅役のはず。


 ほんと、どうしたんだろ?


 誰か変化の理由を聞くかな? いや、聞かないだろうな。みんな大人だ。誰かが注意したとみるべきか。信繁さんか?


 武士らしくあるのもいい。だけどね。毎晩宴があるのに、ずっと『武士に社交は不要。この場、不本意』のお手本のようにされていると息が詰まる。武士側は義輝さんからして楽しんでいるからね。上様が楽しむならとみんな楽しんでいるんだ。


 信長さんもお酒を注ぎに行ったし、オレも行こうかな。人数が多いからね。話をするならどちらかが動かないといけない。斯波家の義信君もあちこち席を回っているし。


 あんまり目立ちたくないんだけど今更だし、オレが動かないと公家衆から動いてくる時もあるからさ。さすがに外聞が悪い。


「今宵の料理も美味いの」


「ええ、今宵は明から伝わった料理になっております。細かいところは当家で変えておりますが」


「これは豆腐であろう? かような料理があるとはの」


 公家衆は今夜も料理に興味津々だ。日頃は野山を散歩して食材を集めている人たちでも、やはりそれなりに知識はあるしいろいろな料理を食べる機会はあるんだろう。


「これは海老であるか?」


「はい、左様でございます」


 親王殿下もお喜びのようだ。プリプリのエビとか、都じゃ食べられないしなぁ。昼間のパエリアにも入れていたのでエビは初めてではないが、チリソースとかこの時代の日ノ本どころか、明にもないからなぁ。


 見たこともない料理に驚かれているのが分かる。


 しかし武田家が変わるだけで、場の全体の雰囲気も変わるね。ホッとしているように見えるのは三条さんか。空気読めよと言いたげな公家衆の雰囲気はオレにも伝わっていたし。


 義信さんはぎこちなさがある。というか表情は相変わらず硬い。だけどね。自分からお酒を注いで歩くと合わせようと努力しているのは伝わる。


 それだけで皆さん理解してくれるようだ。なんだかんだ言っても名門だしね。馬鹿にして笑い者にしたいわけじゃない。


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