第1313話・行啓・その二

Side:二条晴良


 鈴鹿の峠を越えるとようやく伊勢に入った。賊が闊歩する恐ろしき峠だと聞き及んでおったが、かようなこともなく街道は整えられておった。


 殿下に於かれては初めての行啓なれど、疲れも見せることなく楽しまれておるご様子。


「何故、犬がおるのか?」


 峠を越えてしばらくすると、織田の兵が守りに就いた。殿下はその中におる犬にご興味を持たれたようだ。これにはわれも近衛公もわけを知らぬ故に、武衛に問うてみた。


「はっ、犬は人より早く、賊を見つけることが出来るのでございまする。また犬は賢く、躾をすると人のめいもよう聞くとのこと」


「ほう、かようなことは初めて聞いた」


 斯波と織田の地では犬まで賢いのかと驚かずにはおられぬ。殿下が少し近くでご覧になりたいと仰せになり、取り急ぎ一匹の犬が兵により御前に連れてこられた。


 本来なら兵に平伏させるが、犬が命を誤る元となると申す武衛に、寛恕かんじょを請われた故、殿下より格別のお許しを賜りての、引見いんけんである。犬が御前で兵の命を聞き伏せると、手綱を握っておる兵のほうが畏れ多いと顔色が悪いほどだ。


「ワン!」


「良きかな、良きかな」


 犬とはいえなかなか御覧になれることもない。殿下に於かれては初めてではあるまいか。まことに人の命を聞く犬に、殿下は殊の外お喜びになられた様子。


 そのまま一行は東海道から伊勢街道にて大湊を目指す。南蛮船に座乗せんという、殿下の願いを叶えるために。


 織田が主上に献上致した硝子の壺に入りし南蛮船を御覧になられてから、主上と殿下はいつか座乗を望むと仰せであった。


 此度の行啓には北畠の助力もあった。その北畠に対する褒美もかねて北畠領の大湊に行くことになる。


「おおっ……、なんという大きさ」


 大湊に入る前に見えた。黒き南蛮船が。


 取り乱すことなどあられぬ殿下が、声を上げたことに驚く。海には幾隻もの南蛮船があり、周囲には付き従う黒き船が数多ある。


 遠く町越しからでも見える南蛮船には、驚嘆きょうたんされずにはおられなかったのであろうな。


 ここまで来れば、尾張の地はあとわずか。何事もなく到着出来て、まことに良かったと安堵するわ。




Side:久遠一馬


 方仁親王殿下御一行は無事に伊勢に入った。


 そのまま一行は東海道を東に……、とはいかずに南下した。この行啓の費用の一部を出している北畠領を通過するためだ。


 ルートに関しては事前に相談していて、親王殿下に船旅を楽しんでいただくことも考慮した。桑名から蟹江だと近すぎるからね。


 この時代は危険な乗り物だけど、すでにウチの船に乗った経験のある近衛さんたちが是非乗せて差し上げたいと後押ししていたようだ。


 そんな事情もあって一行はそのまま大湊まで行き、そこから船で蟹江に来ることになっている。


「しかし、こうして見ると海では敵なしだな」


 この日オレは大湊に来ていて、具教さんと共に親王殿下の到着を待っている。大湊にはウチの客船タイプの大鯨船が一隻に、標準タイプの大鯨船が二隻、海豚いるか船が四隻。織田家所有の小鯨船が二隻、それと久遠船が多数集まっている。


 大鯨船はガレオン船、小鯨船はキャラック船、海豚船はキャラベル船と言えば分かりやすいかもしれない。


「油断は良くありませんよ。黄門様」


 まあ、言いたいことは分かる。手の空いている織田水軍と海軍を総動員した。別に武威を見せたいわけではないけど、外せない仕事が入っていなければ、みんな行啓の栄誉にあずかりたいんだ。だからこのくらいは必要だということだ。


 おかげで大湊から蟹江の海域には、織田で保有する久遠船の六割は集まっただろう。海運や治安維持の船は通常通りだけどね。


「これで大湊も押さえるか」


「出来ればそうなるといいですね。大湊も知らないところで新しいことが決まるので、困っていたのも確かですし」


 わざわざ大湊まで経由して尾張に向かうのはこちらの事情もあり、大湊に親王殿下来訪の名誉を与えて、こちらの下に組み込むための一手でもある。古くからの湊である伊勢の門前町にわざわざ立ち寄ったとなると大変な名誉だ。


 具体的に大湊経由は具教さんの要請で決めたことになる。それで北畠は大湊に大きな貸しを作ることが出来る。今まで以上に北畠による大湊支配が強まるだろう。また、これを機会に大湊が武装水軍として活動しているのを止めさせたい思惑もある。ゆくゆくは公界の解体に持ち込むつもりだ。


「宇治と山田が煩くてかなわん。今更、親王殿下にお越しいただきたいと騒いでおるわ」


 それとこれ。宇治と山田との扱いの違いを明確にする必要もあった。実は親王殿下。伊勢神宮参拝は見送ることになったんだよね。近しい過去に前例がないということで。親王殿下の名代が代わりに参拝する予定だけど、名代は名代だ。結果として宇治と山田は行かないことになる。


 権威との繋がりとか名誉がほしいのは、いつの時代もどんな人もあまり変わらないらしいね。


「無量寿院の始末が終わってないので難しいですよ」


 宇治と山田には親王殿下を行かせられない。無量寿院への密売に対する処遇が未だ決まっていないからだ。一応、宇治と山田の言い分も聞いて交渉している最中だ。


 織田としては友好度を下げて卸値を上げるつもりだけど、宇治と山田も敵対する意思はなかったとねばっている。


 あそこは形としては北畠に従っていて、具教さんの面目もあるので少し交渉は長引いている。まあ、交渉が終わっていないから疑惑のある宇治と山田には親王殿下は行かせられないという言い分がほしいので、引き延ばしに応じているという本音もあるけど。


「神宮は形としては参拝がないのは残念に思うておると言うておるが、本音は安堵しておろう。あそこは近年になり、そなたらの寄進もあり良うなったところもあれど、それでもまだ次の帝を迎えるほどの体裁が整っておらん」


 そう、伊勢神宮参拝見送りにホッとしているのは当の伊勢神宮だろう。いろいろ理由はあるものの式年遷宮も途絶えたままで、内宮と外宮以外の神をお祀りする社が荒れ放題で放置されているところすらある。


 どうしたらいいんだと慌てていたのが事実だ。


 まあ、近衛さんや二条さんがその辺りの事情を確認したことも参拝回避の理由とおもわれるが。


 それにしても親王殿下の出迎えとはまた大変なことだよなぁ。


 尾張からは姉小路さんや京極さんも来ている。頼りになる存在だ。オレだけだとほんと困っちゃうからなぁ。


 一応、船の責任者としてきたんだけど。さすがにリーファと雪乃に任せるわけにはいかないし。


 緊張するから、ふたりに応対をなるべくお任せする。





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