第1318話・初日の宴

Side:山科言継


 殿下御到着を目前にして清洲城はようやく落ち着きつつあるが、台所だけは今がもっとも忙しきようじゃの。


「ええ、その味でいいですね」


 幾人もの庖丁ほうちょう人と内匠助殿の奥方がおるが、皆をまとめ差配しておるのは大智、エル殿じゃ。


 先の大乱以降、都は荒れてしもうた。昨今では都でさえ、かような宴を開くことは稀じゃからの。朝廷も公家も日々の暮らしで精いっぱいとなりて、織田の供物でようやく一息ついた者が多い。


 花火や法要もあったの。近年でもっとも盛大な宴を催しておるのは、間違いなく尾張であろう。


 かようなほどの庖丁人をまとめられる者は、今の都では幾人もおるまい。


「御袋様! 出来ました!」


「あら、いい出来ね。次はこれをお願いね」


 吾も驚いたこともある。まだ元服したばかりの若い小者がおることだ。内匠助殿がやしのうておる孤児らだという。日頃から久遠料理の手伝いをしておるようで、わざわざ連れて参ったのだとか。


 吾が身の上を聞きし時には『食に携わる身分に足りぬとお考えであれば、皆を我が主、内匠助の猶子とお考えください』とエル殿に言われては驚かずにはおれようか。


 小者らは清々しい顔でよう働く。あの様子では決して内匠助殿を裏切らぬであろうな。あの小者らにも、此度の宴は生涯の誉となろう。


 やがてあの者らが次の尾張を支えてゆくのであろうな。相も変わらず久遠は隙がないわ。




 程なくして殿下が御到着なされた。


「尾張とは良き地であるな」


 長旅のお疲れもあるかと案じておったが、かようなこともなく、今までに拝したことのないほど晴れやかなお顔をされておられる。


 都をお出になられるなどあり得ぬ御身。此度とて周囲の思惑が重なった故の偶然と言えよう。お喜びになられてまことに良かった。


 ひとつ案じてしまうのは、必ずや都にお帰りいただかねばならぬことじゃ。未だ争いが絶えぬ都にお戻りにならねばならぬこと。申し訳なく思うところもある。


 本来、皆が守り奉らねばならぬ朝廷を疎かにする者があまりに多い。尾張とて己の手で都を争いから守ろうとはせぬ。


 此度の行啓で良き道が開けるとよいのじゃがの。




Side:久遠一馬


 なんというか、皆さん凄いなと改めて思う。斯波家は別だが、あとはほとんど土着の武士たちなんだ。尾張にいるのは。


 それが親王殿下を迎えるために一致団結、家中結束して支度に取り掛かって、無事に事前の準備を終えている。


 こういうことは前例やマニュアルがあっても大変で、失敗もハプニングもある。それが図書寮が失われているせいで正規の記録がないからって、公家や寺社にある行啓の記述を参考に支度をしたんだ。エルたちが助けたこともあるけど、それを加味しても凄すぎるのかもしれない。


 今回は、親王殿下と公家衆、それと六角義賢さんと宿老、北畠晴具さんと具教さんと重臣、三好家からも安宅冬康さんを筆頭に数人の重臣が来ているね。あとは義輝さんと幕臣もほぼ勢ぞろいしている。


 大内義隆さんの法要の時も要人がずらりと揃ったけど、今回もまた凄い人たちばかりだ。例外は管領細川晴元と彼に従う幕臣がいないことか。


 迎えるほうも大変なんだよね。織田の兵も入れると護衛だけで五千はいる。彼らにも相応のもてなしがいる。あと朝廷側の人員が下男などを合わせて千数百人ほどいるので、彼らはお客さんになる。


 幸いなのは織田では人を集める行事の経験を積んだことか。


 治安維持も変わった。なにより清洲辺りでは領民の意識が変わったことが大きい。女子供でも町をひとりで歩ける暮らしに慣れると、領民がいつの間にか協力してくれている。


 怪しい人や暴れている人がいれば、すぐに警備兵の屯所に知らせが入るし、町衆や清洲の寺社も治安維持の夜回りに加わっている。


 刃傷沙汰も以前と比べると減少傾向にある。これは各地から流民が集まる清洲の現状に鑑みると驚きの結果だ。


 まあ、それでも行啓を迎えるなんて十年は早いと思うのが本音だけど。




 時計塔の鐘が鳴った。親王殿下を迎える宴の刻限だ。


 本日の料理は本膳料理の形式でお出しする。この時代で武家が公家などを迎える時の作法をそのまま使う。


 近衛さんからは尾張料理と久遠料理を出してほしいと頼まれたが、滞在期間は武芸大会を挟んで十日ほど。初日は形式を重んじたものになる。


 メニューは魚介をメインに京風の味付けにしたようだ。刺身の昆布締め。魚介と野菜の蒸し物。焼き物は鯛の一夜干し。あとは馬鈴薯と椎茸やキノコの煮物などもある。地味なところではわかめの酢の物やぬか漬けなんかもあるが。デザートはこの時期美味しい栗羊羹だ。


 大湊でも鮮魚の料理を出していたこともある。そのため、あえて一夜干しを初日の焼き物にお出しするらしい。


 親王殿下と宴を共にするのは、義輝さんと幕臣、義賢さんと宿老、晴具さん具教さんと重臣に、三好家の安宅冬康さんなどの重臣、義統さん、信秀さんと織田一族と重臣になる。


 本来、無官の人は同席が難しいようだけど、今回そこは配慮をしてくれるようだ。行啓を支援して支えた各家への配慮だろう。まあ、朝廷の威信と権威を世に示したいという思惑もあるんだろうし、見せつける相手が少ないよりは多いほうがいいと考えたのかもしれないけど。


 場の雰囲気は静かだ。こんな静かな宴も最近の尾張では珍しいかもしれない。


 大湊での宴も同様だったけど、親王殿下の前で大騒ぎするわけにいかないしね。公家衆だけだとわりと盛り上がるんだけどな。


「殿下、いかがでございまするか? 御身の御意にかなう食でございまするか?」


 そんな中、動いたのは義輝さんだった。


「尾張は米からして味が違う。気のせいか?」


 自ら親王殿下にいを掛けたんだけど、その返答に周囲が少し驚いた顔をした。


「いえ、ご賢察、しんは感服でございまする。尾張の米は久遠内匠助が日ノ本の外よりもたらしたものと聞き及びます。都にはなきものかと存じまする。また塩ひとつとっても久遠の知恵で工夫をしており別格の味でございます」


 ああ、やっぱり将軍様なんだね。義輝さんって。ウチにいると菊丸さんとしての顔をしているから、時々忘れそうになるけど。


 幕臣と六角家宿老の皆さんは素行と本性を知っているのであまり驚きはないものの、北畠や織田の皆さんと公家衆は驚いている。病にありとされながら諸国のことを知っていたからだろう。こういう何気ないことから評価がまた高まるはずだ。


「それは初めて聞いた。鰻だけではないのだな」


 ウチの名前が出る時は鰻とお酒が一番多いんだよね。親王殿下も同じだったとは。


「これはいかにしたものか?」


「はっ、鯛を一晩ほど干したもの。生の鯛とも乾物とも違う味わいになるものにございまする」


 今日の料理の説明は義統さんがやってくれる。本当に助かった。いつもはオレかエルがやっているけど、今日は流石にエルも同席していないしね。


「昆布締めの刺身と蒸したもの。さらに一晩ほしたものか。かように味が変わるとは知らなんだ」


 どうしても白身の魚は淡泊なので、味わいが変わるようにと料理人の皆さんとか評定衆の皆さんと献立を考えたんだよね。


 試食も事前にしてある。ここしばらくの評定では昼食代わりに試食会となって、ああだこうだとみんなで相談したんだ。織田の評定衆の皆さんはウチのせいで、食べ慣れているからね。大いに参考になった。


 鯛の一夜干しは味が凝縮していて、程よい塩加減がまたいい。炭火で焼いているから表面は香ばしいしね。


 親王殿下は上品に身をほぐすと、ゆっくりと噛みしめるように料理を召し上がられている。


「ああ、羊羹か。これは栗か?」


 ふふふ、最後の栗羊羹にも驚いてくれたらしい。


 今夜は初めての宴なので奇をてらっていない。でもきらりと光る工夫と違いがあるんだ。楽しんでいただけたかな?


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