第1319話・武芸大会に向けて
Side:東宮蔵人(方仁親王の側近)
清洲城の庭はなんとも見たことのない庭であった。
まだ夜が明けたばかりの外はいささか冷えるが、親王殿下はかような城の庭をそぞろ歩かれておられる。これも元は都では不遜の評が立つ、尾張の
まことかという声もあったが、山科卿の
「これはいかなる名の花か?」
見たことのない花の植えられておる庭で、殿下はその花の名を控えておる織田の者に直に問われた。
「はっ、秋桜ともコスモスとも呼ばれておりまする。日ノ本にはない花でございまして、内匠助殿がもたらしたものでございまする」
一面に咲き誇る花に殿下は、しばし立ち止まり御照覧される。
「花とは……、雅なものを好むという噂はまことか」
この庭も久遠の知恵により造られたのだとか。大陸の遥か西にある国。噂の大智の方らの故郷の国の庭を模したのだと聞き、殿下は驚きの顔をなされた。
大智の方。内匠助殿の奥方として名が知れておるひとりだ。その余りある知恵から大智と呼ばれておるとか。都では下魚を上魚と変えたことで知らぬ者はおるまい。
争いを好まず知恵にて国を治めようとするか。久遠の者はやはり尾張でも別格ということか。
殿下は都を出立される前に、主上より尾張をよく見聞するようにと勅命を受けたと申しておられた。
『次の世は尾張から動く』とは大内卿の遺言だが、それを主上は信じておられるご様子。
内匠助の主上への拝謁も、日頃多くを望まれぬ主上のたってのお望みであったと評される程だ。あれ以降、主上は御心が安んじて軽うなられたようだと、内裏では驚きの声があったほど。
「よき鐘の音よの」
花を御照覧されておられると、鐘の音が鳴る。噂の時計塔の鐘の音だ。寺の鐘の音とは違う。初めて聞くものだ。殿下はそれを
Side:久遠一馬
初日の宴が成功したけど、これでほっと一安心と言えないんだよね。これから二週間ほど滞在されるから。
武芸大会の準備も進んでいる。親王殿下の御前試合ということになるので、事前の準備もまったく違う。これも料理と同様に事前に予行演習をしている。万が一にも親王殿下に危険が及んではいけないからね。
あと議論があったのは領民参加の種目だ。御前試合に相応しいのかと、だいぶ議論になった。最終的には今の尾張をそのままご覧いただけばいいという、信秀さんと義統さんの政治判断で領民参加の種目も行なうことになったけど。
正直なところ、前代未聞のことだろう。領民が参加するばかりか一緒に観覧するなんて。根本とも言える考え方から違うからなぁ。
「太平の世を誰も知らないから、親王殿下も御覧になりたいはず」
産休に入った影響で子供たちとのんびりとしているケティが、子供たちと遊びながらそんなことをもらした。
「それはそうだろうね」
オレにとって平和な世界は珍しくもない。少なくとも世界の何処かで戦争があっても、自己を取り巻く世界の平和は当たり前のものだった。ところがこの時代の人たちは争いのない世界を知らない。言い方を変えると、争わず戦をしないで生きる術を知らないんだ。
みんな忙しく働いている。行啓に合わせて島からも応援が何人も来ていて、妻たちも来ているし、中にはバイオロイドと偽装ロボット兵もいる。
関ヶ原のウルザとヒルザ、伊勢亀山の春たちも戻っていて、あちこちの仕事を手伝っているほどだ。
ちなみに一番忙しいのは警備奉行のセレスで、織田家とウチからの応援もかなり入っている。織田家からは武官を中心に警備兵の指揮下に入っていて、頑張ってくれている。
あと曲直瀬さんを医師として清洲城に常駐させている。
親王殿下も春宮坊と呼ばれるお世話をする役目の人たちが来ていて、薬師も当然来ている。ただし、公家衆はみんながみんな医師や薬師を連れてきているわけではないし、備えとして曲直瀬さんに頼んである。家柄もきちんとしているし、ここに来る前は都で診療をしていた人だからね。信頼もある。
「ちーち、うみ!」
「大武丸、海に行きたいのか? ごめんなぁ。しばらく無理だ。ケティと遊んでいてくれ」
ケティと遊んでいた大武丸が木製の船の玩具を手に、海に行きたいと笑顔で言うけど、親王殿下が戻られるまで海は無理だなぁ。というか大武丸。海水浴に行きたいみたいだね。残念ながらそれは来年の夏まで無理だ。
ウチのみんなも忙しいしなぁ。
「あとで散歩に行こう」
「さんぽ! すき!」
ちょっと残念そうな大武丸に胸が痛むが、ケティがなだめてくれた。
家臣のみんなも忙しい。新しくやってきた石舟斎さんのお父さんである柳生家厳さんも、ウチに慣れる前に戦力として働いてもらっているくらいだ。無量寿院の
そもそも武芸大会の時期は花火大会に次いで各地から人が集まる。近隣の商人から坊主や武士も来ていたりするし、商いだって活発な時期のひとつだ。
そっちの仕事も当然あるんだよね。湊屋さんと津島・熱田・蟹江の各屋敷のみんなに任せているけど。
あと親王殿下を筆頭に来賓の皆さんを歓迎する料理の食材調達もまた、泣きたくなるほど大変だ。海が時化ると魚介の入手が必要数に届かない可能性もある。ウチの牧場だとそういう時のために食材を保存ストックしてあるのでいいけど、天候に介入するのはオレたちでも揺り戻しが面倒で極力避けてる。これだけは勝てないと言うか、勝ち負けではないからなぁ。
「殿、お先に登城致しまする」
「うん、お願いね」
子供たちとの僅かなコミュニケーションを取っていると、資清さんが姿を見せた。いつもはオレの補佐をしてくれているけど、昨日からは信康さんの助っ人に出している。
料理とか警備とかウチが深く関わることも多いので、ウチをよく知る人が清洲城で全体の差配を手伝う必要があったんだ。単純に信康さんの仕事が大変で助っ人を頼まれたんだけどね。望月さんも同様だ。
一益さんと太郎左衛門さんが代わりにオレの補佐をしてくれている。
「今日か明日には駿河と越前の公家が来る。そっちも大変だ」
それと今回の行啓で慌てたのは駿河と越前の公家衆も同じだろう。彼らの立場は少し微妙だ。都の公家からすると逃げ出した者であり、職務を放棄した人たちとも見ている。
京の都では食事も儘ならないという問題もあり下向しているので波風を立てるような処分はしていないけど、さすがに親王殿下が尾張まで行啓してきたのに馳せ参じないわけにはいかない。
花火大会に来ていたので帰ったばかりだけど、慌ててこちらに向かっているらしい。
「くーん」
ああ、いいなぁ。ロボとブランカと一緒に昼寝していたいなぁ。
無理だよなぁ。みんな働いているのに。
オレも頑張ろう。
◆◆
コスモス・秋桜
熱帯大和大陸原産。天文年間には久遠家が日本に持ち込み、清洲城の庭園に植えたらしいことが分かっている。
この時には既に「コスモス」の名前で呼ばれていた模様で、『言継卿記』にも、方仁親王の行啓の際に方仁親王が御覧になられたと記載がある。
名前の由来はギリシャ語の「世界」を意味する「コスモス」(希: κόσμος)からではないかと伝わるが、諸説あり定かではない。
戦乱によって荒れ果てた世の中に秩序をもたらし、誰もが花を愛でられるような世の中にしたいという願いを込めてこの名前にしたのではないかという説がある。
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